悪役令嬢は壁の花?
この国では、10歳になる貴族の子どもたちの為に王宮で特別な舞踏会が開かれる。
それは堅苦しくないダンスパーティーで、この日を楽しみにしている子ども達は多い。特定の相手がいなくても、当日会場にいけば、自由に踊れる仕組みだ。勿論お相手が既にいる人はパートナーとダンスを楽しめる。
私達姉妹も以前から嗜みとしてダンスを教わっていた。妹ちゃんは飲み込みも早く、あっという間に優雅に踊れるようになった。一方の私は足がもつれたり、転んだりとかなり苦戦した。
だって前世でダンスなんて踊らなかったもの。私が踊れるのは盆踊りだけだ!そんな悪戦苦闘の月日を重ねて、どうにかこうにか一応踊れるかな?といったレベルに迄上達したのだ。
私、頑張った。それ以上にダンスの先生がめちゃくちゃ頑張ってくれたのだが。
そんな初めての舞踏会の為に両親がドレスを作ってくれた。
妹ちゃんには優しい月明かりのような色のドレス。薄黄色と金色のドレスはまるで月からやって来たかぐや姫、いや月の女神様の為の物のようで、ルーナによく似合っている。
一方、私のドレスは黒のような暗い青色でまるで夜の闇のようだ。ザ・悪役令嬢って感じの色味だな。もう少し明るめの色の方が印象良く見えると思うの。でもこの色、可愛い妹ちゃんがめっちゃ映えるわね。うん、悪くない。
髪の毛も美しくまとめて貰い、気分だけはお姫様である。
既に支度を終えた妹ちゃんが私を見て、少し微笑んだ。
「おねえちゃま、とっても綺麗よ」
目をうっとりさせて耳元でそう囁いてくれた。
妹ちゃんが褒めてくれたこのドレス気に入りました!一生大切にします!家宝にします!!!
普段は堅く閉ざされて入ることができない王宮の門を馬車がくぐり抜ける。
ふおー!お城だ!宮殿だ!かっちょいい!
妹ちゃんは何度か訪れているけど、私は初めての訪問だ。
まずは王様、王妃様、王太子アレス様にご挨拶する。なんとかそつなくこなせたが、内心ではガッチガチに緊張していた。だって前世なら天皇皇后両陛下に挨拶する機会なんてないし。はー、口から心臓が出るかと思ったわ。
王、王妃様は優しそうな雰囲気で、にこやかに話しかけてくれて安堵した。
挨拶を終えると、王太子様がめちゃくちゃソワソワしている姿が目に入る。顔が真っ赤だ。
わかる、わかるよ、アレス様。妹ちゃん、今日はいつも以上に可愛いもんね。
王太子様は王様に何か告げて、ルーナの前に近づいた。
「美しいルーナ、どうか僕とダンスを」
「まあ、アレス様。喜んで」
おお、青春だ。甘酸っぱいやつだ。ニヤニヤしちゃいそうになる顔を必死にこらえる。
美しい顔で微笑んで礼をし、王太子様の手を取るルーナ。
程なくして優雅な音楽が流れ、アレス様とルーナが踊り始めた。そして招かれた小さな紳士淑女達も後に続く。
私はそんな光景からそっと距離を取り始めた。すると王太子様の傍にいた同じ年頃の少年がこちらに近づいてきた。あら嫌な予感。
「ルーナ様のお姉様ですね。初めまして、イリスと申します」
騎士様、ご丁寧な挨拶をありがとうございます。でも近寄らないでください、とは言えない。
「初めまして、ルーナの姉、リュシアと申します」
「よかったら、一緒にダン……」
相手が言い終わらないうちに、私は駆け出した。あっちの部屋におやつがあるって聞いてたのだ。おやつ!おやつ!花よりダンスより団子!団子はないけどお菓子食べたーい!淑女としてどうなのかという振る舞いだが、マナーよりも命大事なのだ。
断罪、ダメ、ゼッタイ!
