完璧王子は完璧な婚約者に不満がある
とある王国の第一王子補佐官、ルイスはここのところ悩んでいた。
悩みの種は彼が直接仕える相手であり幼馴染でもある、第一王子のアルフレッドその人である。
不敬であるという事を抜きにしてもし誰かにこんな事を話せば、「お前は贅沢だ」「栄誉ある立場云々」「それなら代われ」などと言われるだろう。
アルフレッドは完璧な王子だ。齢十八にして王位継承者としての政務を卒なくこなし、王国の法や歴史どころか周辺国のそれにも精通しており、落ち着きのある黒髪黒目の整った外見と人当たりの良さもあいまって、父王だけでなく臣下臣民からの信頼も厚い。
アルフレッドは公私の別こそきちんとつけるものの、ルイスを友人だと言ってくれているし、ルイスも口にこそ出せないがそう思っている。
流石にアルフレッドが王になる頃には側仕えの任も解かれるだろうが、一時であれ彼に仕えた事はルイス生涯の誇りとなる、はずだった。
「ルイス。何かこういい感じの案を出してくれ」
公務を終えて私室に下がると最近はいつもこれだ。語彙力まで下がってしまっている。
元からルイスに対してのみは多少くだけたところのある王子ではあったが、最近は粉々である。
彼がこうなったのには理由がある。
二ヶ月前、アルフレッドの婚約が発表された。次代の王と王妃のお披露目はそれはそれは盛大に行われた。
その後アルフレッドの婚約者であるクラリスは王宮に部屋を与えられ、最近ではアルフレッドの母である王妃とともに過ごす事が多いと聞いている。
クラリスはアルフレッドにふさわしい完璧な女性である。誰もがそう言うし、実際にルイスもそう思う。
それ自体が光を放つかのような銀の髪とアイスブルーの瞳は静謐な雰囲気を湛え、無風の湖面を思わせる落ち着いた笑みは見る者の呼吸を止める。
教養立ち居振る舞いどれをとっても非の打ち所がなく、完璧なアルフレッドの妻に、王妃に、国母に、誰もがクラリスこそがふさわしいと口にした。
では何故アルフレッドの知能が下がっているかと言えば、やはりその原因はクラリスにある。しかし大元の原因こそクラリスではあるが、ルイスに言わせればアホなのはアルフレッド当人である。不敬なので口には出さないが。
「しかしどうしてクラリスはああも笑わんのだ」
「笑顔をお見せくださっているではありませんか」
「ああいう可愛げのないものは笑顔とは言わん」
忌々しげに吐き捨てたアルフレッドはソファーにどかっと腰を下ろし、「お前も」とルイスに向かいを促す。
最低限こそ弁えはするが、ここからは臣下でなく友人としてというアルフレッドに従い、ルイスは一礼して「失礼致します」とソファーに腰掛け会話を続ける。
「極端な事をおっしゃいますね」
「極端なものか。私は後何十年もの生涯をあんな可愛げのない女性と過ごさねばならんのだぞ」
はあと、ルイスは内心でため息をつきながら「そんな事をおっしゃってはいけませんよ」と諫言を口にする。
「クラリス様にはクラリス様の性分がございますでしょう。殿下が女性に対しそういった部分をお求めでしたら、王に関しては複数のお妃を娶る事が可能ですので――」
「ルイス貴様! クラリスに対して失礼であろうが!」
ダンっと机を叩いたアルフレッドが顔に血を集めていた。彼がこんな姿を見せるのは本当に稀で、恐らく国王夫妻ですら年単位で見た事は無かっただろう。
「……あ、いや違う。第二王妃など政争の火種になるだけだ」
ルイスが「失礼致しました」と頭を下げたところ、アルフレッドはハッとしたように取り繕い、衣装の首元を緩めた。
「そうでしょうか。万が一の備えの意味もあります、為政者として考えておくべき事かと」
「とにかくだ。私はその手段を用いるつもりはない。ルイス、あれに愛嬌を持たせる方向に話を進めるぞ」
「畏まりました」
まあアルフレッドが知らないだけでクラリスに愛嬌が無い訳ではないのだが、それを言えば「いつどこで見た!? どうやった!?」としつこそうなのでルイスは口にはしない。
「そうですね。たとえばですが、驚かせてみては如何でしょうか?」
「驚かせる、だと?」
「はい。人間驚いた時には意外な反応をするものです。クラリス様とて女性らしい反応をお見せくださるのではないでしょうか」
