007 : 初めての買い物
読みにくいかもしれません。
最後に要約乗せます。
とあるビルの階段に、私は空間転移した。
ここは何度か、仕事で来たことがある高層ビルで、階段部分から地下の駐車場までは、見張りの人員も存在しない。もちろん、エントランスからエレベータの出入り口などには、人の目や監視カメラはあるものの、多くの企業がフロアごとに入っているビルで、オフィス部分への出入り以外は、あまり気にされないことを、既に知っていた。
「鏡には映ってないね」
私は念のため、光と熱、匂いを消し去る魔法を自らに使用している。万一、転移した先に誰かがいても大丈夫なよう、保険はかけてある。
私が今いる場所は、都心にあるオフィス街の一角で、高層ビルが乱立している場所である。こういう場所は人の出入りが多く、それでいて良い意味で周囲に無関心な人が多い。ここを起点にどこかへ出かけても、よほどの事が無い限りは、不審に思われることも少ないと思う。
「魔法を解くと……うん、鏡に映った」
私は自らにかけた魔法だけを解除する。
シルフも一緒に転移してきたので、姿を隠す魔法をかけてあるけど、話しかけてもどこか上の空である。本人は何か考えていることがあるのか、今日はあまり話しかけなくて大丈夫と言っていた。
所持金は、八万円と少し。カードや身分証の類は全て、自宅に置いてきてある。仮に財布などを無くしても、私の名前が表に出ることはない。
「さて……」
結果的に、フォーマルに近い服を着ているおかげで、オフィス街で目立つことなく溶け込めていると思う。それでも若干、男女ともに視線を感じるのだが、こんな経験は初めてだった。
駅に向かい、切符売り場で新しく交通系ICカードを買う。これは気にしすぎかもしれないけど、一応、今までのカードとは違うものを用意する。
田舎のローカル線だと、自動改札自体が少ないので未だICカードが使えないこともあるけど、むしろ首都圏では電車やバスを利用するのに、必須と言ってもいい。改札や券売機のあたりで、もたつくことも少なくなる。
「冷さんですか……?」
ふと、駅で歩いていると一人の少女が声をかけてきた。見た目は十代後半で、高校生くらいだろう少女。一瞬だけ無視しようと考えたが、振り向いた際に目が合ってしまったので、返事をする。
「えっと……面識、ありましたっけ?」
何となく、自分のことを『冷』と呼んでいるので、声をかけてきた理由は見当がついている。私がシルフと決めた『魔法少女の名前』もそうだけど、ネットで配信するときの名前も『冷』なので、それ関連だと思う
さすがに、まだ声をかけられるほど知名度が上がったとは、考えていなかったが。
「この前、動画で見ました! 私、一目見てファンになりました。握手して頂けませんか?」
「いいけど……誰かと間違えてない? 私は動画の投稿とか、してないよ」
「ぇ……」
一応、握手には応じつつも、苦笑いする。ファンとして声をかけてくるなら、せめてもう少し事情を知ってても良いのではと、少し切ない気分になってしまった。私も転載された動画を見たが、綺麗にそのあたりの部分はカットされているので、仕方ないとは思うのだが。
「私のSNSアカウントもあるから、もしファンならそっちを見てね。それじゃ」
私は動画を上げていない事と、おそらく少女が見たであろう動画の件を説明して、その場から立ち去ることにする。去り際に「ごめんなさい」と少女が謝って来たので「いいよ」と軽く返し、手を振りながら駅のホームに向かう。
少し意外だったのは、もしファンがいるとしても男性ばかりだと考えていたのに、最初に声をかけてきたのが少女だったこと。案外、十代少女の見た目で活動していると、同年代の同性ファンも着くのかもしれないと、認識を改める。
「今の仕事辞めて、アイドルみたいな路線で生計を立てていこうかな……」
数日に一度、コスプレ衣装を着て何かしらの配信をしているが、現状だとプライベートな時間をほとんど費やしている。例えば、どんな内容の配信にしようか考えて、歌や踊りと決めたら必要になってくるのが、選曲や振り付けを決める作業。その為、仕事から帰ってから寝るまでの数時間が、とても短く感じてしまう。
楽しいので、それ自体は苦しくはないのだが、仕事が長引いて残業になったりすると、いずれ時間的に厳しくなるかもしれない。繁忙期には休日出勤、日付が変わるまで仕事という日も珍しくないので、月によっては全く時間が取れない可能性もある。
(まだ二週間くらいしか経ってないけど、ぶっちゃけ副業と扱うには稼ぎすぎてるし)
嬉しい誤算だけど、ネットの配信から得た稼ぎが、既に私の月収を超えていた。ただし、今後も安定するとは限らないので、そこだけに依存するのは危険ではあるのだが、人気が出始めたときにどうするかで、人生が決まることもある。
ネットの世界では時々、SNSや動画サイトなどで急激にファンを増やしたり、いきなり人気になる者がいる。ネットスラングで『バズる』と表現されることもあるが、このまま平均以下の収入で甘んじるよりも、このチャンスを活かすのも有りかもと考える。
(まあ、配信の収入がなくなったら、その時に考えれば良いか)
