悪役令嬢とスパルタな放課後
授業の終わりを告げる鐘の音、それはスパルタ訓練開始のゴング。しかし私は思ったのだ、逃げちゃえと。この後ろの席特典をいつ使うのか、今でしょ!そーっと教室の扉を開き、脱走を試みた。
扉を開けるとルルディさんがいた。
へ?なんで。さっきまで教室の一番前の席にいましたよね、あなた。まさか瞬間移動とかできるタイプなの?!
「リュシアさん、特訓の時間ですわ」
満面の笑みを浮かべたルルディさんがむんず、と私の腕を掴む。
「あ、教室に忘れ物が」
言い訳をして教室に戻ろうとする私。しかし瞬時に首根っこを捕まれて、身動きがとれない。手足をばたつかせて抵抗を試みるがびくともしないのだ。
あ、ルーナと目が合ったぞ。口をぽかんと開けて私とルルディさんを交互に見比べている。そんなお顔も可愛いです。でも、たーすーけーてー。心の中で叫んでみるがルーナは目をぱちくりさせるばかりだ。ルーナの隣にはマルグリットさんがいて小馬鹿にするような笑みを浮かべている。
「特訓が終わるまで絶対に帰しませんからね」
そう言い放ったルルディさんに私は引きずられるように中庭へ連れて行かれたのだった。
放課後の中庭にはお喋りに興じる者、読書に勤しむ者、それぞれが思い思いの時間を過ごしている。そんな中庭の一画で異様な雰囲気を放っている三人がいた。勿論、私とルルディさん、そしてソフィアさんである。
ルルディさんは仁王立ちになって私を見据えた。
「では今日の特訓を始めます」
ふぁい、帰りたいです!そんなやる気のなさがダダ漏れになっていたのか、ルルディさんが厳しい視線を送ってきた。
「リュシアさん、お返事は?」
「ふぁいっ!」
おっと、ルルディさんの眉間に皺が寄ったぞ。
これはあかん。真面目にやらないと大変なことになりそうだ。
「ハイ!ガンバリマス!」
私の取り繕った返事に彼女は満足そうな笑みを浮かべた。よしよし、この調子で頑張って早く帰らせて貰おう。
「足は肩幅!背筋はピンと伸ばす!」
指示を出しながらルルディさんも美しいな姿勢になった。まるでいいところのお嬢様のようだわ。いや、彼女はお嬢様そのものか。
ところで魔法と姿勢は何か関係あるのでしょうか。
「息を吸って。はい、ゆっくり吐いてー」
あの、魔法に呼吸は関係ないですよね?
「目を閉じて、無を感じて」
無、無とはなんだろう。むむむ、夕ご飯は何かな。むむむむむにゃ、いい感じに眠くなってきた。
「喝!」
耳元でいきなり大きな声を出されたぞ。わー、びっくりした。これってお寺の修行的なやつですか?違うのですか?
ルルディさんは小さくため息をつくとパンパンと手を打った。
「準備はいいことにしましょう」
「ふぁいっ」
「では風の魔法を使ってみて」
「は、はい」
さっきまでの一連の流れは準備運動みたいなものだったのか。
私は意識を集中させ、手のひらに魔力を送る。やがて手のひらの上の空間、宙に小さな風が起きる。
「ふむ、基礎魔法は問題なさそうね」
ルルディさんが、満足そうに頷いた。
「ええ、大丈夫かと……思います」
屋敷では大丈夫じゃなかったけどね。でもそれを教えたら特訓時間を増やされる気がする。黙っていようっと。
ルルディさんは私の目を見ると、次の指示を出した。
「では魔力を強めてみて」
「魔力を強める?」
その指示に私は固まってしまう。また昨日のようにコントロールできなかったらどうしよう。暴風を起こして、ルルディさんやソフィアさん、中庭にいる他の生徒たちを巻き込んでしまったら。
私の強ばった表情に気がついたのか、ソフィアさんが口を開く。
「リュシアさん、リラックスしてみて。もう一度深呼吸をしてみて」
深呼吸ですか?ひっひっ、ふー、ひっひっ、ふー。
あれ?ルルディさんとソフィアさんが珍獣を見る目をしているぞ。
「リュシアさん、普通の呼吸でいいのよ?」
ソフィアさんが苦笑いをしながら助言してくれた。
あ、呼吸、うん。すーーー、はーーー、すーーー、うん、空気が美味しいな。
「そうしたら基礎魔法を使ってみて」
ソフィアさんも一緒になって風の魔法を使ってくれた。彼女の手のひらに柔らかな気流が発生する。よし、私も風の魔法を発動させたぞ。
「次に流れ出る魔力に意識を集中させるの」
うん、体の内側から魔力が出ているのはわかる。
「体から流れる力を少しずつ、少しずつ、外に出していくの。いきなりはダメよ」
ソフィアさんはそう言いながら手のひらの風の力を強めていく。柔らかい風が徐々に強くなっていく。前世で言うところのハンドドライヤー位の風量だ。
「少しずつ、少しずつ」
口の中で唱えながら私も真似してみる。すると少し強い気流が生まれた。やがてそれは前世のヘアドライヤー位の風量になった
「リュシアさんならもっと強くできる筈です」
ソフィアさんはさらに風を強めたようだ。周りの木々が木の葉をざわめかせる。私も真似をして力を強めようと試みた。
あれ?何も変わらない。
「リュシアさん、どうしたの?」
「あなたの魔力はそんなものではない筈よ」
二人は期待に満ちた眼差しで私をみつめている。そんなキラキラした瞳で見ないでください。
私はもう一度体を流れる力に意識を向ける。
むむむ、おかしいな。
「こ、これ以上強くならないみたいです」
私が小さい声で呟くと、二人は目を見開いた。
「そんな筈ないわ。あなたの昨日の魔力はすごかったもの」
「リュシアさんの力、素晴らしかったです」
私はそれから何度も何度も今以上の魔力を出そうと試みた。しかしいくら強めようとしても、これ以上の力は出てこない。
どうしてだろう。情けなくて涙が出そうになるが、みっともない姿を見せるわけにはいかない。涙が零れないように唇を噛み締めた。
「今日はここまでにしましょう」
ルルディさんがそう言うと、私の肩を軽くポンと叩いてくれた。
「リュシアさん、お疲れ様でした」
ソフィアさんも柔らかな笑みを向けてくれる。
そんな二人の優しさがありがたい。だからこそ、駄目な自分が許せなくなる。魔力を使えなかったり、暴走させてしまったり、役立たずだ。魔法も扱えない貴族なんているのだろうか。
「私はどうしてここにいるのかしら」
ぼそり、と呟いた独り言はルルディさんに聞かれてしまったらしい。
「しっかりなさい!あなたは自分でこの学院を選んだのでしょう?」
ルルディさんが私の肩をつかみ、叱責する。その真剣な眼差しに圧倒されてしまう。
私は選んだのだろうか。私は逃げているだけなのではないか。思わずルルディさんから目を逸らそうとしたが、彼女の温かな手のひらが私の両頬を優しく捕らえる。私は彼女の真っ直ぐな眼差しに目を離せなくなってしまった。
「今日が駄目でも明日が、明日が駄目でも明後日が、明後日が駄目でもその次があるのです!」
ルルディさんはそう言うと優しく微笑みを浮かべた。そしてもう一言付け加えた。
「ですから、リュシアさん。明日も特訓しましょうね」
そ、それはご勘弁願いたい。そう思ったのに彼女の熱量に圧倒され、思わず小さく頷いてしまった。
ルルディさんはそんな私ににっこりと満面の笑みを返したのだった。




