26 新しい侍女
「おはようございます、陛下」
朝食を運んできたアーベルが不在の席に一瞬目を向けるのが分かった。
「後ほど準備せよ」
そう告げるとアーベルは心得たように一礼し、目の前のカップに茶を注ぐ。
夜になり寝室に向かうと、ユナは部屋の片隅で泣き疲れて眠ってしまっていた。抱き抱えてベッドに運ぶと目を覚ましたようだが、何も言わずにそのままこちらに背を向けられた。今朝も声を掛けるが、シーツを被ったまま返事もしてくれない。
ユナがこんな態度を取るのは初めてだった。今回のことが余程腹に据えかねているのかもしれないが、処罰を覆すつもりはない。そうしてしまえば彼女はまた自分の身の安全を考えずに、行動してしまうだろう。
自分にとっては他者の命よりユナの命の方がずっと大切だ。彼女を失わないためには必要なことなのだ。
―たとえ嫌われようとも。
自分の思考に胸が痛んだ。ユナから告げられた言葉が棘のように突き刺さって抜けない。このままずっと嫌われたままなのだろうか。今までも嫌われていると感じたことはあっても、本人から直接言われたことはなかった。好きだと言われてからのその言葉は想像以上に堪えた。
一人で取る食事はこんなに味気ないものだったか。気づけば紅茶はすっかり冷めていて、いつもよりも苦く感じられた。
ドアをノックする音が聞こえてミアは掃除の手を止めた。
アーベル様のお部屋にご用だなんて誰だろう?
ミアが返事をするより早くドアが開くと、見知った顔の女性が部屋に入ってきた。
「エルザ! 久しぶりね。どうしてここに?」
「あんたの代わりにお姫様の世話を頼まれたの。アーベル様から必要なことを聞いてこいって言われてね」
エルザはウェーブのかかった自慢のダークブロンドの髪をかき上げながら、気怠そうに答えた。ミアは意外な思いでエルザを見つめる。
彼女は雑用係として時々雇われていたが、奔放な性格で城にいることはほとんどなく、自由気ままに過ごしている。
仕事熱心とは言い難い彼女がアーベル様に言われたとはいえ、姫様のお世話を引き受けるなんて。
そんなミアの想いをよそにエルザは興味津々といった様子で尋ねてきた。
「ねえ、陛下はどんな食べ物がお好きなの?」
「えっ、陛下?」
姫様のお世話をするのに、どうして陛下のことを聞くのだろう。
「だって昼食は陛下も召し上がられるのでしょう。ちゃんとお好みのものをご準備しておかないと」
確かに昼食の用意もミアの仕事に含まれているけれど。
「陛下は特にこだわられないよ。強いていうなら姫様がお好きなものを用意すると喜ばれると思う」
そう言うとエルザは何故か眉をひそめている。
「…それじゃあ普段はどんな風に過ごされているの?」
「本を読まれていることが多いわ。陛下がいらっしゃらない時は一緒にお話を―」
「姫君ではなくて、陛下のことよ! …姫様のお世話をするとしても、陛下のこともきちんと把握しておかないと不興を買うかもしれないでしょ」
「…陛下とは食事やお茶の時以外はお会いしないけれど、いらっしゃる時は姫様とお話されているよ」
「……陛下はどんなことに興味をお持ちなのかしら?」
「えっと、……姫様?」
「もういいわ。あとは直接会って考えるから」
そう言ってエルザは苛立たしげに席を立った。
陛下に関する質問ばかりで、姫様のことや仕事内容についてはまだ何も話していない。ミアは段々不安になってきた。エルザはちゃんと姫様のお世話をするつもりがあるのだろうか。
せめてお茶の好みだけでも伝えようとしたが、「また分かんないことがあったら聞きに来るわ」と言うなりエルザは足早に部屋から出て行ってしまった。
シュルツが部屋に戻ると手付かずの朝食が食卓に残されていた。昨日から丸一日何も口にしていないはずだ。
これも抗議の一種なのだろうか。
思わずため息が漏れた。
寝室のドアを開けると、ユナは昨日と同じく部屋の隅で顔を伏せたまま膝を抱えている。
「ユナ、食事の時間だ」
声を掛けるとわずかに顔をあげ、首を横に振った。いい加減食事をさせないと体に障る。抱きかかえようとすると身を捩って抗おうとする。
「自分で席につくか、我に運ばれるかどちらか選べ」
そう言うとしぶしぶといったように立ち上がる。相変わらずこちらに視線を向けないが、目が赤く腫れているため泣いていたことは明白だ。
新しい侍女がテーブルの上に、ポタージュと数種類のサンドイッチ、それから果物を並べている。いずれもユナの好物ばかりだ。それでもスープに申し訳程度に口をつけただけで、ユナは席を立とうとする。
無理やり引き留めて、果物を小さく切ってから口元に差し出すと、暫くためらったあと口を開けた。数回繰り返すと、もう要らないというように首を横に振られた。もっと食べて欲しいと思うがそれ以上無理強いはできず、諦めることにする。
ふと顔を上げれば新しい侍女が驚愕の表情を浮かべてこちらを見ていたが、目が合うと慌てたように逸らす。
ユナがこの娘を気に入れば機嫌を直してくれるだろうか。
食卓には彼女のお気に入りのはずのお茶が手付かずのまま残っていた。
日が傾きかけたころ、アーベルが休憩のために部屋に戻ってきた。随分疲れている様子だったので、リラックス効果のあるお茶を手早く淹れる。
「ああ、お前のこの茶も久しぶりだな」
しみじみと懐かしむ様子のアーベルに覚えてくれていたのだと、ミアは嬉しくなった。拾われてまだ間もない頃、何か役に立てることがないかと考えたことの一つがお茶を入れることだった。器用ではないため、きちんとした食事を作ることはできなかったがお茶ならば大丈夫ではないかと思ったのだ。
もっとも最初に淹れたお茶は渋すぎて、アーベルから怒られてしまった。それからお茶の種類や淹れ方にも興味を覚え、今ではすっかり趣味を兼ねた特技になってしまった。
「姫は一日中誰とも口を利かず、食事もほとんど摂られていないそうだ」
おかげで陛下がずっと落ち着かず機嫌も芳しくない、とアーベルが嘆息する。
「まさか、体調がよろしくないのですか!?」
「だったら、そう伝えるだろう。姫もよほど怒っているようだな」
自分にも原因があるため、いたたまれない気分になった。今は大丈夫でもこのままだと姫様の体調が心配だ。でもミアが会いに行くことはできない。代わりにどうにか元気づけることはできないだろうか。
必死に自分にできることを考え続けていると、一つアイデアが浮かんだ。
「アーベル様、お願いしたいことがございます」
効果があるかどうかも分からないけど、自分に出来るのはこれぐらいしかない。




