17 そばにいられる幸せ
「姫の様子がおかしい」
とある日の午後、アーベルは主から相談を受けた。
ぼんやりと考え事をしていることが増え、避けられているような気がするとのことだった。それだけでは何とも判断のしようがない。信頼している主だが、姫のことになると少々客観性に欠ける傾向にある。
陛下以外で姫に接しているのはミアだ。お茶の時間によく会話を交わすことも多いらしい。とりあえず主をなだめてから、ミアを呼び出して話を聞くことにした。
さて、どう聞いたものか。
目の前のミアは緊張した面持ちだ。用件も告げずに呼び出してしまったのだから、叱られるとでも思っているのかもしれない。怯えさせるのは本意でないため、単刀直入に切り出すことにした。
「最近、姫に変わった様子はないか」
「姫様、ですか?近頃少し元気がないように見えます」
どうやら主の気のせいというわけではなさそうだ。
「具体的にはどんな様子だ」
「お声をかけてもすぐにお気づきにならず、ため息をつかれることも多いです」
「陛下に対する態度に変化はあるか?」
「変化と言ってよいか分かりませんが、少しぎこちない気がします」
その後気になる事項を数点確認し、アーベルはミアを解放した。姫の様子に変化が生じたのは、風邪を引いて以降のことらしい。最初に頭に浮かんだのは同意を得ずに口づけしたことだが、それについては謝罪して許してもらったと主から聞いている。
ただしそれがきっかけになった可能性はある。それ以前にも姫の心情は不安定なものであったようだし、主の望まない方向に変化したとしても不思議はない。もしも主を手酷く拒絶するようことになれば、あの方はきっと傷つく。
何か対策を講じなければ。
たまった書簡を横目でにらみつつ、アーベルは効果的な方法を模索しはじめた。
自覚する前は大丈夫だったのに…。
佑那は苦々しい思いでため息をついた。
今まで気に留めなかったのに魔王への好意を自覚した途端、意識してしまって上手くいかない。そのまま素直に気持ちを告げることができれば良いのだが、まずは身分を偽ったことを告げる必要がある。好きな人に嘘を吐き続けて受け入れてもらおうなんて、虫の良い話だし自分が嫌なのだ。正直に告げることで嫌われてしまうのは仕方がない。
ただそのせいでフィラルド国への影響が出てしまうのは心苦しい。姫でないことを伝えるなら異世界の人間であることもまた話す必要があるかもしれない。
全てを正直に話すことは佑那の自己満足に過ぎないのではないか。
そうやって堂々巡りの考えを繰り返している。
自分の気持ちや言葉を伝えることは得意なほうだと思っていたのに。
眉をよせて考え込む佑那の前にお茶が差し出される。
「姫様、お茶が入りました」
ミアの声に自然と口元がほころんだ。悩んでいたってお腹は空くし、ミアのお茶はとても美味しい。ハーブティーのような香りのお茶に今日はミルクがたっぷり入っているようだ。
「この香り、好きだなあ。何だかほっこりする」
「気に入っていただいて良かったです。このハーブにはリラックス効果もありますよ」
そう言って、ミアはしまったという表情をする。
「あ、あの出過ぎたことを言って、すみません!」
「ううん。気にかけてくれて嬉しい。ありがとう」
ミアに気づかれているということは、当然魔王も佑那の変化に気づいているのだろう。なるべく自然な態度を取ろうと心掛けているが、ぎこちないと自分でも分かっている。
今まであれは大型犬だと自分に言い聞かせて、抱きしめられたり触れられたりすることをやり過ごしていたのに今はどうしても意識してしまう。鼓動が早くなっていることに気づかれはしないか、顔が赤くなっていないかと常に気にしてしまうのだ。
今朝も本を渡してもらったのに、指が触れかけたため受け取り損ねてしまった。何も言われなかったけど気にしていると思うし、自分だったら絶対に感じが悪いと嫌な気持ちになるだろう。
このままじゃ気持ちを伝える前に嫌われてしまうかも。
自分の失態を思い出すたびに自己嫌悪に陥る。またため息をつきかけ、ミアがいることを思い出して慌てて飲み込む。
あれから自分は本当に魔王のことが好きなのかと何度も自問したが、それでもやっぱり出た答えは変わらなかった。むしろ今まで結論を先延ばしにすべく、考えないようにと意識的かつ無意識的に避けていたことが浮き彫りになっただけだった。
「ねえ、ミアは好きな相手がいるの?」
佑那の質問にミアは分かりやすく狼狽えてポットを皿にぶつける。
「あっ、すみません! 失礼しました!」
顔を真っ赤にして謝るミアの様子が他人事とは思えない。自分もこんな風に見えているのではと思うと頭を抱えたくなる。
「ごめんなさい。立ち入ったことを聞いてしまったよね」
「いえ、大丈夫です。…その、私が一方的にお慕いしている方はいます」
恥ずかしそうに俯きながらミアが答える。
「そっか。上手くいくといいね」
佑那がそう返すとミアは嬉しそうな顔で言った。
「そばにいられるだけで幸せですし、このままで充分です」
確かにその通りなのかもしれない。元々住む世界が違うのに会えただけで奇跡に等しいのだ。自分が悩んでいるのは嫌われたくないという思いが根底にあるからだ。ずっと隠したままそばにいられないことも分かっているのに。
魔王に全部打ち明けよう。たとえその結果全てを失うことになったとしても。
アーベルはフィラルド王国東部に位置する街、キュレードに来ていた。第二の都市として交易活動も盛んな街として栄えており、王都とはまた違った活気のある賑わいで溢れている。
数日間姫の様子を窺うが、状況は好転していないようだ。直接聞いてみてはと提案したが、それは主に却下された。曰く、姫が話さぬなら無理強いはしたくない、と。
ミアになら話すかもしれないと、それとなく聞き出すよう指示したが彼女には少々難しかったようで、直球に聞きすぎて大丈夫だと言われてしまったそうだ。
仕方なく、何か贈り物を渡してみてはと提案し、受け入れられたところまでは良かったのだが。人が好む物を渡すなら、人が商う店で調達するほうが良いだろう。しかし主は買い物をしたことがないし、陛下と自分が揃って城を空けるのはあまりよろしくない。
ミアに頼もうとしたが、外見は年端のいかない少女にしか見えないため高額な買い物をすれば不審に思われてしまう。結局、アーベルが行く以外の選択肢はなかった。
最初にその案を思いついた時点でここまで想定しなかったのは、アーベルのミスだ。
しかも買うものは、姫が好みそうな物という極めて漠然としたものだった。年頃の娘であれば、好みそうな貴金属やドレスの類を姫は好まない。宝石は、綺麗だけど邪魔だし重い、ドレスは簡素で動きやすさを重視しているらしい。変わった姫だと思う。
普通の王族であれば日常的に身につけていただろうに。
幸いにも何か祝い事か行事が行われているらしく、普段よりも出店や品物の数が多いようだ。
「何か姫君の興味を引くようなものがあればいいんですけどね」
そう呟いてアーベルはまず市場へ足を運ぶことにした。