「クラリスの、女性らしい反応……」
ふむ、とシャープな顎に手を添えたアルフレッドの頬が少し弛んだのをルイスは見逃さない。しかし――
「ダメだ。驚いたクラリスが万が一転びでもしたらどうする。そうでなくとも手をついて捻ったり、いやそもそも驚かせるという行為自体が良くない。ダメだ。却下だ」
「では正攻法ですね。会食や贈り物で親交を深め――」
「それはもうやっている。効果が無い」
無い訳があるか。出そうになった言葉を押し留め、ルイスは「クラリス様も喜んでおいでですよ」とだけ伝える。
アルフレッドはそんなルイスに「気休めはいい」と口にし、顔の前を手で払うような動作を見せた。気休めではないのだが。
「そうですね。それではやはり驚かせる方向に――」
「だからそれは無しだと言ったろう?」
「驚かせる、と申しましても実際にびっくりさせて驚かせる訳ではなく、不意の喜びを演出するのです」
「……ほう。詳しく聞かせろ」
スッと目を細め、端正な顔に怜悧な表情を浮かべたアルフレッドが僅かに身を乗り出した。
誰が見ても完璧な王子、話の内容にさえ目を瞑るのであればだが。
◇
「クラリス。これをやる」
一応事前に使者を通してあるが、第一王子であるアルフレッドの来訪に彼女は少し驚いた様子を見せた。
あれから数日、準備を済ませたアルフレッドはクラリスに花束を差し出した。
ぶっきらぼう極まる口調で視線を逸らし、何の前置きもなく。
(そんなだからクラリス様の表情を見逃すのですよ)
ルイスが心中で大きなため息をつくと、室内に控えていたクラリスの侍女が「苦労しますね」と言いたげな労いの視線を向けてきていた。
小さく首を横に振ったルイスの視線の先には、透き通るように白い頬を僅かに色付かせた主人の婚約者。
「素敵な、綺麗なお花ですね。香りもとても素晴らしいです。ありがとうございます。アルフレッド様」
「雑草だ。捨てるのも勿体ないと思ってな」
(そんな雑草があるか)
相変わらず視線を逸らしたままのアルフレッドは、室内の侍女が何かを堪えるように顔を逸らした事にも、美しい礼をした婚約者がどんな表情で花束を抱いたにも気付かない。
「マリー、花瓶の用意をお願いしますね」
「畏まりました」
「え」
呼ばれた侍女――声が少し震えていた――が花束を受け取るのを、アルフレッドは茫然と眺めていた。
ようやく戻って来たアルフレッドの視線だが、残念ながらもう見たいものは見られなくなっている。
「どうかなさいましたか? アルフレッド様」
「い、いや。何でもない」
「そうですか? それでは少しおかけになってお待ちください。間も無くお茶のご用意が整いますので」
「いや、いい。花を渡しに来ただけだからな。それではな」
「あ……はい。ご多忙の中、ご配慮下さりありがとうございます」
(だからそうやってすぐ顔を逸らすから……)
大切なものを見逃すのだ。
◇
「おいルイス。失敗したではないか」
「実際は大成功でしたけどね」
「何か言ったか?」
「いえ何も」
あの後、それなりに残っていた政務を片付けてから私室に戻って来たアルフレッドは、開口一番吐き捨てた。ルイスは口の中だけで呟き、姿勢を正す。
あの花束の中には首飾りが隠されていた。ルイスの案をアルフレッドが改良した結果らしい。
バカである。貴族のご令嬢が、未来の王妃が、受け取った花束の中身をその場で確認などするものか。
そもそも普通にプレゼントを渡しただけでもクラリスは喜び、アルフレッドが望む以上の笑顔を見せるのだ。恥ずかしがって顔を逸らすアルフレッドがアホなのである。
「という訳でルイス。別の案を考えておいてくれ」
「畏まりました」
ルイスは悩んでいる。
アルフレッドの政務の最中、こっそりとクラリスの侍女と接触をし、首飾りに気付いたクラリスの反応を教えてもらった。
顔を真っ赤に染め、「どうしましょう」と何度も口にし、普段の静謐な雰囲気など吹き飛ばすほどに部屋の中をうろうろと歩き、片時も首飾りを離さなかったと言う。
侍女のマリーが今日のドレスには合わないと言っても聞かず、身に着けると駄々を捏ねたそうだ。
ルイスは悩んでいた。
アルフレッドに伝えるべきか、もう少し楽しむべきかで。