35 閑話 伝わらない想い② ~佑那サイド~
声が出ないことに気づいたのはその翌日。食事の用意ができたと告げるシュルツに「いらない」と返事をしたはずなのに、言葉にならなかった。毛布を被っていたため、シュルツには無視をしたように見えただろう。みぞおちがヒヤリとして鼓動が早くなる。
嫌な予感がした。
シュルツが部屋から出て行くなり、起き上がって身体を確かめたが、他に異常はなかった。ただどんなに頑張っても声が音にならない。これは昨日軽率な行動を取った罰なのだろうか。もしくはシュルツが傷つくと知っていて、ひどい言葉を投げつけたせいか。
シュルツはどう思うだろう。昨日は自分の軽率な行動を怒っていたが、先ほど掛けられた声には気遣うような響きがあった。声が出なくなったと告げれば悲しむだろう。そうすればまたミアが責められるかもしれない。さすがに考えすぎかもしれないが、シュルツは必要以上に自分を守ろうとしてくれる。その可能性がある以上、正直に打ち明ける気にはなれなかった。
ショックのせいか食欲が湧かない。だが食べずにいると心配を掛けてしまう。そう思うものの食事が喉を通らなかった。シュルツが心配して世話を焼いてくれるのも心苦しく、目を合わせることができない。
ミアの存在にどれだけ助けられていたのか、改めて実感した。相談する相手がいないことが辛かった。
アーベルに相談すればシュルツにすぐさま報告するのは目に見えている。あとは新しい侍女のエルザだが、彼女はシュルツに好意を抱いているようだった。シュルツがいる時といない時の差は歴然だ。相談できない上に彼女はかなり意地悪だった。
見覚えのある砂時計と香りにミアが以前淹れてくれたお茶だと気づいたが、エルザはそれを故意に落とした。呆気に取られた佑那を見て、エルザは薄い笑みを浮かべている。シュルツが現れるなりそれを佑那のせいにしようとした彼女を止める気にはならなかったものの、シュルツの反応が気になった。
いい加減に呆れるか、怒るか、嫌われるか。
けれどシュルツは何事もなかったかのように、お菓子を勧めてきた。
どうして何も聞かないの…?
疑問とともに何ともいえない嫌な気持ちが芽生えた。彼の顔を見ることができず席を立った。
シュルツは他人に関心が薄い。
それなのにどうして自分を好きになってくれたのだろう。今更ながら疑問が湧いた。カップを壊したことを諫めることも、理由を問うこともしないのは関心がないからではないか。シュルツは私のことを本当に好きなのだろうか。
疑問と不安が次々に浮かび上がった。でも彼は自分に執着しているように見える。好きでなければ、何故だろう。他の人と何が違うのか。自分と他者への違いを考えて、掠めた考えに息を呑んだ。自分の思い付きに矛盾や間違えがないか再考したが、考えるほど理屈が通った。
シュルツが自分に執着しているのは救世主だからではないだろうか。
どんな仕組みか分からないが、救世主は魔王を魅了する存在なのではないか。そう考えるとフィラルドへの不可侵をあっさり了承してくれたことにも佑那に執着することにも説明がつく。シュルツはきっとそれを恋だと勘違いしているだけなのだ。
日ごとに辛さが増していく。もう二度と声が出ないのではないかと思えてきた。そしてシュルツへの罪悪感は募るばかりだった。心配してくれていることがひしひしと伝わってくるのに、その気持ちが勘違いであると告げることができない。自分にそんなつもりはなかったとしても、騙しているような気分だ。自分ではシュルツを幸せにすることができない、それが分かった以上、もうこのままではいけないのだ。
何度もそう思ったがシュルツの顔を見ると何も言えなくなった。表情や態度からも佑那を本当に大切に想ってくれていることが伝わってきて、自分の考えを否定したくなった。口も利かず俯いてばかりいるのにシュルツは壊れ物を扱うかのように大切に慈しんでくれる。
そんな彼に自分は何をしてあげることが出来るのだろうか。
