37 立場と大公
目が覚めてもシュルツは隣におらず、広いベッドがやけに寒々しい。
面倒な会議って言っていたから、長引いているのかな…。
流石に夜通し続けられるものだと思っていなかったが、彼らにとっては当たり前のことかもしれない。
朝食を運んできたのはアーベルではなく、ミアだった。
「おはようございます、姫様。アーベル様は大公閣下方のお世話がありますので、本日は私がご準備させていただきます」
「大公?」
聞き慣れない言葉をユーリが復唱すると、ミアが丁寧に教えてくれた。
大公は魔王の城を中心に三角を描くようにそれぞれの拠点で与えられた領域を管理している。魔物も多種族に渡るため、種族間の諍いや生息地を巡る争いなどを魔王一人で管理することが難しい。そこで3人の大公を選出し魔王に代わりその地を治めているが、生態系に関することや広域の問題などを話し合うための場が定期的に必要で、それが今回行われる数年に一度の御前会議だ。
「大公閣下は皆さま強い魔力をお持ちです。その、陛下の寵愛を受けている姫様は大丈夫かと思いますが、人を好ましく思っていない方もいらっしゃいますので、本日はこのままお部屋で過ごされたほうがよろしいかと」
ミアと一緒なら書庫に行く許可をもらっていたが、余計なことはしないほうがいいだろう。佑那を気遣って遠回しな表現をしてくれたが、人である佑那を見かければ危険な目に遭う可能性があるということだ。
だから佑那は大人しくミアの言うことに従ったのだが――。
「お前が陛下を誑かしている人間か。随分と貧相だな」
濃紺の髪と紅い瞳の男が見下すように言った。ドアが開く音に反応して顔を向けた佑那は思わず固まってしまった。シュルツが男の入室を許可したとは思えないし、不審者だとしても佑那に男をどうにかできる力もない。
多分、大公の一人だよね。
だとすれば婚約者として挨拶をすればいいのか。だが断りもなく訪れ、開口一番に侮辱の言葉を掛けるような男だ。
佑那の戸惑いをよそに男は笑みを浮かべて続けた。
「まぁいいや。お前死んでくれよ」
さらりと告げられた言葉に思わずソファーから立ち上がるが、男の動きのほうが早い。残忍な光を宿した瞳から目が離せず硬直するが、それから隠すように佑那の視界は漆黒に埋めつくされた。
「痴れ者が」
ばちっと鋭い音がして男が苦悶の声を上げた。
「ユナ、怪我はないか?怖い思いをさせて済まなかった」
冷え切った声から一転して柔らかい声でシュルツは両手を佑那の顔に滑らせて、全身を確認する。
「……大丈夫、です」
心臓はまだ激しく波打っていたが、シュルツの姿に安堵の気持ちが湧いてくる。それを見て取ったシュルツはようやく安心した表情を見せた。
「良かった。すぐに始末するからちょっと待っていてくれるか?」
あれ、これは止めるべき?
出会い頭に殺そうとする相手を助ける気にならないが、それが大公ともなれば簡単に始末していい身分ではないように思う。少なくともアーベルは反対する気がした。
「陛下、えっと、もうちょっと一緒にいて欲しいです」
少しだけ先延ばしにするつもりで、佑那は黒いマントの先をつまむとシュルツを見上げた。
ちょっと心細いと思ったのは本当なので嘘ではない。
だけどぎゅっと強く抱きしめられて顔中に啄むようなキスを降らせるとは思わなかった。
「シュ、シュルツ?!」
「我の婚約者は、なんと可愛らしいことを言う。ユナが望むならいくらでも傍にいよう」
紫色の瞳に熱がこもるのが分かり、それにつられるように佑那の顔も熱くなる。
「本気で、その娘に寵愛を与えていらっしゃるのですね」
掠れた声の方向に振り向こうとすれば、シュルツにきつく抱き寄せられる。
「あのような狼藉者など見なくてよい」
優しく労わるような声を佑那に掛けると、シュルツは低い声で告げた。
「我の行動に口出しなどさせぬ。勝手に侵入して我の大切な存在を害そうとした罪は重い」
「失礼いたします!」
慌てた様子で入ってきたアーベルは、何が起こったのか瞬時に把握して顔をしかめた。
「全員、追い出せ」
ただ一言告げてシュルツは佑那を抱きかかえて背を向ける。
「っ、恐れながらまだ重要な議題が残って―」
「アーベル、何度も同じことを言わせるつもりか」
直接向けられたわけではないのに、佑那は呼吸を躊躇うほどの威圧感と緊張感を強いられる。アーベルと大公の男は弾かれたように平伏するが、シュルツは一瞥することなく背中を向けた。
「すまぬ。怖がらせたか」
身体を強張らせた佑那を気遣うようにそっと背中を撫でるシュルツに、佑那はようやく力を抜いた。
「ううん、ちょっと驚いただけ。守ってくれてありがとう」
「あれが侵入してまでユナに手を出すなど思いもよらなかった。もう二度と危険な目に遭わせぬ。本当にすまなかった」
襲われた佑那よりも悲痛な表情を浮かべるシュルツを見て、申し訳ないという気持ちすら覚えてくる。
佑那が魔物であれば自分の身ぐらい守れたかもしれないのに。
「シュルツのせいじゃないよ。…それより、会議はまだ終わっていないんでしょう?私はもう大丈夫だからシュルツは戻って」
「此度の会議は中止だ。このような騒ぎを起こすような輩をこの城に留めておくわけにはいかぬ。それにユナが心配で離れたくない」
ストレートな表現に嬉しく思う気持ちもあったが、アーベルの言葉が気にかかった。魔王であるシュルツの発言が最も重いものだとしても、各地に権限を与えている大公たちを軽んじるような真似をすれば魔王への反発に繋がらないだろうか。
「でも大事な会議なんだよね?」
「我にとってユナよりも大事なものなど有り得ぬ。魔王の地位とて望んだものではないし、捨ててしまってもよい」
本気で言っているのが分かるからこそ、嬉しいと思うよりも申し訳なさが先に立つ。佑那の知っている限りシュルツは立派に魔王としての責務を果たしているのに、何も出来ない自分のために本当に魔王の座を降りる選択をさせてしまうことになれば、罪悪感に苛まされるだろう。
そんな佑那の表情に気づいたシュルツが口にしたのは別のことだった。
「ユナ、心配するな。もし辞してもフィラルドに戦を仕掛けるような真似はさせぬ」
確かに魔王であるシュルツの命令でフィラルド国への侵入は禁じられていたが、ユナが心配していたのはそこではない。佑那が自分のことばかり考えていると思われているようで、少し苛立ってしまった。
「シュルツ、そういうことじゃなくて。私のせいで評価を落とされてしまうのが嫌なの」
「そんなこと露ほども気にならぬ。ミアに菓子でも用意させよう」
あっさりと告げるシュルツは本当に気にしていないように見える。だが一方で本当にどうでもいいことならずっと魔王の地位に留まっていなかっただろう。他人に興味が薄いのにそれでも魔王でいたのはこの場所を、同族を守るために努力して結果なのだと佑那は思っている。
正直、大公に対して不安もあるし、ただのワガママなのかもしれないが大切な人が頑張ってきた結果を無かったことにしたくない。
「ねえ、やっぱり会議に出て欲しい、です」
何も出来ないからこそシュルツの足を引っ張るようなことはしたくなかった。
食い下がる佑那を見てシュルツは束の間思案した後、ぽつりと告げた。
「わかった。ならば条件を出そう」




