忍び寄る闇(フィーリア)
リュシアが突然の睡魔に襲われベッドの中で寝息を立てるちょうどその頃。
雲が空を覆い星の光も届かない薄暗い夜。学院の中庭のベンチに一人生徒がいる。重力に負けたのか上半身だけベンチに横たわった状態で眠っているようだ。そんな彼女、フィーリアはむにゃむにゃと口を緩ませていたがやがてパチリと目を開いた。
「あれ?え?夜?え、今何時?」
半身を起こし辺りを見回すが自分以外の人気がない事に気が付き、少女は立ち上がる。
「寮!閉まっちゃう!」
そう叫びながらフィーリアはものすごいスピードで走り始めた。
放課後なんだか急に眠くなり少しだけ休むつもりだったのにどういうわけか夜になっていたのだ。寮の消灯時間には間に合うだろうか。一晩野宿はできなくもないができればベッドで休みたい。
入学して間もない頃は慣れなかったふかふかのベッドが今では手放せなくなったフィーリアは駆け足で女子寮に飛び込んだ。
幸い扉は施錠されておらず開いた。どうやら消灯時間には間に合ったようだ。安堵の息を吐いてすぐに彼女は不思議そうに首を傾げた。まだ消灯前の筈なのに寮内が暗いのだ。
まあ気にすることでもないだろうと彼女は掌を上に向け、炎を出す魔法を使おうと試みた。これは基礎的な魔法で学院で教わってからは何度も練習し、今では難なく使いこなせるのだが。
「あっれ?間違えたかな」
何度か試してみるが炎は灯らない。いつもならばオレンジ色の炎が掌の少し上に現れるのだが。
明かりのない寮内は真っ暗なようでいてそれでもなんとか様子がわかる。それでも灯りがないとまるで館内全体が闇色の靄に包まれてしまったかのようだ。
それでも自室へ向かう為の階段がある方向はわかる。これならば部屋に行くのも問題ないだろう。
フィーリアは気にすることなく足を進めいつものように螺旋階段を一段一段上っていく。
(あれ?)
途中足を止めた。何かが聞こえた気がしたのだ。しかしそれは気のせいだったようだ。彼女は再び歩き始める。
そしてまた立ち止まる。
誰かの足音が聞こえたような気がしたのだ。耳を澄ませてみるがやはり何も聞こえない。
「気のせい、気のせい」
小声で呟き、ふうと息を吐く。昔彼女が子供の頃森で迷子になった時も真っ暗だった。心細くて、どうすればよいかわからなくて……。でもその時は奇跡が起きたのだ。後に聖女様の力だと知った優しい光が帰り道を教えてくれた。その時のことを思い出し、フィーリアは祈りをこめてみる。しかし闇は闇のままだった。
再び階段を上り自室のある階につき部屋に向かって進んでいく。暗闇がさらに濃くなったような気がして彼女は慎重にゆっくりと足を進めていく。
……パタッ、タッタッタ……
誰かの靴音が聞こえる。今度こそ勘違いではない。
フィーリアは振り返るが廊下は闇に包まれて何も見えない。余計なことは考えないようにしながら足を進めると後ろからカツン、カツンと音が聞こえる。足音だ。
「誰かいますかー。いませんよねー、まさかねー」
小声で尋ねるが答えはない。いつもならば人の気配がする寮全体がまるで誰もいなくなったかのように静まっている。まるで廃墟に迷い込んでしまったかのように。
フィーリアは再び歩き始める。するとそれに合わせるように靴音もついてくる。
カツ、カツ、カツ……
やはり誰かいるのだ。
誰か、なのか、何か、なのかはわからない。たまらなくなりフィーリアは小走りになる。すると足音も速くなる。
間違いない、足音は自分を追っていると彼女は確信した。
「誰か、入れてください!」
すぐ近くの個室のドアを叩くが返事はない。
「誰か、開けて!」
他の部屋も叩いてみるも意地悪なドアは沈黙を返すばかりだ。
「誰か、助けて!」
カツカツカツカツ……
だんだん近づいてくる足音に助けを諦め、再び走り出す。逃げることに一生懸命な彼女は気づいていなかった、いつの間にか自室を通り過ぎていたことに。安全地帯への避難ができないことに焦るが回廊状の廊下をこのまま進めば遠回りになるが再び部屋には辿り着ける。
上がった息に耐えきれず、フィーリアは足を止め呼吸を整える。恐る恐る後ろを振り返るが足音は聞こえてこない。暗闇に目を凝らすが怪しいものは見えなかった。
これならば来た道を戻っても大丈夫だろうか。一歩二歩と慎重に進んでからはたとフィーリアは立ち止まった。もしもよくわからない何かが待ち伏せしていたらと、そんな想像をしたのだ。彼女は来た道を戻らず遠回りでも逆方向を進もうと決心し振り返る。
目の前にいた。
ソレと目が合った。
いや正確に目と言えるかはわからない。落ち窪み、真っ暗な穴が二つフィーリアを見ていた。
あまりのことに悲鳴も出せず、息を詰まらせる。
白いドレスを着て乱れた髪の人であるかもわからないソレはにいと口の端を上げ笑っているようだった。
我に返ったフィーリアは叫び声を上げ、踵を返し、一目散に走り出した。今度は部屋を通り過ぎないよう気をつけながらも全力で足を進める。またあの足音が追いかけてくる。
カツカツカツ
窪んだ目、歪んだように笑った口。もう二度とあの顔を見たくない。決して振り返らず一目散に部屋を目指す。
大丈夫、あと少しで自室なのだから。ようやく見えた扉に手をかける。
カツカツカツ
足音が近づいてくる。早く、早く、開いてと願いながらフィーリアは鍵穴に鍵を挿そうとするがうまくいかない。
カツカツカツ
なんとか鍵を回し、扉を開くと体を滑り込ませ部屋に逃げ込んだ。すぐに施錠するとフィーリアは安堵の息を一つき、そのまま床にへたり込んだ。もう大丈夫。怖いものは入ってこれない。そう思った時に床についた指が何かに触れた。
ぺちょり
何か水のような、いや水よりも粘性のある液体が指を、掌を濡らしていく。
「濡れてる?灯り、つけなきゃ」
立ち上がり部屋の灯りをつけようとした。しかし何も起こらない。部屋は暗いままだ。
フィーリアは魔法を使おうと炎の魔法を試すことにした。先程はうまくいかなかったが今度は灯りが灯った。しかしそれは普段と比べてあまりにも弱々しいものだった。それでもないよりはましだ。先程液体に触れた手を光にかざす。
「ひゃっ」
掌が真っ赤に濡れていた。
慌てて全身を確かめれば床についていたスカートの裾も赤く染まっている。
「なにこれ」
フィーリアは部屋の外に出ようか一瞬迷ったが、部屋の中を見ることにした。外に出てアレに会うのも嫌だったから。
しかし彼女はその選択を後悔した。ぼんやりとした灯りに浮かび上がった部屋の白い壁はべっちょりと赤い液体にまみれていた。そう、まるで血のような液体で染められていたのだ。
フィーリアはもう耐えられなかった。
「いや、いや、いやぁあああ!!!」
駆け出し部屋の外に出ようとと鍵を開けドアを開けようとする。
しかしドアはピタリとも動かない。
「なんで、なんで?」
鍵を間違って閉めたからかと試すがドアは開かない。
「開かない、開かない、開けて!誰か!開けて!」
フィーリアは何度も何度もドアを力強く叩き、大きな声で呼ぶが助けは来ない。まるで誰もいないかのように。
それでもフィーリアは叫び続けるのをやめることはできなかった。




