12 寝不足の原因
ミアがいなくなってしばらくソファーに突っ伏していたが、気を取り直して今日借りてきたばかりの本を読み始める。魔王が何を考えていようが出来ることをするしかないのだ。今のところ、救世主の伝承に該当するような本に辿り着いていない。救世主が魔王と相対したのかは定かではないが、何かしらの影響を与えたことは間違いないのだから記録が残っていてもおかしくないと思う。
もし、元の世界に戻れなかったらどうしよう……。
この世界に来てずっと抱いていた不安だった。ウィルにもグレイスにも聞けなかったし、彼らも佑那に告げなかったから、その可能性は高いことに佑那はもう気づいている。帰れないと思うと心細くてたまらなくなるから考えないようにしているだけだ。
こんなに長期間連絡が取れていないのだから、家族や友人はきっと心配しているだろう。
幸いにもこの世界にきてから不自由のない暮らしを送れているが、常に綱渡りのような不安定な立場に置かれている。
いや、自由がないから不自由な状況なのか?
言葉遊びのような考えに思わず笑いがこぼれた。笑える余裕があるならまだ大丈夫だ。そう思って頬をペチペチと叩いて自分を鼓舞する。
「大丈夫」
「何のことだ?」
背後から急に声が聞こえて、びくりと身体を強張らせた。振り向くといつものように感情の読めない顔をした魔王が背後に立っている。いつの間に部屋に入ってきたのか、全く気付かなかった。
「…いつからいらっしゃったのですか?」
「そんなに前ではない」
せめて声掛けてくださいよー!本気で驚くから。
文句を言う訳にもいかずに言葉を飲み込む。ここは彼の部屋なのだから、佑那が文句を言える立場ではない。魔王は黙って佑那の隣に腰を下ろす。お茶の時間でもないのに部屋に戻ってきたということは何かあるのだろうか。
「あの、何か御用ですか?」
「何が大丈夫なのだ?」
あ、そういえばさっきも聞かれてたっけ。
「いえ、たいしたことではありません」
言っても仕方のないことだ。帰りたいと願ったところで彼がどうにかしてくれるわけもないし、口にすることでむしろ辛さが増す気がする。
おもむろに魔王が手を伸ばし、佑那の首筋に触れる。
「っ!」
冷たい感触に思わず身を竦めた佑那に魔王は淡々とした口調で尋ねる。
「装飾品は好まぬか」
「えっ、…いえ、そういうわけではないのですが、普段あまり身に着ける習慣がないので」
ドレスは初日のうちに大量にワードローブに並べられたが、ここ数日はネックレスやイアリング、ブローチなどのアクセサリーを手渡されていた。見る分には綺麗だが、邪魔だし失くしてしまいそうだからとそのままにしている。
魔王が僅かに目を眇めたことで、佑那は自分の失言に気づいた。
王女だったら普段の生活で装飾品の一つや二つ身につけているはずなのに、うっかり素で答えてしまった…。
「他に必要なものは」
「ありません」
内心焦っていたため間をおかず、不自然なほどに即答してしまった。取り繕うとすればするほど、ボロが出そうな気がする。
二人の間に沈黙が下りた。気まずさを誤魔化すために佑那は何事もなかったかのように、そのまま本の続きを読むことにした。魔王と会話するとどうしても色々と考えることが多くなるし神経を使う。何か言われるかと内心ドキドキしていたが、ページをめくる音や衣擦れの音以外何も聞こえない。
すぐ隣に魔王がいると思うと集中力も落ちてきて、だんだんと眠くなってきた。ここに来て以来、慢性的な睡眠不足を抱えている。何故なら夜はいつも魔王に抱きしめられて眠る羽目になったからだ。
最初は結婚していないことを理由に断固拒否の姿勢を示したが、逃亡防止のためと却下されてしまった。それならばいっそ縄か何かで縛ってもらおうかと思ったが、そうすると万が一危険な状況に陥った時になんの抵抗もできなくなってしまう。しぶしぶ魔王に従うことにしたが、そんな状況で熟睡できるはずもない。
夜中に少しでも距離を取ろうとすると、逆に強く抱きしめられることになるということを学習してからは大人しくしているのだが、寝心地の悪さは変わらない。
誘拐犯と添い寝とか、ハードル高すぎなんですよ、まったく。
埒もないことを考えながら欠伸をかみ殺すと、ふいに肩を引き寄せられる。咄嗟に体勢を立て直そうとしたが、魔王の言葉を聞いて動きを止めた。
「少し休め」
何をされるのかと身構えたが、どうやら佑那の眠気を察して肩を貸してくれたようだ。
寝不足なのはあなたが原因なんですけどねー。
少し迷ったが眠いのは事実だし、これまでの経験上どのみち聞いてはくれないだろう。それならば眠れなくとも本に集中した目を休ませたほうがよい、と判断して佑那は目を閉じた。頭にそっと手を置かれた感触があり、ぎこちないながらも優しく撫でられる。
あ、気持ちいいかも。こういう風に撫でられるの久しぶりだけど、やっぱりペット扱いなのかなー?
そんなことをぼんやり思っているうちに佑那は眠りに落ちていった。




