アルビス市民国編1 入城の巻
デレス君主国の最南端にある《砂の大瀑布》を抜けるとそこには大草原が広がって居ます。ここから先がフェルパイア連合の本領になります。フェルパイア連合と言うのはそれは一つの国ではなく数十と言う小国家が緩やかに連合しています。それぞれの国は独立、もしくは扶養国として存在し、独自の政体、文化を持っています。例えば市民が選挙で代表を選ぶ共和国、世襲代官が政治を行う国、国王が政治を行う王国、法学官長が直接統治を行う聖王国など色々な国が混在しています。共通点と言ったら同じ言葉を話している事、マースドライア教と言う一神教を国教にしている国が多いぐらいだそうです。フェルパイア連合に所属しているそれぞれの国は独立し独自の法律と国家制度を持っており国同士の些細な諍いで戦争が起こる事も少なくは無いそうです。しかしながら今現在は南から圧力を掛けてくる帝国から独立を守るためフェルパイアの小国家は連合し、帝国の力を排除するために協調しているそうです。そのためフェルパイア連合内の諍いは平年よりはかなり少なくなっています。アルビス市民国はフェルパイア連合の中では一番北の方にあるので危機意識はかなり低いそうです。北には尚武の国たるデレス君主国ありますが、《砂の大瀑布》に遮られて没交渉な事もあり、軍事はかなりお粗末と言う事です。
実際のところ《砂の大瀑布》を超えたアルビス市民国の国境にはくたびれた槍を担いだ老衛兵二人しか居ませんでした。その老兵は、そこに書いてある帳簿に日付と名前と人数を署名して行きなさいと言っただけで、『今日もしばれる……野暮用はすませて温い暖炉で温まりたい』と言いながらそう言い残すと衛兵小屋にすぐ戻っていきました。
「随分、いい加減警備ですが、これで大丈夫なのでしょうか?」
「わざわざ《砂の大瀑布》を抜けてくるのは商人か冒険者か、エルフの王国の使節ぐらいですからこんな適当でも構わないのでしょうね。おかしな冒険者や盗賊があの辺を彷徨いていたらデレスの兵隊に即座に狩られますから」
テンション上げ目で筆頭書記官が言います。筆頭書記官は何を思いだしてこれを話しているのでしょうか?少し気になりましたが、知ったところで時間の無駄なので軽く受け流して起きました。
《北アルビスの大草原》は、デレス君主国の冷涼で冷たいと言うとり痛い風が吹き荒れる環境とは違い空気は多少湿っており、和らいだ雰囲気を醸し出しています。大体一エルフ里の《砂の大瀑布》を通過するだけ、あまりに気候が変わり過ぎますが、里の外と中の気候に比べれば大した差ではないとも言えます。恐らく《砂の大瀑布》遮る長い山々がデレス方面から流れ込んでくる寒い空気を遮っているのでしょう。……とはいえエルフの王国よりも寒いです。このアルビス市民国は一年中通して降雨は少なく特に冬はほとんど雨が振らず晴れた日が延々と続くそうです。冬は寒く夏は乾燥しているが暑いと言うのがアルビス市民国です。
《砂の大瀑布》と《北アルビスの大草原》の間は長い山々で遮られており、その間にある渓谷だけが接点になります。この渓谷は《デレス南渓谷》と呼ばれており、その出口の所がアルビス市民国の国境になる訳ですが先程書いたように粗末な衛兵小屋に野ざらし机の上に紙浮葦を束ねた葦紙と呼ばれる紙の束ねられておいてあり呼んでも中々小屋から出てこない老衛兵がそこに詰めているだけです。こっそり出入りしても問題なさそうなザルな国境警備をしている訳です。実際こっそり出入りしている冒険者とか居そうな気がします。エルフの王国とは大分のんびりしていて平和ぼけしている感じもしますが、「ここはそう言う国ですから」と筆頭秘書官は言っていまいます。