ダンスホールの隣の部屋には軽食が用意されたスペースがあった。
本当はアレもコレもソレも全部食べてみたいが、さすがに皿にてんこ盛りにするのはやめておこう。
焼き菓子をいくつか皿に載せ、部屋の隅でいざ実食タイム!むふふ、美味しい。思わず顔がにやけてしまう。
菓子を堪能しているとふと視線を感じた。そちらに目をやると、こちらを興味深そうに眺めている少年がいた。
爽やかそうな顔立ちで、ちょっとふっくらしていて愛らしい。お菓子が気になるのかな?お、近づいてきたぞ。
「こんばんは、美しいお嬢様」
挨拶をしてくれた少年はヴェネレと名乗った。
こんばんは、そして、さようなら、ヒロインの攻略対象君。
「そのお菓子、気に入られましたか?僕の家で扱っているんですよ」
ちょっと得意気に説明してくれる。ええ、あなたのおうちは商社みたいな所ですものね。
「中に入った果実が珍しいですわね。とっても美味しいですわ」
そう言いつつもどこへ逃げようかと視線をキョロキョロさせる。少年がこちらに目を合わせ、にっこり微笑み、口を開いた。
「お嬢様、僕と踊っ……」
するとその言葉を遮るように聞き慣れた声が耳に飛び込んだ。
「もう、お姉様ったら、こんなところにいらしたのね」
おお!助けに来てくれたのか妹ちゃん!
「あら、ルーナもおやつをいかが?とっても美味しいのよ」
私はこれ幸いと皿をルーナの手に載せて、ススス……と後ろ歩きで遠ざかる。妹ちゃん、珍獣を見るような目つきをしないでください。お姉ちゃんはサバイバルに勤しんでいるのだ。
妹ちゃんと別れてから私が向かったのは開放されているバルコニーだった。夕暮れの風景を見られるかもしれない、なんて思った私が馬鹿だった。
広いバルコニーにはソコにもココにもアソコにもカップルばかりだ。彼らはバルコニーに等間隔に並んでいる。
わー、リア充がいっぱいだなー。ここに踏み込む勇気はない。私は遠い目をしながら足早に移動を始めた。
あと目立たず時間を潰せそうなところは、と考える。そうだ、庭園に行ってみよう。
王宮の庭園は我が家とは比べ物にならない位洗練されており、立派で、そしてビックサイズだった。
広ーい。王宮と庭園を合わせて、東京ドームいくつ分かしら?などと考えてしまう。
庭園の入り口近くはカップル達が仲睦まじく語らっているので、お邪魔にならないよう、私は奥へ奥へと進んでいく。
植え込みがまるで迷路のように続き、段々と人気がなくなってきた。
ここなら時間を潰せそうだ。それからすることもなく、ぼへーっとしながら時間を潰していた。いや、来年から始まる学院生活のことを考えたりと有意義に過ごしていたよ、うん。
そろそろお開きの時間かな、と王宮の方へ戻ろうと歩き出す。
それから10分程歩いている。あれ?おかしいな。来た時にこんな植え込みあったかしら?いっこうに人にも会わないし、王宮も見えてこない。
これはもしかして、迷ってしまったのか?
ひょえー。しかも私がここにいることは誰も知らない。
こ、これはなんとしても自力で頑張らねば。気合を入れて、私はさらに歩き始めた。
もしも山で道に迷ったら、むやみに歩いてはいけない。まずはその場で立ち止まり、一度心を落ち着けてから元のルートを探すのだ、と山歩きが趣味だった前世の祖父が言っていた。
しかし迷子の孫はそんな大事なアドバイスをすっかり忘れていた。
なんだか、庭というか、林みたいなところにいるな、と気がついた。いつの間にか手入れされた植木ではなく、自然に伸び伸びと生える木々の中にいた。辺りはすっかり暗くなってしまった。灯りもない。
ここはどこ、わたしだれ、うん、わたし悪役令嬢だ。
かれこれ一時間位歩いた気がする。
私はすっかり疲れ果て、木に寄りかかり休憩することにした。多分ここは王族の森と呼ばれている場所だと思う。王宮と真反対にあるやつだ。
私は一生懸命反対方向に歩いていたのだ。どうりで王宮に戻れないわけだ。
それにしても辺りは暗い。木の枝が風に当たりガサガサ音が聞こえる。うん、風であの音が鳴ってるんだよ、ね?
なんか鳥みたいな鳴き声が聞こえるけど、オバケじゃないよね?
ガサ、ガサガサ。
ひぃー!!!何か近づいてくる!!!
私は咄嗟に目をぎゅっと瞑る。怖いもの、見たくない!
オバケ?野生動物?狐?狸?化かされるの?化かされちゃうの?いや、狸はここにはいない。熊!熊とかに美味しくいただかれちゃ……!
「……お姉様」
冷たい声だった。
「ルーナ?」
その声に慌てて目と口を開くと、冷たい眼差しで睨みつけるように視線を送る妹ちゃんが立っていた。
「こんなところで、何をしているんですの?」
にこりともせず、淡々とした口調で尋ねられる。
「み、道に迷ってしまって」
「どうして宮殿の中にいなかったんですの?」
妹ちゃんの目が据わっているぞ。
「よ、夜風に当たりたくなって」
「私に!何も言わずに!一人で!」
あれ、もしかして妹ちゃん、めちゃくちゃ怒ってます?
