36 突然の別れ
どうしてこんなことになったんだろう…。
静かな夜の森に一人取り残された佑那は突然の出来事に呆然としていた。
確かに順調とは言えなかったけど、元の状態に戻れると信じていたのに、直前のシュルツの言葉と冷たい風が現実だと伝えている。
『どうか幸せに』
どうやって幸せになれというのだろう。大切な人に見放されたというのに。
あまりの衝撃のために佑那は近づいてくる足音に気づかなかった。
「ユナ……ユナ!」
重い頭を上げて声のほうに視線を向けると、そこにはフィラルド王国筆頭魔導士であるウィルの姿があった。
「ウィル…?何で、ここに……」
それだけ告げると急激に視界が歪み、佑那はそのまま意識を失ってしまった。
柔らかな日差しに佑那は目を覚ました。目に映る見慣れない天井に自然と涙が溢れてくる。昨晩のことが夢ではなかったと思い知らされたからだ。
何で、何で、何で…。私はもう必要ないの?
声を殺して毛布の中で泣いていると、控えめなノックの音と聞き覚えのある声がした。
「ユナ、起きていますか?朝食の準備ができたので、下りてきてください」
問いかけの形を取っているが、ウィルは佑那が起きていることを確信している。嗚咽が外まで漏れていたのかもしれない。気を遣ってくれたのだろうウィルを思えば、無視することが躊躇われた。腫れた目元をこすって佑那は緩慢な仕草でベッドを抜け出した。
準備された朝食に食欲は湧かなかったが、ウィルの好意を無駄にしたくなくて押し込むように口に運んだ。食事中はひたすら無言だったウィルが口を開いたのは食後のお茶を一口飲んでからだった。
「ユナ、あの後起こったことを教えてくれますか?」
真剣な口調に佑那は正直に話すべきか迷った。
そのまま話してしまうことがシュルツの不利益にならないだろうか。
シュルツは佑那を大切にしてくれたが、それをウィルが信じてくれるかは分からない。最悪、魔王であるシュルツの弱点と見なされれば利用されるかもしれなかった。
でも…もうシュルツは私のことを――。
そのことを考えるだけで胸に痛みが走り、涙が込み上げてくる。シュルツが佑那を森に置き去りにした、それはつまり佑那はもう必要ないということで―。
「ユナ、一つだけ先にお伝えしておきますが、俺は今休職中なんです」
「え?」
本当は辞職するつもりだったんですけどね、さらりと付け足された言葉に佑那は動揺のあまり、目元に浮かんだ涙は引っ込んでしまった。
筆頭魔導士であるウィルが辞職?
「え、どうして?」
ウィルはそれには答えず、柔らかい笑みを浮かべて続ける。
「それはまた後程ということで。ですから俺の立場に配慮せず、一人の友人として聞かせてもらえませんか?あの時ユナを救えなかった俺に挽回するチャンスをください」
その言葉と温かい眼差しに、ウィルを信頼しても大丈夫だと思えた。昨晩自分の身に起こったことを一人で抱えることが苦しくて、佑那はウィルに全てを打ち明けることにした。
攫われてからシュルツに求婚されたこと、命を狙われたことや声が出なくなったこと、そして想いが通じ合って幸せな日々を送っていたこと―。
「事情は分かりました。攫われた当初は気が気ではありませんでしたが、ユナが無事で何よりです」
そう言ってウィルは新しく準備した紅茶を佑那のカップに注ぐ。話に夢中になっていたが、結構な時間が経っていたことに、喉の渇きを覚えて初めて気づいた。
「それで、昨晩あの場所にいたのはどうしてですか?」
口が重くなった佑那に気づいたウィルが水を向けてくれたが、何と説明してよいのか佑那自身分かっていない。
「……分からないの」
どうしてこうなったのか定かではなかったが、そのきっかけになった出来事には心当たりがあった。言葉を探しながら、佑那はその出来事を思い返していた。
その日、珍しくシュルツが憂鬱そうにしていることに佑那は気づいた。
「どうかしたの?どこか体調でも?」
心配になった佑那がそう声を掛けると、その口元が僅かにほころんだ。
「いや、少々面倒な会議があってな。ユナと過ごす時間が削られてしまう」
何だ、そんなことか。
そう思っても言えばシュルツが悲しむ、というかどれだけ佑那を必要としているかを延々と説明するので口には出さない。
控えていたアーベルがちらりと佑那に視線を送ったため、自分に何が期待されているのか察した。
「私もシュルツと会える時間が減るのは寂しいけど、大事な会議なんだよね?その間私もミアにお菓子作りを習うから、上手にできたら一緒に食べよう」
「…それは楽しみだな」
最近ではシュルツの僅かな表情の変化に気づくようになっていた。僅かに目を細めて口元に弧を描くシュルツが喜んでいることが分かる。
「だが、無理をしてはならぬ。刃物や火を使っては駄目だ。それはミアに任せるといい」
真面目な口調でそう付け加えるシュルツは以前よりもさらに過保護な気がするが、魔物に比べて脆弱な人の身である。それでも好きなようにさせてくれる婚約者を心配させないよう、佑那はにっこり笑みを浮かべて頷いた。
「アーベル様は姫様へのお礼とおっしゃっていました」
厨房に出入りできずアーベルの私室を借りてのお菓子作りに、よく許可が出たものだとミアに聞いたところそんな言葉が返ってきた。
「お礼?何の?」
「私を庇ってくださったことに対してだそうです。アーベル様は私の後見をしてくださっているので」
アーベルは意外と情が深く義理堅い性格らしい。初めて会った時から佑那に対しては良い印象を持っておらず、その上行き違いから殺されかけたとはいえ近頃では佑那を見る目も和らいだ気がする。
二人でお喋りをしながらのお菓子作りはとても楽しく、あっという間に時間が経ってしまった。味見と称してお茶を飲み、これならシュルツに渡しても大丈夫だと思えるぐらい美味しくできたと思う。
ワクワクしながら帰りを待っていた佑那だが、その日シュルツが部屋に戻って来ることはなかった。
 