「アルビス市民国は、一月ですから残念ながら寒いです。ここは4月頃に訪れるのが一番良いです。寒くもなく、暑くもなく良い具合に雨も降りますので」
筆頭書記官が私ではなくエレシアちゃんに向かって言います……と言いますか筆頭書記官はいつまで私達の馬車に乗り続けるのでしょう?ずっとでしょうか、さっさと自分の馬車に戻れと念じながらアルビス市民国の中を馬車は進んでいます。
《北アルビスの大草原》を進むと細く長い川が東西に向かって流れてこんでおり——この川は《北アルビス川》と呼ばれていますが、もっと北の方から流れてくる川の分流らしいです——しばらく先でほぼ直角に曲がると今度は南に流れを変えます。そこを起点に地面は徐々に抉れていき大きな渓谷を作り出しています。川を中心にして緩やかな坂が左右に広がっており徐々にその角度は急になっていきます。そこを《北の渓谷》と言うそうです。《北アルビス川》は《北の渓谷》を突っ切るとアルビス市を通り更に東西南に分岐してフェルパイアの各地に分流していくそうです。
「エレシア様、この川がフェルパイアの農業を支えているのです。フェルパイアは雨があまり降らないので北から流れこんでくる川の水と帝国との境にある南フェルパイア山脈からの雪解け水がフェルパイアの農業を支えている訳です」
などと自慢げな口調で筆頭書記官が言います。
車列が渓谷を抜けると畑が広がっていきます。その畑は冬とはいえとても手入れされているとは言えず雑草が不揃いに生えたまま半ば枯れています。畑の周りを見渡すとポツポツと藁で作ったと思われる人の高さほどの円錐上の構造物が見えます。いくつかの円錐上の構造物からは煙が上がっているのが見てとれました。
「エレシアちゃん、あの藁の構造物はなんでしょうか?」
「あ、あれは家だな」
エレシアちゃんに尋ねたはずですが、清掃係の右の方が突然割り込んできました。ところで、清掃係の二人は別の馬車に乗っているはずですが、こいつはいつの間に現れたのでしょうか?
「面白そうだから飛び乗っただけだ」
非常識にもほどがあります。エレシアちゃんの馬車ですよ。勝手に出入りしないでください。今度飛び乗ろうとしようとしたら有無を言わず弓で打ち落としますと抗議したら「善処する」とだけ言います。それ、絶対またやると言う意味ですよね。少し軽く威嚇しておくことにします。しかし、黙々となにからし食べている竜を加えると今この馬車には四人乗っている訳で、少し狭い気がしますが、エレシアちゃんとの距離が少し近くなったのでそれは良しとしておきます。
「あ……あそこに人が住んでいるみたいです」
エレシアちゃんが円筒状の構造物を指しながら言います。しかし、エレシアちゃんは、いつ見ても可愛いです。その細くて透き通る髪は光が当たると虹の様に輝きよりその可愛さを協調します。更に今召している服も簡素ながらも見事にポイントを抑えており可愛らしさをより引き出してています——まぁ何を着ても可愛い訳ですけど……ちなみにエレシアちゃんは現国王の甥の娘に当たるディルミス公爵の娘です。ちなみ王族は通常、森エルフなのですが、公爵もエレシアちゃんも森エルフではありません。森エルフではないのに王族なのには深い理由があるのですが、それを繰り返し書く必要は無いでしょう。ちなみ森エルフは精霊魔法を得意とし髪色は濃緑色ですが、エレシアちゃんは精霊魔法は使えませんし青空色の髪色をしています。ちなみに青空色の髪は空に溶け込み日の光を浴びると綺麗に輝きます。
——それはともかく円錐状の構造物に関する話を続けることにします。
「あのような所に人が住めるのでしょうか?」
