38 波乱の会議
「陛下、この度はレイヴンの非礼をお許しいただきありがとうございます」
慇懃な態度で口火を切ったメルヒの瞳には何の感情も読み取れない。見た目は成人前の少年だがこの中で最年長であるというメルヒの言葉には重みがあった。
「しかしながら姫君であってもお聞かせできる内容ではないことを、ご理解いただけないでしょうか?」
シュルツの膝の上で俯いている佑那に全員の視線が注目する。
うう、だから言ったのに…
隣に椅子が準備されているにもかかわらず、当然のように膝の上に座らされた。他の人がいる手前、強く抵抗できず目で訴えたが、さらりとかわされてしまったのだ。
シュルツの提示した条件は佑那も会議の場に同席することだった。また同じようなことが起きないとも限らず、心配で会議に身が入らないと言われれば佑那はもちろんアーベルも承諾するしかなかった。
「それについては問題ない」
そんな反論を予想していたシュルツに、防音魔法を施したイヤーマフを準備すると告げられていた。フワフワした物が耳に添えられて、顔を上げるとメルヒの口が動いているが何も聞こえない。
しかし何故か他の大公たちの様子がおかしい。唖然とした表情を浮かべていて、隣に控えているアーベルに顔を向けると、視線を逸らされる。
僅かに首を傾げると、肩を二度優しく叩かれた。
これは、大丈夫、の合図だから、気にしなくていいのかな?
だから佑那は暇つぶし用に持ってきた本を広げて、読書に集中することにした。
姫が陛下に熱心に会議を行うよう進言されたと聞き、アーベルはほっと胸を撫でおろしていた。
御前会議そのものが重要であることは間違いないが、今回は少々事情が異なっている。一部の魔物から陛下に対する不信の声が上がっているとの報告があったからだ。
『人間の娘を寵愛するあまり自分たち魔物を蔑ろにしている』
確かに陛下は姫を寵愛しているが、結界を張り魔物を護っていることに変わりはない。フィラルドへの侵入を禁じた以外に特別な計らいをしておらず、魔物を排除するようなこともない。
それゆえに三大公にそれを知らしめる必要があり、愚かな噂を一蹴するためにも重要な会議だったのだ。
――それなのに、レイヴン殿が先走った真似をするとは……。
姫が怖がるからその場で始末されなかっただけのこと。恐らく陛下は絶対に許していないだろう。姫の不安を取り除くために、とりあえず追い出すよう命じただけなのだ。
レイヴンは自分と似た部分もあり、今回のことも陛下を思っての行動だとは分かっている。問題なのは残りの大公だった。メルヒは少年のような見た目だが、先代魔王にも仕えていた過去がある。常に柔らかい笑みを浮かべているが、誰よりも冷静で物事を俯瞰しており公正かつ誇り高いメルヒが人間の娘に傾倒する陛下に対してどういう反応するか分からない。
またフォルミラは大公唯一の女性であり、物静かだが内には激しい攻撃性を秘めている。フィラルドへの侵入を禁じられた区域は彼女の領域であり、そのことに関して姫に良い印象を抱いていない可能性が高い。
明日は間違いなく荒れるでしょうね…。
そんなアーベルの予想は半分当たって、半分外れることになった。
姫を抱きかかえて現れた陛下に三大公の間に動揺が走った。さらには自分の膝の上に姫を載せるほどの寵愛ぶりを目の当たりにしてレイヴンは目を丸くして、メルヒは僅かに眼を細め、フォルミラは無表情を貫いていた。
さらには陛下が姫に付けさせたイヤーマフに全員の目が釘付けになった。
フワフワした桃色の耳当て部分はともかく、その頭上には兎のような耳が追加されている。
「うん、可愛い」
満足そうな一言に室内に再び衝撃が走る。
陛下にそんな性癖が……!?
アーベルには全員の心の声が聞こえた気がした。
しばらくしてやや毒気の抜けた声でメルヒが議題について、発言したことでようやく会議は再開されたのだった。
急に音が戻ってきて、イヤーマフが外されたのだと分かった。
「ユナ、休憩の時間だ」
差し出されたクッキーを見て、昨日シュルツのために作ったクッキーを思い出した。直接渡したかったため引き出しにしまっておいてそのままになっていたのだ。
「どうかしたのか?」
その様子に気づいたシュルツが訊ねてくれたが、この場で話すようなことでもない。
「いいえ、何でもありません」
そう言っていつもの癖でそのままシュルツの手からクッキーを口にしてしまった。
はっと我に返って顔を上げるとレイヴンとアーベルは目を逸らし、メルヒとフォルミラは興味深そうな視線を向けられている。
居たたまれなくなった佑那が顔を伏せると、くらりと立ち眩みのような感覚がした。顔を上げるといつもの部屋が目の前にあった。
「転移した。あそこではユナの話が聞けないようだったから」
何のことかと一瞬考えたが、すぐにクッキーのことを思い出した。何でもないという佑那の言葉は大公達の前だからと察してくれたのだろう。
「あ、ちょっと待っててください」
寝室の引き出しから綺麗に包装した包みを取り出してシュルツの元に戻る。
「昨日ミアと一緒に作ったから、大丈夫だと思うの」
甘い物を好まないシュルツのために元の世界で作ったことがあるチーズ入りの甘くないタイプのクッキーだ。その場ですぐに口を付けたシュルツが、少し驚いたような表情を浮かべたのはそのためだろう。
「甘みが少なくて美味い。ユナが我のために作ってくれたのだと思うと、永遠に保存しておきたいな」
「いや、また作るから食べて。気に入ってくれて良かった」
相変わらず大げさな表現をするシュルツに照れつつも、佑那は嬉しくて頬が緩んでしまうのを止められない。
「ユナ、他の者の前ではそんなに可愛い顔をしてはならぬ」
真剣な表情で諭すように言われて、佑那は今度こそ顔を真っ赤に染めた。
微妙な緊張感を孕んだ会議がようやく終わりに近づいていた時、フォルミラが爆弾を落とした。
「フィラルド国侵入禁止の解除をお願いしたく存じますわ」
「ならぬ」
「森が成長してその境目が判別しづらくなっております。陛下の魔力が及ぶ範囲といっても幼子には理解できません。親が迷い子の元に駆け付けたくとも陛下の命令に背くことができず嘆願の声が上がっております」
情に訴えるような内容だが、フォルミラの声は淡々としていて感情の揺らぎは感じられない。だが彼女の心の中では激しい怒りが燃え盛っているだろう。
「例外は認めぬ」
「それは姫君のためですか」
フォルミラの言葉に陛下が眉を顰める。不快を示すその変化にアーベルの肝が冷えた。姫の前では事を荒立てないだろうが、陛下の行動は予測できない。
「理由がどうあれ我の決めたことだ。命令は撤回せぬ」
「承知いたしました」
流石にこれ以上はまずいと思ったのか、フォルミラは引いた。アーベルは内心安堵のため息を吐いたのだが、フォルミラの性格を考えればこれで終わるはずがなかったのだ。
 




