15 風邪と看病
「……やつ当たりして、ごめんなさい」
かろうじて謝罪を口にすると佑那は浴室に逃げ込んだ。温かい湯船に浸かると冷え切った体がじわじわと温まっていく。同時に押し寄せてくる自己嫌悪と羞恥心。いくら感情が昂っていたとはいえ、子供のような癇癪を起こしたことが今更ながら恥ずかしくなる。
帰れないのは魔王に捕らえられているからだけではないのに。
佑那のため息が浴室に響いた。
顔を合わせるのが気まずく、いつもより長めに入浴して部屋に戻ると魔王の姿はない。ほっとしながら、佑那は早々に休むことにした。久しぶりの外出と癇癪を起こしたせいで、ひどく疲れている。ベッドに横になると時間を置かずに佑那は眠りに落ちていった。
ようやく、というかむしろ今更ですか。
姫が帰りたがっているという話を聞いた時、アーベルはそう思った。攫われてきたにも関わらず悲嘆に暮れるわけでもなく、かといって無理に気丈に振舞っているわけでもなく、当たり前のように日々を過ごす姫を内心不審に思っていた。ミアとも気安く雑談に興じる様子を見て、陛下の選んだ相手だからそれなりに豪胆な人間なのかもしれない、と自らを納得させていたのだが。
攫われてきた姫の立場からすれば無理もないが、主の望みとは相容れない。当然叶うはずもないが、陛下は先ほどから思案しているようである。紙に何かを書き留めると、アーベルに無言で手渡した。
「これは……?」
そこに書かれた素材は珍しいものではないが、何故主がこれらを必要とするのか見当もつかない。疑問に思いつつも、主の命を果たすためアーベルは使いをやることにした。
目覚めたときの気分は最悪だった。覚えていないが、とても嫌な夢を見た気がする。肩を揺すられて一気に現実へと引き戻された。
「大丈夫か?」
全身がだるく、頭も痛い。明らかに風邪の症状だった。久しぶりの外出だったし、寒空の下で感情的になりすぎた。帰りに寒気を感じていたのは気温のせいではなく風邪の前兆だったらしい。
「寝ていろ。すぐ戻る」
佑那の様子を見て短く告げると、魔王は足早に部屋から出て行った。それからすぐにアーベルを連れて戻ってくると問診と検査などを一通り行う。アーベルは持ってきた薬草を調合して薬湯を作ると佑那に差し出した。手渡されたお椀の中身は深緑をしていて、見るからに苦そうである。口元に近づけると漢方薬のような独特な香りが漂う。
「……!」
一口含んだだけ思わず噎せてしまった。
めちゃくちゃ苦い!!
「薬湯ですからね。苦くなくては効果がありません」
思わずアーベルを見ると涼しい顔であっさりと言われた。
魔王からの視線を感じるが、昨日の一件から目を合わせることができない。涙目になりながらも何とか全て飲み下すと、別の器が差し出された。
「これは大丈夫だ」
魔王から差し出された器を受け取り、恐る恐る飲むと爽やかな甘さで果実を絞ったものだと分かった。口の中に残っていた苦みが和らいでいく。
「……ありがとうございます」
空になった器を返しながら、俯いたまま礼をいった。安静にするようにと言い残してアーベルは部屋から出て行ったが、魔王はベッドの隣に腰かけたまま佑那に視線を向けている。
「あの、あまり見られていると休みにくいのですが…」
「気にするな」
遠慮がちに告げたが、きっぱりと返された言葉に佑那は心の中で毒づいた。
気になるわ!
だがこういう時は何を言っても無駄だということは経験済みだ。そもそも話す気力もないので仕方なく目を閉じる。
大事にされているとは思う。けれど自由を奪われた状態であるため、どうしても所有されているという事実を意識させられる。自分を小動物と同様だと感じたのはそういうところだろう。もやもやするのは監禁されていることなのか、想いを告げられたことなのか。
私はどうしたいんだろう?
熱のせいで頭がはっきりしないし、寒気が止まらず身体を縮こませる。
考えに耽っている間に衣擦れの音が遠ざかって、魔王が部屋から出て行ったのが分かった。部屋が急に静けさを増し、何だか心細くてたまらない。
昨日からどうも感情的な自分に呆れてしまう。
休みづらいと言ったのは自分なのに、いなくなると寂しく思うなんて…。
再びドアが開く音がして、毛布の重さと暖かさが増した。佑那が寒がっていることに気づいて、用意してくれたようだ。魔王が傍にいる気配がして佑那は何だか安心した気持ちで眠りに落ちた。
目が覚めた時にはまだ体にだるさが残っているものの、頭痛や寒気は収まっていた。熱も微熱程度に下がったようだ。
「気分はどうだ」
魔王が額に手を置き、佑那の顔を覗きこむ。触れられた手の感覚を知っている気がした。熱で朦朧とした意識の中で、ひんやりとしたものが額や頬っぺたに触れて心地が良かったのを覚えている。
ずっとそばにいてくれたんだ……。
「…だいぶ良くなりました」
「顔が赤い。まだ寝ていろ」
熱のせいではないと思ったが、訂正せずに横になる。寝ている間に汗をかいたせいで、喉が渇いていた。
「すみません。水を頂いてもよいですか」
魔王は頷くと佑那から手を放し、部屋を離れる。たくさん眠ったはずなのに、横になった途端瞼が重くなって目を閉じる。魔王が戻ってきたら起きよう、と思っていたのにサイドテーブルに何かを置く音が聞こえても夢と現実の間を意識が彷徨う。
億劫さと喉の渇きを天秤にかけていると、柔らかいものが唇に触れて口に何か入ってくる。思わず飲み込んだことで水を飲ませてくれたのだと分かった。
冷たくておいしい。
再び水を与えられた時、ふと疑問が湧いた。
あれ?どうやって、飲ませてくれているのだろう?
目の前に魔王の顔を認めた途端、口に含んだ水を喉に詰まらせそうになった。
道理で柔らかいわけだ…って違う!
慌てて体を起こそうとすると、魔王に止められる。
「あの、自分で飲めますから!」
「まだ完治していないだろう。アーベルが安静にさせよと」
「水を飲む間くらい、起きても大丈夫です―…っくしゅん!」
タイミングが悪かったおかげで、肩までしっかりと掛布を引き上げられてしまった。
「まだ飲むか?」
水は飲みたいけど、普通に飲みたい!
一応水分補給はできたものの、脱水症状を起こすのも怖い。どれぐらいの時間眠っていたか分からないが結構時間は経っていると思うし、まだ喉が渇いている。
葛藤の末、佑那は魔王から目を逸らしたまま小さく頷いた。
人工呼吸と同じことだよね。
唇の感触をはっきりと感じながら、多分まだ熱が残っているから冷静な判断が出来なくても仕方ないのだ、と佑那は自分に言い聞かせていた。