「動かない天幕みたいなもの。一応風はしのげる。火を焚けば結構温かい」
「た……竪穴式住居と言うものらしいです」
その名前、一万年以上前に書かれた人間さんに関する本に出てきた様な気がしないでもありません。
《北の渓谷》を抜けると開けた平野の朽ちた森の西側にアルビス市民国の首都であるアルビス市が広がって居ますが、そこには今まで見たものとは全く異なる見慣れぬ光景が広がっています。その風景は草原や森の中にあるエルフの都市や荒れ地の上に天幕を張り巡らせたデレス君主国の首都とも全く異なります。アルビス市の中央を流れる《北アルビス川》のある浅い谷の一番底にあり、その周りは壁で覆われており薄らと幾つもの煙が立ち上るのが見えるのですが壁の中の様子は傍目ではまるで分かりません。聞き耳を立てても都市の中はあまり活気が良いと言えずそれは何者かから身を隠すようにひっそりとした場所でした。
「まるでどんよりとした曇りのような街です」
街の中から感じ取れる辛気くささからそんな感想を持ちます。
城門の前には国境の老衛兵と違い立派な門番が並んで立っており、そこで外交官が応対しています。
「街の出入りはちゃんと検査するのですね」
「関税の絡みですね。アルビスの市内に持ち込む品物にかける関税はアルビス市の大きな収入源ですから。荷物検査だけは怠らないと言うところでしょうね。まぁアルビス市が発行した公式の通行書があれば荷物検査も無検査で出入り出来るのですけどね。通行書が発行されるのは登録冒険者と市内と特許状を商人ぐらいですけど、この国は金にならない事にはかなりいい加減です」
私のつぶやきに対して筆頭書記官が《《何故か》》エレシアちゃんに向かって答えていいます。外交官は私達のところまで戻って来ると一度馬車から降りる様に言います。
「一度馬車の中を検分したいとのことなので馬車から降りて城門をおくぐりください、お手数かけますがエレシア様、よろしいでしょうか?」
「わ……分かりました。おっしゃるとおりに致します」
エレシアちゃんが慌てて馬車から飛び降りようとします。
「エレシア様。ここはゆっくり降りるべきだと思います。仮にも王族ですし……」
エレシアちゃんは息を整え直すと今度はゆっくりと馬車から降りていきます。
それに続いて私達も馬車から降ります。
門をくぐるとそこには壊れかけたあばら屋や小屋が広がっており、その辛気くささの具合がよく分かります。家の壁はボロボロに朽ち果てており中には屋根が壊れて天井が見え隠れする様な家まであります。どの家も一貫性がなくその辺りから拾ってきた雑多な木板や石ころ、藁などを適当に組み合わせたかのような感じです。その周りを彷徨いている人達はみんな精気がなく虚ろな目をしながらまるで生き返った死者の様に這い回っています。身に纏うものはすり切れた襤褸切れ、足には靴を履いておらずまるで裸足で歩いているかの如く、当然お風呂には生まれて一度も入ったことの無いような汚らしさ。その行き交う人々に特徴的なのは誰もが首に鉄の輪っかを付け輪っかからは鎖が垂れ下り鉄板がぶら下がっています。鉄板には文字が書かれている様です。
その周辺の臭いは効き鼻を止めても臭気が漂っていく酷さです。道路には汚物が漂っており道の脇には腐敗して半ば白骨化した死体が辺り構わず転がっておりエレシアちゃんは眉をひそめます。隣で喉をゴクリとさせている竜が少し気になります。
「人間は食べ物ではありませんよ?」
竜には一応釘を刺しておきます。一度人間の味とか覚えたら何をしでかすか分かりません。この燃費の悪い健啖家は。
「言われなくても食べぬわ」
少し反抗的な目で竜が言い返します。これは後で、締めておいた方がいいでしょうか?
