悪役令嬢と魔法の力
読書を終え、少し早めに教室に戻るとフェルナン君が声をかけてくれた。何でも家の商品の余った刺繍糸を貰ってほしいという申し出があったのだ。
「本当に頂いていいのかしら」
「うん。リュシアさんに使って貰えたらこの糸たちも喜ぶと思うんだ」
そんな嬉しいことを言われた。ありがたく使わせて貰おう。
本鈴が鳴り、授業が始まる。
「皆さん、お腹は満たされましたか?眠くなってませんかー?」
さっきまで本に集中していたからか私は眠くない。あ、先生が教室の窓際の列をじーっと見てるぞ。
ちらりとそちらを見れば、王太子様と軽薄ローランドが既に船を漕いでいる。イリスさんと腰巾着君がそろって隣の肩をつついている。おお、起きたようだ。寝るの早すぎだろ。
「いいですか、基礎魔法と言えども侮ってはいけません。力の強さを緻密にコントロールすることが大切です」
教師はそう言うと右手のひらの上にクシャクシャと丸めた紙をのせた。
そして風の魔法を唱える。最初はふわりと宙に浮いていた紙がやがて天井近くまでふわっと浮き上がる。
「ただ力を出すだけでなく、用途に合わせて力を調節していくのが大事です」
力の強さを変える。これは難しそうだ。そもそも魔力が低かった私は力を出すのに精一杯でコントロールなんてしたことはない。常に全力投球だ。
「ではそれぞれやってみましょう。好きな魔法でいいですから、力の強弱を意識してみてください。私は皆さんの様子を見ていきますからね」
そう言いながら教師は窓際の列を二回くらい見ている。うん、起きてる起きてる。眠そうだけど。
基礎魔法は難なくこなせるクラスメイト達もコントロールには慣れていないようだ。
威力が強すぎて吹き上がる水で顔がびしょ濡れになる者、突風を巻き起こし自分だけでなく周りの席の紙まで吹き飛ばす者、水に濡れた顔を風の力で乾燥させようとして髪がボサボサになる者。見ていて面白い。
とは言え、私も彼らを笑ってはいられない。
意識を集中させて、まずは手のひらから炎を出す。
力のコントロール、とはどういうことだろう。
小さくなあれ、小さくなあれ、と心の中で唱えてみる。しかし、そういうことではないようだ。炎はぷすりと音を立てて消えてしまった。
横目でルーナを見ると片手で水の魔法を使い、ミニ噴水のように水を吹き上がらせている。噴水の勢いが強まったり弱まったりして美しい。
「ねえルーナ、見て見て!」
おや、ワンコが尻尾を振っているぞ。王太子様によく似たワンコだこと。いや、アレス様だ。ルーナを手招きして、自分の席の方に呼んでいる。
「あら、アレス様。どうなさったの?」
ルーナは可愛い声で尋ねるとアレス様の元へ行ってしまった。
私はそちらを見ないようにしつつ、耳だけはしっかり向けておく。気になるもの。
「美しいルーナに魔法をかけてあげる」
なんですと?!うちのルーナに変な魔法かけるつもりか。私は我慢できず、そっとそちらを見る。
するとアレス様が紙をふわりと浮かせた。それは二つの三角形の頂点と頂点を重ねたような形、の紙だ。それがひらひらと動いている。
「まあ、蝶々ね」
ルーナがうっとりしたような声色で告げると、王太子様が満足げに微笑んだ。そして芝居じみた台詞を告げる。
「美しいルーナに魅了された蝶々は」
今度は先程の紙より少し小さい紙の蝶がいくつもふわふわと浮き上がる。まるで大きい蝶と小さい蝶が空を飛んでいるようだった。
「空高く舞い上がり」
そして今度はルーナの手のひら近くで蝶を遊ばせる。
「あなたの元に」
いつの間にか王太子とルーナの周りにはクラスメイトが集まっていた。綺麗、素敵、さすが王太子様、との声にまんざらでもなさそうな表情だ。でも私は見てしまった。イリスさんの机にたくさんの千切られた紙片があることを。あの蝶全部作ったのイリスさんだよ!
「アレス様、魔法もお上手ですのね。素敵ですわ」
ルーナの言葉にアレス様は顔を真っ赤にさせた。
で、リア充を爆発させる魔法はいつ習うのだろうか。
私も負けてはいられない。
集中、集中!まずは雑念を払おう。
目を閉じて、意識を集中させる。
手のひらから炎を出す。うん、ここまでは大丈夫。
力を調節する。力を。
力を込めて、込めて、込めて……。
あれ?
なんか、熱くない?
ん?
誰か叫んでるぞ。
「目を開けて!リュシアさん!力を弱めて!コントロール!」
ああ、先生の声だ。
焦ったような教師の声に目を開くと、なんか大きな炎が目に入った。
私の手のひらの上の炎は知らぬ間に教室の天井まで届きそうな大きさになっていた。
はへ、ほ?え?やばい、火事だ。
え?これどうしたらいいの?どうやったら消えるの?
炎はパチパチと音を立て、勢いよく燃えている。
怯えた顔のクラスメイト達が後退っていく。あ、ロザリーさんとオレリアさんが心配そうな顔でこっちを見ている。
先生は生徒を庇いながらも、慌て過ぎで、「コントロール!コントロール!」と叫ぶばかりだ。
コントロールってどうやるのー?泣きそうだ。
あ、ヴェネレさんが飛び出そうとするフェルナン君を後ろに庇いつつ、何か助けになる魔法はないかと詠唱している。ソフィアさんも水魔法を発動させてくれたが、焼け石に水だ。
私も体から力を抜こうとする。しかし、うまくできない。
体の奥から勝手に力が出てくるのを止められない。
その時、凛とした声が聞こえた。
「お姉様」
皆が怯え、慌てている。
そんな中、一人無表情のルーナがこちらに向かってくる。
教師の静止の声を物ともせず、まっすぐに私の方へ。
そして私に対峙すると呪文を唱え始めた。
瞬間、大きな水の壁が現れた。
私と炎を水の壁が包み込む。
う、もがっ。口の中に水が入って、ぶくぅ。
だがそれも一瞬のことで水が消えた瞬間、体を温かな風がふんわりと包む。
気がつくと濡れた体が一瞬で乾いていた。
そして炎も消えていた。
ルーナはふっと笑みを浮かべ、私をみつめた。そして、そのまま私の体にしなだれかかるように倒れてきた。
「ルーナ、ルーナ、大丈夫?」
慌てて彼女の華奢な体を抱きしめた。そのまま床にしゃがませる。
あ、おでこに温かな感触。
「無事でよかった、ですわ、リュシア」
その温もりの後、耳元でそっと囁くように言われて、私はルーナをもう一度強く抱き締めた。
「リュシアさん、ルーナさん、お怪我はありませんか?」
あ、先生。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。クラスメイトの皆さんも驚かせてすみません。
「ご迷惑をお掛けしました。皆様はお怪我などないでしょうか」
ん?あれ?ん?
先生、クラスメイトの皆様、どうして珍獣を見るような好奇の目をしてるのでしょうか?
そして私は思い出した、おでこの温かな感触を。
それは、ルーナのキス……。
あれ?もしかしてですが、私がキスをされた様子、皆さん、見ちゃいましたか?
ふおおおおおおお!!!
忘れてくださーーーい!!!
ちょっと、忘却の魔法とかないんですかー?
未だ私の体に抱きつくルーナを離すこともできず、私は心の中で叫ぶのだった。