心が苦しくて涙がこぼれそうになる。
ミアに再会したのはそんな自己憐憫にどっぷりと浸かっているときだった。ミアはすぐに声が出ないことに気づき、叱ってくれて大丈夫だと言ってくれた。目が覚める思いだった。伝えることを勝手に諦めて心を閉ざし、頑なになっていた自分に気づかされたのだ。
シュルツにはどれだけ謝罪をしても足りないぐらいなのに、彼は自責の念に駆られているようだった。救世主に魅かれているだけだとしても、シュルツに他者を思いやる気持ちがあることに変わりはない。この状況で説明しても、きっと彼は己のせいだと思い込むだろう。
そうして声が出るまで先送りにしたことを佑那は後悔することになった。
マフィンに毒が入っていると告げられ、動揺した。口にしたのはシュルツなのに佑那の心配しかしなかった。平気だと言われたが、まったく体に影響がないはずがない。動揺が収まると代わりに毒を仕込んだ者に対する怒りが沸々と込み上げてきた。
ミアの運んできた花束に悪意を感じていたため尋ねると、準備したのはエルザだという。それも謝罪の品だという言葉に一気に怒りが沸点に達した。シュルツを巻き込んだことも、ミアを身代わりにしようとしたことも到底許せることではなかった。
本気で怒っていたため、声が出たことに気づくことが一瞬遅れた。足りなかったのは気力だったのかもしれない。怒りが冷めたあとには、罪悪感が押し寄せてきた。自分のしたことは正しかったのだろうか。そもそもの元凶は佑那にあるのではないか。
だから救世主について考えていたことを打ち明けた。それでもシュルツは関係ないと言ってくれた。その言葉だけで充分だった。シュルツが信じなくても傍を離れることを決めていたのに、彼が差し出した本とその内容は信じがたいものだった。
どうして救世主について詳細な記述が残っていなかったのか。
それは隠すべきことがあったから。異世界から突如現れたシュルツの母、エリーゼは不審者とみなされ魔王への生贄として捧げられたのだ。
エリーゼは英国貴族の家庭教師として働いており、その縁で知り合った男性とじきに結婚する予定だった。ある日雇い先の書庫で見慣れぬ本を開いてから、フィラルドの城に来たところまでは佑那と同様だった。
魔王に気に入られ殺されずに済んだものの、女性の尊厳と自由を奪われる。孤独を抱え周囲への無理解や嫌悪にさらされて、エリーゼが徐々に心を病んでいく様子がつづられていた。シュルツが生まれてから彼女の精神状態は一旦快方に向かうが、徐々にまた精神を病んでいく。その様子を彼女は克明に記している。そうすることで精神のバランスを取ろうと必死だったのだろう。シュルツについての記述を最後にページは途切れていた。
本を読み終わってもしばらく衝撃と混乱で頭がいっぱいだった。自分の仮説とは大きく異なり、エリーゼの暮らしも扱いも酷いものだったのだ。
伝承は語り継がれなければ意味がない。エリーゼの犠牲のおかげで国は救われたのだろう。だがそのままの形で残せず、恐らくは一部の関係者のみに代々伝わっていたのだと思う。ウィルの先代魔導士が救世主を快く思っていなかったのは、その境遇を哀れに思いつつも国のためにそうしなくてはならないという葛藤があったからではないだろうか。
そうしてシュルツが真剣な表情で想いを伝えてくれるのを聞いて、自分が間違っているような気がしてきた。救世主だから、人間だからと気にするあまり一番大切な気持ちを蔑ろにしていたのかもしれない。
『二人で一緒に幸せになりたい』
溢れた言葉は心からのものだった。
もしかしたら自分がここに来たのはそのためだったのかもしれない。エリーゼが息子のために佑那をここに呼び寄せた、ふとそんな風に思った。
佑那は確かに幸運だったのだろう。フィラルド国では王女やウィルをはじめとする人々は佑那に優しかった。そしてシュルツもまた佑那を想い大切にしてくれたからだ。
元の世界に戻りたくないと言えば嘘になる。けれど今はここが佑那の大切な居場所だった。