「ま、まて……それには及ばぬぞ。言いつけは絶対守るから。あの修業はもう勘弁じゃ」
竜は殺気を感じたのか急に言い回しが淀んでいます。
「ところで、いったいここはどこなのですか?」
その昔、読んだ本に出てくる地獄の風景と言われても違和感を持たないぐらいの場所です。
「ここはアルビスの奴隷地区です。国や個人の所有する奴隷達がここに住んでいます」
エレシアちゃんの横について細かく口だししている筆頭書記官の代わりに筆頭でない方の秘書官があゆみ出て言います。
「奴隷ですか?奴隷とは一体何でしょうか?」
「ええ……賢者様は奴隷を知らないのでしょうか?奴隷というのはざっくり言うと人の所有物となっている人の事です。その行動は制限されており主の命令に逆らう事は出来ません。首にぶら下がっている鎖は魔法で鍛えられたもので所有者の証と言うものだそうです。その鎖が有る限り所有者の監視から逃れられないとか」
所有物であればもう少し大切に扱えば良いと思うのですがアルビス市民国の人達は贅沢なのでしょう。目の前を通った奴隷の鎖からぶら下がっている鉄板を覗いてみると『私はイネルの黄金屋敷に住まうリムスの奴隷です。主の命に逆らい逃げ出してきました』とフェルパイア語で書かれています。
「それで、この鎖にぶら下がっている鉄板は何でしょうか?」
「そのプレートは奴隷が逃亡したり迷子になったときの道しるべだそうです。書かれているのは連絡先みたいなものだそうです。それよりここは空気が悪いのでさっさと中央区の方に参りましょう」
私達はそのタイミングで城門をくぐり抜けてきた馬車に乗せられるとそのまま奴隷地区を去り足早に中央区の方に進んで行きます。
アルビス市民国は都市国家でその大きさは数エルフ里四方とあまり大きくありません。半日もあれば国の端から端まで抜けられる距離です。その中央の浅い谷に広がって居るのが首都アルビスです。アルビス市民国は民主奴隷制を引いており市民権を持つ市民と国と平民が所有する奴隷により構成されています。人口の半分以上が首都アルビスに集中しており、その中央区に大半の平民が住んでいます。奴隷区に住んでいる国家奴隷は、町の清掃、汚物の収集を行ったり、生活必需品の製作、城壁の修理などに借り出されるそうです。私有奴隷の一分は所有者の建物の雑事をするため市民の家に住み込んでいるものも居ますが大半はこの辺りかもしくは荘園に住んでいるそうです。一方国家奴隷の大半は首都の外に広がって居る平野部に住んでおり耕作を行っているそうです。その建物は奴隷区の建物より少しはマシだそうです——とはいえ木と藁を組み合わせて作った竪穴式住居なのですが。
ここまでが秘書官の説明です。ところで都市国家と言うのは何でしょうか?後で調べてみましょう。
「街の清掃を担っているのに自分達の家の清掃は出来ないと」
「賢者様、ここではそう言う事は言わない方がよろしいかと思います」
秘書官がそう言います。右と左の二人も特に何も言いません。何でも使いで何度かこの街に来たことがあるそうで、その辺はわきまえているそうで「こんなのそのうち慣れちまうって」「森に入りては森の掟に従えと申しますし私達もこの国に対し特に何も言いません」と言っています。
アルビスでは国防を担っているのも奴隷だそうです。フェルパイア連合の国家はその兵を傭兵か貴族が賄う国が多いのですが、アルビス市はかなり違います。それ以前の問題としてあのような精気ない奴隷達を戦闘に投入しても却って足手まといになるだけだと思うのですが何か秘策でもあるのでしょうか?
「もっとも奴隷が主力と申しましても指揮官は市民から選抜されています」
「奴隷が結託して反乱起こしたらひとたまりも無いでしょうね」
「——なのであのように所有者の証をぶら下げているのでしょう。あれは魔法的な拘束力もあるらしいです」
魔法的な拘束とは下代魔法で《誓約》より強制力の高い《強制》か《隷属》あたりでしょうか?信仰魔法を使っている可能性もあります。その当たりはあまり興味が無いので同時に別の事を考えながら聞いていましたちなみに考えて居たのはもちろん今日の宿と食事の事です。そろそろちゃんとしたお風呂に入りたいものです。デレスでは水が貴重でしたのでお風呂に入る機会がありませんでした。もちろん水精を使って水をかき集めれば即席のお風呂が作れますが、しかしスケジュールがびっしり埋まっていましたし、デレスの人達が驚いてしまうのも困るので流石に自重していたのです。




