悪役令嬢の好きなこと
この屋敷では珍しいことに、私の家庭教師も妹の家庭教師も私のことを邪険にしなかった。妹のことを生徒として好いていたが、同じように私のことも公平に好いていてくれる、と私は思っている。
ある時私の家庭教師が娘を連れて来てくれた。
私達姉妹より年上の彼女は優しい雰囲気で、ニコニコ微笑んで本を読んでくれたり、私達には珍しい町の様子を聞かせてくれたりした。
そして私にとってまた一つ好きなことが増えた。
彼女は裁縫を教えてくれたのだ。
ある日彼女は可愛い花の柄が入ったハンカチを私達姉妹に一つずつプレゼントしてくれた。その花はよく見ると糸で縫い付けて作られている。
しげしげと花を眺めていると、それが刺繍というものであると教えてくれたのだ。
「とっても綺麗ね」
うっとりとハンカチを眺めていると、彼女が裁縫を教えると申し出てくれたのだ。
縫い物ができるようになれば将来の仕事になるかもしれない。私はその提案に二つ返事で飛びついた。
「ルーナさんもどうかしら?」
妹ちゃんも声をかけられたが、とても嫌そうな表情で激しく首を横に振っている。針と糸を親の敵のように睨みつけている。そんな妹ちゃんの様子を見るのは初めてのことで、娘さんと一緒に声を上げて笑ってしまった。
妹ちゃんは顔を真っ赤にして膨れてしまい、けれどそんな表情もとてもチャーミングだった。
それから私はすっかり刺繍が気に入ってしまった。図鑑で見た花や鳥を思い浮かべ、糸で縫いとっていく。
思わず夢中になり過ぎて、気がつくと時間があっという間に過ぎている。
「おねえちゃま、私とも遊んで?」
刺繍をお気に召さなかった妹ちゃんが時々顔を覗かせる。
「ルーナも一緒にお裁縫しましょ?」
「ルーナ、お裁縫嫌い!」
プイっと顔を背けると行ってしまった。ルーナは卒なく何でもこなせる天才だからお裁縫だってその気になればできるにちがいない。でも苦手なことがある彼女もそれはそれで可愛いらしい。私は再び針を進め始めた。
そういえば前世の私がまだ小さかった頃、祖母がパジャマの背中の部分に刺繍をしてくれたことがあった。確か背守りというもので、祖母が孫の為に心を込めて刺繍をしてくれたのだ。
可愛い妹ちゃんが夜寝ている間も守られますように。うん、いい考えかもしれない。
私はルーナの寝間着に刺繍をすることに決めた。一針一針思いを込めて縫っていく。
私が刺繍をする一方、ルーナは乗馬に夢中だった。普段はおしとやかで、一見運動が苦手そうな体つきなのに、彼女は見事に馬を乗りこなす。
私は乗馬は苦手だ。それでも将来逃走に必要になるかもしれないので一応は乗ることができる。
最初の頃は馬に髪の毛を毟られそうになったが、その場にいたルーナが激怒し、何やら馬に言い聞かせるとおとなしく言うことを聞くようになった。
妹ちゃんはもしかしたら動物とも話せるのかもしれない。まるでお伽噺に出てくるお姫様みたいだな。妹ちゃんが歌えば、小鳥も歌う。妹ちゃんが踊ればうさぎも一緒に踊る。そんな光景を想像しながら、背守りを施していく。
刺繍に熱中していたらとっくに夕食時を過ぎたようだ。侍女が声をかけてくれなかったか、私が気がつかなかったからか、お腹がグーッと音を立てて自分が空腹であることに気がついた。
「はい、おねえちゃま」
そっとテーブルに置かれたのは温かな湯気が立つスープとパンだった。
「ルーナ、ありがとう」
妹ちゃんがごはんを持ってきてくれた。嬉しい!
目を輝かせながらスープを掬い口に入れる。ああ、五臓六腑に染み渡る……。
「おねえちゃま、美味しい?」
私がこくこくと頷くとルーナが嬉しそうに微笑んだ。
「おねえちゃまと夕飯食べたかったのにな」
もしかして妹ちゃん、寂しかったの?お姉ちゃんがいなくて寂しかったの?
「明日からは一緒に食べるわ。ルーナ、温かいご飯をありがとう」
私が微笑むと妹ちゃんは満足そうに微笑んだ。
食事の後再び刺繍に熱中してしまう。あと少し、もう少しと針を進めていき、最後に針に糸をくるくる巻きつけ、キュッと結んだ。
その夜、完成した背守りの入った寝間着を渡すとルーナはしげしげと刺繍を眺め、それから文様をゆっくりと指で辿った。
そして一瞬だけ無表情になる。もしかして好みに合わなかっただろうか。
でもそんな懸念はあっという間に払拭される。ルーナの頬はすぐに、ぱあっと薔薇色に変わり、それと同時に私にぎゅっと抱きついたのだ。
ふほー!天使が!抱きついてきた!!!鼻血が!出ちゃう!
「おねえちゃま、ありがとう」
耳元で囁かれた声がくすぐったくて、私の頬も真っ赤に染まってしまう。
お姉ちゃんが守ってやんよ!妹ちゃんを怖いものから、悪いものから、夜の闇から、お姉ちゃんが守ってやんよ!
妹ちゃんを抱き締め返しながら、私はそんなことを考えていた。
今夜これを着て眠りたいから、おねえちゃま着替えさせてと強請る妹ちゃんを宥めながら、私は眠りについたのだった。




