第二話
「っ、え…?」
桃香は生きていた。
あの横断歩道で派手に転んで、立ち上がろうとしていたところ赤い車が彼女に向かって突っ込んできたはずである。
あのままでは、死に至らなかったとしても確実にはねられているはずなのに、一昨日親に怒られて泣きながら手首を切ったときの痕と、さっき転んですりむいた膝を除けば体には傷一つない。
否、生きているのだろうか?
もしかしたら、死後の世界なんてものがあるのかも知れない。
頭ではそんなことをぐるぐると考えながらも、座り込んだまま辺りを見回してはただ、え、という音を延々と口から零すのみであった。
ここはどこだろう。
それすら分かりそうにない。
森の中らしいということはわかったが、それだけではどこにいるのかなんて分からない。
こんな夢か現実か、生きているのか死んでいるのかさえ分からない状況では涙すら出なかった。
震える足で立ち上がろうとすると、カシャン、となにかの音がした。
アクリルキーホルダーだ。
そこに描かれているのは、濃い青紫の髪に蜂蜜色の目、そして目の下には十字架のマークがあり、まさしく王子様のような白い服に身を包んだキャラクター。
それこそが、彼女が会うことが叶わなくなってしまった彼であった。リュックにつけていたのが何かの拍子に外れたのだろう。
厳密に言えば彼のイラストだけれど、桃香はじめ彼のファンは本当の顔を知らない。ライブに行けばマスクをした顔が見られるけれど、基本的にはそのイラストを彼として認識している。イケボ配信者とはそういうものである。
「……めるくん」
桃香は力の入らない手で拾い上げ、土を払う。
得体の知れない場所に投げ出されてしまった彼女にとって、それは御守りのようであった。
ゆっくり、ゆっくりと歩いて行く。
幸いにも天気の良い昼間だったので、木々が生い茂っていてもはっきりと道が見えた。
しかし、進めば進むほどここがどこかわからなくなった。
道の脇には、見たこともないような花々が生えている。鳥や蝶も、少なくとも日本にはいないであろう鮮やかなものばかりだ。幻想的なのが逆に不気味である。
桃香は今更泣きたい気分になった。
何も分からない錯乱状態では出なかった涙が、いやにはっきりしている意識や、地面を踏む感触が現実味を帯びてきて、怖くてたまらなくなった。
「……うう~っ…」
比喩なしに涙腺が崩壊しているのではないかと思うほどに、涙が止めどなく溢れ出した。
メイクが落ちるのも気にせず、手元に握ったキーホルダーを見ながら泣いた。
帰りたい。大好きな彼に会えるはずだったのに。
なんで。
_____そうしてしばらく地面に座り込んでいると、足音が聞こえてきた。
「何をしている」
「っえ、…」
目の前に男が立っている。
衝撃を受けた。
彼が猟銃を持っているとか、そんなことはどうでも良くなるほどの衝撃だった。
「え、え、え」
「…おい、答えられないのか」
「…………める、くん……?」
「メル…?」
訝しげに眉を寄せるその男は、愛して止まない彼女の「王子さま」にそっくりだった。




