15 女神への誓い
スピッツがすっとぼけるのは想定済みだ。
というかむしろそうでなくては困る。
だってこれは、わたしの敷いたレールの始まりにすぎないんだから。
わたしは静かに問う。
「あなたの釈明を、わたくしなりに解釈させていただきますわ。あなたはこの『討伐のしおり』を作ったあと、待ち合わせ時間が間違っていたことに気付いた。そして待ち合わせ時間を修正したものを、改めて作り直した。間違っているしおりは破棄するはずであったが、何らかの手違いでわたくしに渡され、ご子息様たちへは修正後の正しいしおり渡されたため、このような齟齬がおこった……これで、お間違いなくって?」
するとスピッツはこくこく頷く。
「きゃんきゃんっ! そうそう! わざとじゃないってわかってくれたんだね! それじゃあ……」
「いいえ、わたくしはまだ納得しておりませんわ。それにまだおわかりになりませんの? わたくしはそれを、『あなたが意図的にやった』と申し上げているのですわ。もしわたくしが、間違ったしおりの時間どおりに待ち合わせ場所に来ていたら、2時間も遅刻したことなりますわ。ご子息様たちがわたくしに怒りを覚え、わたくしを失墜させるためにはじゅうぶんな理由を作り上げることができるでしょう?」
「きゃんっ!? そんなこと、思いつきもしなかったよ! それに、それはアクヤさんの被害妄想だって! いつも人を陥れることばかりしているからって、他の人もそうだと思っちゃダメだよ!」
「ではお伺いしますわ。このしおりは印刷によって作られたものです。それは当然ですわね。冊子になるほどの文面を、4人分も手書きをするわけにはいきませんから。でもそこに、不自然な点があるのですわ」
「きゃん……!? なんが不自然だっていうの……!?」
「もし間違って印刷してしまったのであれば、間違っていた箇所だけ手書きで修正すればよいだけですわ。それをわざわざ刷り直す必要が、どこにあるというのでしょう?」
「きゃんっ!? そ、それは……! え、えーっと、スピッツは字があんまりうまくないんだよ! それに、スピッツはこう見えて見栄えを気にするんだ! 手書きで修正なんて、みっともないと思ったから……!」
「普通の印刷なら、まあそれもアリかもしれませんわね。でもこのしおりに使われているのは、通常の印刷よりもずっとコストの高い、『魔法印刷』なのですわ」
「きゃんっ!? そ……それが何だっていうの!? た、たったの1ページじゃない! 1ページくらいなら、スピッツだったら刷り直すけどなぁ!」
「なるほど、それもそうかもしれませんわね。では、間違いはこの1ページということで間違いありませんわね?」
「きゃんっ! もちろんだよ! 何ページも間違ってたんじゃ、さすがに刷り直すことはしないよ! そんなことをしてたら、スピッツのお金がいくらあっても足りないからね!」
……かかった!
わたしは内心ほくそ笑む。
「わかりましたわ。あなたは待ち合わせ場所のページだけが間違っていたから、そこだけ印刷しなおして、製本しなおした。でも何らかの手違いで、わたくしに渡した1冊だけは、そのページの差し替えが漏れていた……これで、お間違えなくって?」
「きゃんきゃんっ! そうそう! わざとじゃないってやっとわかってくれたんだね! それじゃあこんなこと、もう終わりにしようよ!」
「ええ、わたくしが間違っておりましたわ。それでは最後に、我らが女神『ゲッツェン』に誓っていただきましょうか」
わたしは魔法陣の中にある、女神像に視線を移す。
「あの像に向かって、『間違っていたページは1ページだけ』と誓うのです。そうしたら、わたくしはあなたを疑った過ちを認め、結審いたしましょう」
わたしがあっさりと負けを認めたので、ヤジ馬たちはざわめいた。
立会人たちはみな呆れ顔。
「マジかよ……アクヤさんが、こんなに簡単に人を疑う令嬢だったなんて……」とフルスゥイング様。
「これで目が覚めたかい? やっぱり彼女は悪名高い、アクヤ・クレイ嬢なんだよ」とハーフストローク様。
黒いローブの人は、深くフードを被ったまま影のように佇んでいて、何も言わない。
■■■□□□□□□□ フルスゥイング
■■□□□□□□□□ ハーフストローク
■■■■■□□□□□ ?????(黒いローブの人)
わたしに対しての心象ゲージは一気に激減。
スピッツは圧倒的有利な立場になったはずなのに……。
彼女は気まずそうに、あさっての方向に目を反らしていた。
「きゃ……ん。え、えーっと、わかってくれたんだったら、わざわざ誓わなくてもいいよね! もう結審しようよ! スピッツはアクヤさんのことを責めたりしないから!」
「たしかに、誓っていただかなくても結審は可能ですわ。でも間違っていたのは1ページだけだという確信があるのであれば、誓うことも何ら問題はないでしょう?」
『神族会議』は基本的に虚偽の発言をしてはならないという決まりがある。
それでも「うっかりしていた」「やっぱり思い違いだったかも」などの言い逃れはできてしまう。
しかし会議場にある『女神ゲッツェン』の像に誓うというのは、『天地天明に誓う』と同じ意味合いを持つ。
誓ったことがもしウソだとわかったら、神族会議を穢したとされ、重いペナルティが科せられる。
今回の場合は、『しおりの間違いは1ページ以上ありません』という誓いだ。
そしてスピッツがこの誓いを立てようとしないのは、もはや明白。
しおりの間違いは、他にもたくさんあるから……!