見える、見えるぞ!妹ちゃんのおでこにあの漫画に出てくる怒りマークが浮かんでいるのが。
「報連相は大事ですよね、ハハハ」
「笑い事じゃない!」
怒気を含んだ声で返されてびっくりする。
いつもならホウレンソウ?なんですの?と聞いてくれるのだけどな。
ルーナはその後無言で私の手をがっしりと掴み、引きずるようにそのまま歩き出した。
ちょっと、痛い、痛いですよ、妹ちゃん。その可愛い華奢な手のどこにそんな力があるんですかー?駄目なお姉ちゃんに呆れてしまったかな。ごめんよー。
ルーナに連れられ歩き始めると程なくして森を抜け、庭園の一画に戻ることができた。
ルーナは一度立ち止まると、どこからともなく先の尖った石を取り出し、無言で地面に何やら模様を書き始めた。
模様を書き終わると再び私の手をガッチリと捕まえ、描いた模様の上に立つ。そして模様を囲むように円を描いた。
何が起きたのかわからなかった。
けれど気がついたらどこかの部屋の中に立っていた。赤い光に包まれたと思ったら、一瞬で移動したのだ。
ほえー、妹ちゃん、転移の魔法が使えるのね。すごーい。あれ?転移魔法って大人でも使えない人が殆どの高等魔法ってやつでは?さすがだわ。
でもさっきから妹ちゃん、押し黙ったまま、何も言ってくれない。私はちらちらと様子を伺う。その視線に気づいたのか、こちらを一瞥し、ため息をつかれてしまった。
「帰りますわよ、お姉様」
私は部屋を出た妹ちゃんの後ろを慌てて追いかける。どうやらそこは王宮の部屋だったようだ。少し歩けば見覚えのある舞踏会の会場が目に入る。踊りを終え、談笑する人達を横目に私は王宮を後にした。
馬車の中で私達は無言だった。妹ちゃんは涼やかな顔で一言も喋らない。空気が、空気が重いぞ。
「あのね、ルーナ」
「なあに、お姉様」
話しかけると答えてくれたが、こちらを向いてくれない。
「あのその、ごめんなさい」
返事が帰ってこない。
「あと、ありがとう」
お、妹ちゃんがこっちを見てくれたぞ。
「とっても心配しましたのよ」
はい、反省しております。
「ごめんなさい」
もう一度謝ると、妹ちゃんがぎこちなく微笑んでくれた。どうやら怒りは解けたようだ。
私はほうと息を吐いた。それにしてもせっかく舞踏会に行ったのに一度も踊らなかったな。それだけはちょっと残念だ。
屋敷に戻り、私はドレスを着替えさせて貰おうと自室に向かう。そんな私に妹ちゃんが声をかけた。
「お姉様、ちょっと付き合ってくださる?」
はい、喜んでー!よかった、いつも通りの声色だ。すっかり機嫌が直ったようだ。
ルーナが向かった先は屋敷の庭園だった。
庭園までの道のりに沿って等間隔に魔法で小さな赤い炎を出してくれたので歩くのに困らない。
もうすっかり夜である。こんな時間に何をするのだろう?
庭園の開けた場所で、ルーナが立ち止まる。そして私の方へ向き直った。
「リュシア、踊って頂けますか?」
恭しく手を差し出される。突然の誘いに私はびっくりしてしまった。でも私も踊りたい。
「喜んで」
応えてにっこり微笑んでみた。
ルーナの左手に私の右指を重ね、ルーナの右手が私の背中を支える。その至近距離になぜだかドキドキしてしまう。私はそっと左手をルーナの右肩に添えた。
そしてルーナの動きに合わせて踊り始める。
今夜は満月で月の光が綺麗だ。女性パートだけでなく、男性パートもこなせるなんてすごいなと思いながら、私はただルーナに身を任せる。
ルーナのドレスが月明かりに映えて美しい。優雅に踊りを続けながらルーナが何か呪文を囁いた。
すると私の暗闇色のドレスから淡くふんわりとした色合いの光が現れた。緑に水色、ピンクに紫。
まるでドレスがオーロラの光に包まれているようだ。
二人が動き、ドレスが揺れる度に光の帯が優しく色を変えていく。
「素敵な魔法ね」
なんだか胸がいっぱいになり、思わず呟くとルーナがにっこり微笑んだ。
「お姉様は美しいわ」
いやいやいや、美しいのは妹ちゃんです!!!
照れくさい事を言われ、真っ赤になった私と妹ちゃんは月が高くなるまでダンスを踊り続けたのだった。




