4 王女と侵入者
「ユナ、この本は子供から大人まで楽しめる内容だからよかったら読んでみて」
今日はグレイスから招待を受けて部屋で一緒にお茶をいただいている。彼女は素直で明るい性格で一緒にいて楽しい。
幼い頃に母親である王妃を病気で亡くしているため、一人娘のグレイスは国王からはもちろん周囲の人間にも大切に育てられ、今では近隣諸国でも評判の姫君だそうだ。最初は佑那を救世主として丁重に扱っていたものの、だんだん佑那自身を見てくれるようになり口調も気さくなものへと変わっていった。
何の役に立てていないのに居座っていることを申し訳なく思う一方で、気兼ねなく話ができる相手がいることはとてもありがたい。
フェリクスが言った通り救世主伝承は有名らしく、佑那の姿を見た人々は期待に満ちた表情を浮かべる。中には祈りを捧げる人もいた。ウィルは何も言わないけれど、魔物の被害は相変わらずなのだろう。もしこのまま魔物の被害が大きくなったらと思うと胸が重くなる。
佑那が何の力も持っていないことは一部の関係者以外知らないことだ。これだけ期待されているのに、それに応えられなかったときの落胆や怒りは計り知れない。
そういえば昔の祈祷師は雨ごいに失敗すると生贄にされたんだっけ…。
嫌な想像が頭をよぎるが、あり得ない話ではないかもしれない。もちろんグレイスやウィルがそんなことをするような人間ではないと分かっているが民衆心理はまた別の問題だ。
国の危機を回避する仕事なんて、ハードル高すぎなんだけど。
「ユナ?」
思わずため息をついてしまった佑那をグレイスが心配そうに見ていたため、慌てて笑顔で誤魔化す。
「すみません、ちょっと別のことを考えていました」
「ユナ、ごめんなさいね。いきなり救世主扱いされたあげく、助けて欲しいなんて言われたら迷惑だと思われても仕方ないわ」
グレイスは愁いを帯びた表情で佑那に詫びた。
「ユナが救世主かどうか分からないけど、私はあなたがここに来たことは運命だとも思っているわ。でもだからと言って決してあなたに無理な行為を強いるつもりはないの。だからあまり思い詰めないでね」
自分の気持ちを慮ってくれているグレイスの言葉に涙が出そうになった。温かい気持ちに満たされて、佑那は改めてこの国のためにできることを探そうと決心した。
真夜中、佑那は目を覚ました。寝つきは良いほうで普段夜中に目を覚ますことはあまりないのだが、なんとも言えない奇妙な感覚があった。
「何だろう、この感じ。不安な気持ちが一番近い気がするけど…」
どうにも落ち着かずに起き上がると、外でかすかな物音が聞こえた。夜着の上に薄手の上着をはおり、佑那はそっと部屋のドアを開ける。物音はどうやら上の階、王族の居住スペースからだ。一瞬迷ったが、胸騒ぎを感じて音の聞こえた方向に向かう。階段を駆け上がり、グレイスの部屋の前で足を止める。ノックをしようと手を動かしかけたと同時に部屋のドアが開いた。
思わず悲鳴を上げそうになったが、扉に手をかけているのはグレイスだ。
「ユナ?」
「グレイス様、大丈夫ですか?」
「私は無事よ。何が起きたの? 何だかお城の様子がおかしいわ」
グレイスは微力ながら魔力を持っており、訓練した魔導士のような魔術は使えないが、彼女の予感は良く当たるという。
やっぱり何かよくないことが起きているのかも…。
その時、国王の部屋から何か重いものが倒れるような鈍い音がした。
「お父様!?」
グレイスが部屋の方へ勢いよく駆けだしたため慌てて後を追う。もし何か起こっているのなら危険だし、近づけてはいけない。制止の声をかけるが、聞こえていないのかグレイスの足は止まらない。何とか追いついたが、グレイスが扉を開くほうが早かった。
室内に足を踏み入れた途端、思わず声を失い立ちすくんでしまった。血の匂いと暴力の気配が色濃く漂っていたからだ。倒れて動かない数名の兵士、ウィル、国王、そして窓を背にして佇む黒い影。月明りがまぶしく、その顔は見えない。
「姫…魔物が…」
入り口近くに倒れていた兵士が声を振り絞り注意を促す。
「…姫?」
黒い影が反応し、国王が悲痛な叫び声を上げる。
「グレイス、逃げなさい!」
守らなきゃ!
とっさにグレイスを後ろにかばい顔を上げると、いつの間にか目の前に見知らぬ男の顔があった。驚きながらもその目から視線を逸らせずにいると、腕を掴まれ引き寄せられる。
「やめろ! その方を放せ!」
焦ったようなウィルの声。それは今までに聞いたことがないほど、切迫した響きを帯びていた。
私、このまま死ぬのかな。
ぼんやりと最悪の事態がよぎるが、恐怖で固まった身は言うことをきかない。男が何かをつぶやく声が聞こえたかと思うと急に視界がゆがんだ。身体がふわりと浮き上がるような感覚に佑那は思わず固く目を閉じた。