紅茶の波紋
食堂に並んだ長テーブルで生徒達が紅茶を片手にお喋りを楽しんでいる。王太子アレスは婚約者ルーナとの茶会が楽しいのか、いつも以上に饒舌である。
「来期は楽しみなことがあって……」
「アレス様っ!!」
口からポロリと飛び出しそうになる機密事項を慌ててジェロームが止めた。
2年目から聖女の力を宿す存在がこの学院に入学するのは極一部にしか知らされていない。例え王太子の婚約者といえど、これは極秘事項である。
そうは言ってもジェロームは未だに王太子が見つけた少女が聖女の力を宿すとは信じられないでいる。麗しく、成績優秀、王太子の傍に寄り添うルーナこそがその存在ではないかと彼は思っていた。
「あー、えっと、ルーナが王宮に来るのが、ね。今から楽しみなのだよ」
「うまくこなせるか心配ですわ」
「ルーナなら大丈夫だよ」
うまく言葉を誤魔化したようだ。口に含んだ紅茶よりも甘い雰囲気を感じながらジェロームは心の中で安堵する。
来期から婚約者ルーナの王妃教育もいよいよ始まるのだ。
一方、王太子アレス達がいるのとは別のテーブルでは。
ロザリーは紅茶の葉が入った容器を手にしたまま途方に暮れていた。安請け合いをし、皆の紅茶を淹れると申し出たが、紅茶など淹れたことはない。家が裕福で使用人がいつもやってくれるから、というわけではない。単純に飲んだことがないからだ。そんなわけで彼女は親友であるミラを巻き込むことにした。しかしミラも紅茶を飲んだことがないのは誤算だった。
しかし彼女は少し思案すると、匙で茶葉をドバアッと掬いポットへ放り込む。それを数回繰り返す。
「こういうのは多いに越したことないのよ、多分」
それから今度は慎重にちょろちょろとお湯を注いでいく。
ロザリーはミラの実は気弱なところがありながらも攻める時は攻める、そんなところが大好きだ。
とあることが原因で彼女は変わってしまったが、それでもミラは彼女にとって大切な親友だ。
暫く時間を置いて、試しに紅茶を注いでみると濃い色をした液体が現れた。でもまあきっとこんなものであろう、と彼女達は思ったのだ。
ロザリーはミラに感謝を伝え、皆のカップへ紅茶を注いでいく。そしてミラの隣に座った。
全員が席につくと王太子が音頭を取り、茶会が始まった。
海のないこの国で紅茶は貴重である。皆物珍しそうにカップを覗き込んでいる。
そして一口。
皆の表情が一変する。それでも紅茶とはこういう特徴的な味なのだと思い、何も言わない。そんな中、一人の生徒がロザリーの方を見て、口を開く。
「君さ、仮にも淑女ともあろう者が紅茶も満足に淹れられないの?」
強烈な渋さに若干涙目になりながら、ローランドは目の前に座るロザリーに言い放った。
その強い口調にミラの隣に座るオレリアはびくりと肩を震わせた。この学院で身分差はない、と言われているが貴族を怒らせた場合はどうなのだろう、と恐ろしく思ったのだ。
一方ロザリーはさて、何と言い返そうかと迷っていた。しかしその間にミラが口を開く。
「私、淑女じゃありませんから」
冷たく言い放ち、それから男を視界に入れぬようにしつつ、紅茶を一口飲む。そして彼女自身も眉を顰めた。なるほど、これは飲めたものじゃない。
そんな様子をローランドが5秒ほどじっと見つめていたことをミラは知らない。それから男は先程の口調とは打って変わった甘い声を出す。
「……もしかして、君が淹れてくれたの?」
「そうですが?」
因縁の相手につっけんどんに返し顔を背けるミラとは対象的にローランドの顔がみるみる赤く染まっていく。
そして彼は無言で紅茶を飲み干すと、隣に座るヴェネレのカップを断りもなく手にする。
「ちょっと、それ俺の!」
ヴェネレの言葉が聞こえないのか、あえて無視したのか、そのカップにも口をつけると飲み干した。他のカップも狙っているようだが、皆突然の奇行に警戒し、自分のカップを手でしっかり握り、防御する。
ローランドは満足そうにため息をつくと、ふらりと立ち上がり、ポットを手にしどこかへ消えた。暫くすると替えのカップも手にし、現れた。
そして一番にミラのカップに紅茶を注ぐ。
「君の淹れてくれた紅茶も個性が溢れ出てよかったが、こちらも試してみて」
先程の強い口調が嘘のように甘い声音で告げるが、ミラには嫌味にしか聞こえず、表情を硬くした。一方隣のロザリーは笑いを堪えている。
ロザリーは気づいていた。どういうわけだか知らないが、この男、ミラに好意を寄せているのだ。
今までもミラと二人中庭にいるとひょっこり現れ、それに気がついた彼女に避けられたり、話しかけたそうにしているが全く気づかれなかったり、とそんな姿を目撃していた。でも今日のことでロザリーは確信した、ローランドはミラのことが好きなのだ、と。
ミラは彼の気持ちに全く気づいていないし、過去に彼が仕出かしたことで、彼女は彼を嫌悪しているのだが。
ミラが変わってしまったのはこの男が原因なのだ。全力でその恋路を邪魔してやろうとロザリーは改めて思うのだった。
そんなローランドの淹れた紅茶を戸惑いながらもミラはついに一口含んだ。
「……美味しい」
彼女は周りに聞こえるか聞こえないかの小声で呟いたのに、目の前の男がへにゃりと破顔するのをロザリーは見てしまった。
紅茶を吹き出しそうになるのを堪えながら、絶対にミラをあの男から守ろうと改めて心の中で誓うのだった。




