第一話
今日は待ちに待った「王子さま」とのデートの日であった。
「歌舞伎町のランドセル」こと某ブランドのピンクのリュックに、リボンとレースがたくさんついた可愛いワンピース、そしてキラキラのバックルがついた厚底。
漆黒の中にところどころピンクが混ざった髪は、コロネのようにきれいに巻かれている。海苔に比喩されるほど整った前髪は少しくらいの風であれば定位置からまったく動じない。これこそが正装、様式美と言ってもいいほどである。
彼女____吉野桃香二十歳は、苦労の末にようやく、「やっとみつけた王子さま」こと人気イケボ配信者、「めるとくん」の隣を手に入れた。隣といっても、まだ「繋がり」だけれど。
その世の中をなめ切っているような下がり眉からは想像できないほど、桃香は必死に努力した。
お金を貯めては美容と配信への投げ銭に費やし、ネット掲示板では「桃カス」などという不名誉な渾名を付けられつつも、古参のファンからサポーターランキング一位の座を奪い、守り続けたのだ。
そしてついに、会う約束を取り付けた。それが今日である。決戦の日と言っても過言ではない。
期待に胸を躍らせながら、エナメルの厚底をぴかぴかと光らせて意気揚々と歩いた。横断歩道を渡れば待ち合せ場所に着く。あと二十分はあるからメイクを直して待っていよう。
一歩踏み出したその時であった。
ぐらり、と視界が揺れた。
「…え」
やばい、転ける。
いつも厚底を装備している桃香にとってはもう慣れっこであったが、この日は違った。
前のめりに勢いよく倒れ込む。リュックの中のピルケースがシャンと鳴った。
「…いったぁ」
アスファルトで擦りむいてしまったのか、膝がひりひりする。だいぶ前を歩いている人たちがこちらを振り返っていた。
見んなよ、という意味を込めて睨み返し、立ち上がろうとした瞬間、ブレーキ音が頭に響いた。
車がこちらに向かって突っ込んでくる。声も出ず、アスファルトに膝をついたまま、呼吸も忘れてただ茫然としていた。
「危ない!」
誰かが叫んだ。
「王子さま」の声に似ているような気がした。