とりあえず、来週の始めに会社へは仕事を辞める事を伝えようと決める。もちろん、そんなにすぐ辞められるほど会社という場所は甘くないので、数ヵ月くらい猶予を見る必要はあるだろうが。
『次は――――です。お降りの際は、お足元にお気をつけて――』
考え事をしていると、目的の駅に到着する。駅を出ると、今度はフォーマルな格好が場違いなくらい、明るいカジュアルな格好の男女が多く見られた。お店の種類も、ブランドだったり男女ごとの服を取り扱う路面店がすぐに目に付いた。
通りごとに似たお店が並んでいて、迷いそうになったけど、事前に決めた目的のお店に到着する。ちょっと高そうな外装をしたお店で、入るのに勇気が必要なお店だった。
今日は土曜日で、遊びに来ている男女が多く目に付いたが、私が今いる通りは女性服を扱うお店が集まった場所で、当然のように女性が多く歩いている。
深呼吸して、私はひとつのお店に入っていく。ランジェリーショップという、偏見かもしれないが、本来は男性が入るべきではない類のお店の中へ。
「あの……下着を買いたいんですけど、サイズが分からなくて……」
恥ずかしい事に、私は入店して五分くらいは周囲の景色に圧倒され、そして店員さんに声をかけるかを、十分は迷った。
理由は単純に、男性が入るようなお店ではなかったこと。私は別に、たかが下着程度、売り場に並んでいるのを見たからと言って、欲情するような男では断じてない。そんなのが許されるのは十代前半の、初心な男子だけだと思う。
改めて考えると、別に下着を買う必要なんて無かったのではと、声をかけてから考える。一応、買うと決めた動機があって、肩を出すような衣装を着る時、肩紐部分が透明だったり、ストラップレスなブラが欲しいと思ったのだ。
ショーツだって、身体にぴったりした衣装や、柄が透けやすい生地のときは、シンプルなものを着ていた方が都合が良い時だってある。
「いらっしゃいませ。下着のサイズですね。では、こちらの試着室にどうぞ」
「あ、はい」
お店の印象としては、可愛いデザインだったり、どちらかと言うと若年層が利用するような、同性が見て可愛いと思う下着が揃ったランジェリーのお店だった。場所は東京都心にあり、事前に調べた中で評判の良かったお店を選んで、今日は訪れた。
色んな考えが頭をめぐるが、どこか上の空でいると、今の状況に気付いて緊張が走った。
試着室に入ると、カーテンが閉められる。メジャーを持った店員さんが近くにいて、上品な香水の匂いが鼻腔をくすぐる。
(恥ずかしい……)
「上着だけ脱いで、シャツはそのままで大丈夫です。リラックスしてくださいね」
「今、下着を着けてるんですが、そのままでいいんですか?」
「はい。むしろ、つけたまま測りますね」
店員さんが脇から背中に手をまわして、メジャーが胸の前で交差する。胸のサイズを測るときは、トップとアンダーの二箇所を測ると聞いた事があるが、店員さんは素早く数字を読み取り、考える間もなく採寸は終わる。
「ヒップも測りますか?」
「え? あ……お願いします」
心に余裕がなくて、気付いたら何点か下着のセットを購入して、お店の外にいた。店員さんが正しい下着のつけ方もアドバイスしてくれたが、半分くらい思い出せない。
「疲れた……」
(まだ今日の目的は半分……)
もちろん、下着だけ買いたいと思った訳ではなかった。普段、外を(この姿で)歩くのに、恥ずかしくない普段着も買おうと思ったのだ。
通販で何着か服を買ってみたが、どうしても微妙なサイズ感だったので、実際に一回くらいお店で服を選んでみようと思った。試着とかもできるので、自分が着れるサイズを把握しておく目的もある。
(やっぱり最初に下着屋さんに入っておいて良かった)
最初に下着を売っているお店に入ったので、女性向けのお店に入ることに、抵抗が少なくなっていた。今の姿は女性なので、特に問題はないのだが、気持ち的にはやはり抵抗があった。
そうしている内に、時間が過ぎるのは早いもので、もうすぐお昼の時間だった。
気付いたら荷物が多くなっていたので、駅の近くに戻り、手荷物をロッカーに預けようと考える。ちらりと、周囲をみまわす。監視カメラは二つほどあるが、ひとつがこちらを向いている。
(ロッカーの中に入れて、その中で部屋に荷物だけ先に転移させようかな)
一応、怪しくない程度に全てではなく、手に持って歩けるくらいだけ残して、荷物だけ部屋に送っておく。数日前に、荷物だけ別の場所に転移させる練習をしたが、問題はなかった。
「シルフは何か、欲しいものある?」
近くにいるはずの、シルフに声をかける。物理的に視認できない魔法がかかっているので、本当に居るのか怪しいが、なんとなく存在は感じ取れた。
「……僕のことは、今日は気にしなくていいよ。冷が楽しんでくれたら、それでいいから」
「うん。分かった」
一応、後でケーキ屋さんとか、お菓子の専門店に行こうと考える。
この力と姿を与えてくれたシルフには、とても感謝しているから。せめて欲しい物があれば買ってあげたり、プレゼントしたいとは思っていた。
要約
・オフィス街に空間転移しました。
・そこから目的地に電車で移動しました。
・ファンの女の子に声をかけられました。
・下着専門店に買い物へ行きました。
・シルフが静かです。