28 沈黙の理由
「気分転換に書庫にお連れしてはいかがでしょうか」
アーベルからそう提案されて、あの日以来部屋から一歩も出していないことに思い至った。ユナのいつもと違う態度にばかり気を取られていたが、あれから本を読んでいる様子もない。
「お前に任せる」
自分から誘っても彼女は拒否するだろう。アーベルがなおも何か言いたげな表情をしているので、視線で問う。
「それから、もし差し支えなければ、ミアと会わせてみてはいかがでしょうか」
「……検討する」
それが正しいことだとは分かっていた。ユナが喜んでくれるであろう、自分に出来る数少ないことであることも承知していた。
ただ意地を張っているだけだ。
そう理解していても心はそれを拒否していた。自分ではなくミアになら口を利くであろうことも想像するだけで、嫉妬に駆られてしまう。
このような愚かな感情を抱くとは思ってもみなかった。
エルザがやってきた時、ミアは床に座りこんだまま本とにらめっこしていた。
「…何してるの?」
「姫様の体に良さそうな食材を調べてるの」
お茶の種類には詳しいが、ハーブティーだけでは体に悪いし薬効もわずかでしかない。最近は作ったケーキをほとんど完食していると聞いて、もっと出来ることはないかと考えていた。そこで菓子でありながら滋養が豊富なものを食べてもらいたい、とアーベルに頼んで食材事典を貸してもらったのだ。
一緒に組み合わせると相乗効果が期待できるものなどもあり、奥深い。まだ作れる菓子の種類は限られているが、その食材を使って何とか自分が作れるものにアレンジできないかとミアは考えていた。
エルザは鼻を鳴らすと、そっけない口調で言った。
「アーベル様がお呼びよ。書庫にいらっしゃるわ」
あれから城内を歩き回らぬよう言い渡されていたが、何か急用なのかもしれない。本を棚に戻すと、急いで書庫に向かうことにした。
「ミア、どうしてここに来たのだ!」
ドアを開けたミアを視認すると、アーベルが焦ったように叫んだ。
呼ばれたはずなのに驚いた様子のアーベルにミアは混乱したが、それよりもすぐそばの本棚の前に立っている姫様の姿を見て言葉を失った。
顔色は青白く目の下にははっきりと隈が浮かんでいるのが分かる。そしていつもきらきらと輝いていた瞳は怯えているように見えた。ミアを認めた瞬間、俯いて顔をそらす。
姫様らしくない。
何かがおかしいと感じたが、アーベルの声で引き戻された。
「とにかく、すぐに部屋に戻れ」
きっとエルザが間違えて伝えたのだろう。戻ろうと体を反転させた時、ドアが開いた。視線を上げるとそこに立っていたのは陛下だった。
仕事に手をつけようとするが一向に進まず、ユナのことばかり考えてしまう。
ノックの音がして顔を上げると、エルザが躊躇うような素振りでは入ってきた。
ユナに何かあったのだろうか。
「陛下、ご報告したいことがございます」
そう言って切り出した内容は少々信じがたいものであった。自分に黙ってユナがミアと会っているという。
「姫様から口止めされていたのですが、陛下に黙っていることなど出来なくて。アーベル様もミアをかばって私の話には耳を傾けてくれません」
涙を浮かべながら訴えるその様子は、いささか芝居がかっていた。だがその内容が真実であれば無視はできない。
追放を言い渡したはずのミアが城に自由に出入りしているなどあってはいけないからだ。シュルツが書庫に行くと、そこにはエルザの言葉どおりにユナとアーベル、そしてミアがいた。
「何をしている」
「申し訳ございません。手違いがあったようです」
「お前には聞いていない」
説明しようとするアーベルを一蹴し、ミアに冷ややかな視線を向けた。
追放を言い渡された自分がここにいることは何をいっても言い訳にしかならない。アーベルに塁が及ばないようにすればどうすればよいか。考えようにも魔王の視線に射すくめられたミアの頭は真っ白になってしまい、何の言葉も思いつかない。
だが突然目の前がふさがれ、鋭い視線に繋ぎ止められていた体が自由になった。
「姫様!」
「ユナ、そこを退け」
両手を広げたまま無言で首を振る。
また庇われてしまう。
慌てて袖を引いて止めようとすると、姫様はちらりと後ろを向いて申し訳なさそうにこちらを見て、小さく首を振った。
違和感の原因が分かったと同時に、閃いたことがあってミアは思わず叫んだ。
「姫様、駄目です!取り返しのつかないことになってしまったらどうするんですか!?」
姫様が驚いたようにこちらを見て、その口が「どうして」という形に動いたのが分かった。それを見てミアは自分の思い付きが正しかったことを悟った。何故かは分からないが、姫様はそのことを陛下にもアーベルにも告げていない。
「陛下は姫様のこと大事に思っていらっしゃいます。ですから、きちんとお伝えしないと駄目です」
「どういうことだ」
詰問するような陛下の声に姫様は泣きそうな表情で唇を噛む。きっと不安なのだろう。一人で我慢していたのだと思うと切なくなって、元気づけるように手を握り締めて言葉をかける。
「もう頑張らなくて大丈夫ですよ。姫様にお許しいただければ、私が代わりに陛下にお伝えいたします」
大丈夫ですから、ともう一度声を掛けるとようやく小さく首を縦に振った。
困惑した様子の陛下に向きなおると、ミアはしっかりとしたした声で告げた。
「陛下、姫様は話さないのではなく、声が出せなくなってしまったのです」
「何故言わなかった!」
ユナが怯えたように肩を震わせたのを見て、慌てて言葉を付け足す。
「いや、責めているわけではない。気づかなかった我にも責任はある」
アーベルが筆記具をユナに手渡すと、躊躇いながらも受け取り震える手で文字を綴る。
『もう誰かに責任が及ぶのは嫌』
書き終えると、ユナの目から涙が堰を切ったように溢れ出す。
掛ける言葉が見つからなかった。
ユナが自分に伝えなかった理由がよく分かったからだ。
「アーベル、薬を準備せよ」
それからユナをなだめているミアを一瞥する。
「ミア、茶を入れてくれるか。ユナのために」
ミアは大きく目を見開いた後、勢いよく了承する。ユナを気にしつつも声を掛け、急いで書庫を後にした。
『ごめんなさい』
ユナは嗚咽をこらえながら何度も同じ文字を綴る。
「ユナ、もうよい。一人で不安な思いをさせてすまなかった」
抱きしめて優しく背中をさするとしがみついてきたユナに、シュルツは一層の罪悪感を覚えた。