ヤツはしおりの至る所に『毒』を仕込んでいるに違いないと、わたしは睨んだんだ。
もしここで、間違いが複数箇所に及ぶことがバレてしまったら、それらを全て白状しなくてはならなくなる。
そしてこれもわたしの予想なんだけど、それは「うっかり」ではすまされないような間違いが、多分に含まれているに違いない。
だからこそわたしは、女神に誓うよう迫ったんだ。
もし誓ったら、このあとに出かける討伐で、しおりの他の間違いがバレてしまう。
その毒でわたしをやり込めることができたとしても、誓いを破った代償は払わなくてはならない。
だからといって「他の所にも間違いはあるかも」なんて言ったりしたら、仕込んだ毒を洗いざらい吐き出すことになってしまう。
どっちにしても、詰み……!
さぁて、それじゃあそろそろ、仕上げに入るとしますか。
「そんなに誓いたくないのであれば、誓わなくても結構ですわよ」
わたしからの助け船に、パアッと顔を明るくするスピッツ。
それが泥船だとも知らずに。
「きゃんっ!? ほんとに!?」
「ええ。待ち合わせ時間の間違いはうっかりミスではなく、あなたが意図してやったことだと認めてくだされば」
「きゃああんっ!? そっ……そんなぁ!?」
「当然でしょう。わたくしは、あなたがミスしたのは本当にうっかりだったという、確固たる宣言が欲しいだけなのですわ。もしそれができないのであれば、意図して待ち合わせ時間をずらしたと思われてもしょうがないでしょう?」
ヤジ馬からいぶかしげな声があがる。
「彼女が誓えば、アクヤ・クレイ嬢さんは負けを認めるって言ってるのに……」
「なんでスピッツさんはあんなに誓うのを嫌がってるんだ?」
「もしかしてスピッツさんは、本当にアクヤ・クレイ嬢を、陥れようとしていたのか?」
不自然なまでに宣誓を嫌がるスピッツに、風向きが変わる。
「おいっ! スピッツ! アクヤさんの言うとおりだ! いい加減認めろっ!」とフルスゥイング様。
「スピッツがまさか、アクヤ・クレイ嬢さん以上の悪女だったなんて……」とハーフストローク様。
黒いローブの人は、相変わらず無言。
■■■■■■■■■■ フルスゥイング
■■■■■■■■□□ ハーフストローク
■■■■■□□□□□ ?????(黒いローブの人)
わたしが80パーセント以上の心象を獲得したことで、スピッツの頭上に爆弾マークが出現。
これは『神族会議』があと少しで決着というときに現れるもので、いくつかのバリエーションがある。
いまにも爆発しそうにピカピカと点滅する爆弾の下で、スピッツはうつむいたまま苦悶していた。
「ぐっ……! くくっ……! ぐぐぐっ……! ぐぎぎぎぎっ……!」
もはやあの、耳障りなほどに甲高い鳴き真似はない。
地獄の底から湧き上がってくるような、低い地声で唸るばかり。
それだけでは怒りのやり場が足りないようで、毛穴から血が噴き出さんばかりに身体をよじっている。
彼女をさらに追いつめるように、ヤジ馬からの「謝れ!」コールが止まらない。
そしてついに、あの瞬間がやってきた。
バッ……!
顔をあげた彼女は、もはやスピッツではなかった。
形容するなら、泣くのを必死に堪えているブルドッグ。
真っ赤な顔、目にはあふれんばかりの涙、フーッフーッという荒い鼻息。
歯を食いしばるあまり、全身がプルプルと震えている。
「 ご ・ め ・ ん ・ な ・ さ ・ い ・ っ !! 」
瞬間、彼女の瞳からはドバッ! と涙があふれ、鼻からはプシュッ! と鼻水が吹き出した。
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