教育の時間(ルーナ)
学院から王宮へ向かう馬車の中、ニコニコ顔のアレスを前に王太子の婚約者は優しい笑みを浮かべている。何が嬉しいのかひっきりなしに語りかける男に適切な言葉を返す。頭の中は全く別な事を考えていたが。
ずっと昔から相手が何を望むのか見出し、望むように振る舞うことも、敢えてそれをしないこともできた、難なくと。
だからこれから始まる王妃教育も楽に対処できると思っていた。
「それじゃあ、頑張ってね」
「ありがとうございます」
少し笑みを見せれば顔を赤く染める男を見送り、ルーナは王宮内の部屋へと向かった。
「まあまあ、なんて愛らしいんでしょう」
うっとりとした顔で婦人が言葉を零す。紹介されたのはこれから王妃教育を担当する者だ。
おっとりとした、のほほんとした、といった言葉がぴったりな女だと思う。これならば御しやすいだろうと、そんな思いは全く顔には出さずに笑みを浮かべる。真面目で、素直そうに見える表情を。
「ホント可愛らしくて食べちゃいたいわ」
ヒトはヒトを食べないのではなかろうかと思いつつ、ルーナが笑みを崩すことはない。
「お褒めに預かり光栄ですわ」
そのまま丁寧にお辞儀をして見せれば婦人は優美に笑みを返す。これならば問題なくこなせそうだ。
「でもね」
婦人の言葉と共に部屋の空気が張り詰めたものに変わる。
「あたくし、教育中は厳しくいきますわ」
部屋の空気だけでなく、婦人の持つほわんとした雰囲気が一変し、その眼がくわっと見開かれる。
「ルーナ様、ここでは魔力の使用は禁止ですわ。その身にしっかり覚え込ませてくださいませ」
ルーナも部屋の異変に気がついた。試しに力を使おうと試みるが働かない。部屋に入った時から違和感があったが、どうやらこの部屋はある程度の魔力を無効化できるらしい。
少し思案したが大人しく婦人の言葉に従うことにした。力を使わずとも問題ないとその時は思っていたのだ。
ルーナが立てば、
「背筋を伸ばして!」
お辞儀をすれば、
「はい、そのまま保って!角度きっちり!まだですわよ、まだ!まだまだ!」
きつい体勢に表情を崩しそうになれば、
「表情が強張ってる!」
「疲れを見せない!」
「笑う!」
「歯は見せない!」
「上品に!」
「優雅に!」
次々と呪文のような言葉を浴びせられルーナは後悔していた、こんなことなら王妃の座など狙わなければよかったと。
決して表情には出さないようにしながらも。
日が暮れるまで行われた教育が終わること、ルーナの頭に浮かんだのは、帰りたい、ただただ帰りたいという切実な思いだけだった。
「お疲れ様でした」
教育中とは打って変わり、穏やかな笑みを浮かべ婦人が長い時間の終わりを告げる。
「ありがとうございました」
内心ではほっとしながらルーナもその身に刻まれた笑みを返す。
「明日はこれに加えて座学ですわ。お待ちしておりますわ♪」
明日もあるのか、明日だけでなくこの先もずっと。
こんなことならば……。思いを封じ込め迎えの馬車にルーナは乗り込んだ。今日は学院ではなく実家に帰るのだ。
力を使わなかったのに疲労と呼ぶに相応しいこの感覚、全身を巡る気怠さにため息を付くと、学院の寮にいるリュシアを思うのだった。
時系列としては歓迎会より少し前の話です。なお、リュシアはその頃ぷうぷう寝てると思います。




