仮面の王子の後悔
ラウール視点です
俺がこの17年間で死ぬほど後悔したこと―――それは、初恋の相手に『不細工』だと言ってしまったことだ。
初めて彼女を見た時、こんなに美しい5歳がいるのかと、本当に驚いた。
どこからどう見ても美しい。まるで女神のようなその姿に、見惚れた。そして俺ににっこりと微笑み、一生懸命に挨拶をしてくれた彼女に惚れた。
彼女は、俺の初恋だった。
しかし、誠に残念なことに、俺は上がり症だった。そして緊張しすぎると口が悪くなるという欠点付き。この口の悪さは父親譲りだ。通常は国王らしく威厳のある態度や口調を崩さないが、ひとたびプライベートになるとどこのチンピラですか、と言いたくなるような口調になるのだ。
そんな父上を母上が扇ではたく。これが知られざる国王夫妻の日常である。
母上は表向きこそ、王妃らしくとても物腰丁寧で優雅な風を装っているが、反面、恐妻家でもあった。父上は母上に逆らえない。二人の間に何があったのかは知らないが、妻にヘコヘコする夫の図は俺が物心つく頃からあった。
そんな母上は父上だけにではなく、俺にも厳しかった。母上のお蔭で俺はわずか3歳にして女性恐怖症を発生し、女性の目を見て話すと緊張して口が悪くなる、という王子として如何なものか、といえるような欠点ができてしまった。
その忌々しい欠点が、彼女の前でも発動されてしまったのだ。
後悔先に立たず。後で悔いるから後悔と書くのだということを身をもって実感した。
彼女はそれから白い仮面をつけるようになってしまった。あの美しい彼女の素顔を見ることができなくなってしまったのだ。他ならぬ、俺のせいで。
なんとかしようと必死になってこの欠点を克服した。彼女の仮面からヒントを得て、直接女性の目を見なければなんとかなるのではないかと思い、身近にいたメイドで試してみたらこれがまた効果的で、俺は彼女の真似をするかのように仮面をつけるようになった。
段々と仮面で女性への免疫をつけ、ようやく欠点を克服した。これで彼女に逢っても大丈夫―――だと思ったのに、どういうわけか、彼女の前だと素直な言葉が出てこない。
俺はこんなに不器用な人間だっただろうか。彼女以外の前では上手くできるのに。
そんな日頃の鬱憤を晴らすべく、ポールの目を盗んで街へ下りた。
街へはたびたびポールと遊びに行っていた。なので、大抵の場所は知りつくている。
今日はどこへ遊びに行こうか、そう考えながら街をブラブラしていると、目の前に少女が飛び出して来た。
避けようと思う前にぶつかってしまい、咄嗟に少女の腕を掴んだ。
「ごめん! 大丈夫? 怪我はない?」
そう問いかけると、少女は咄嗟につむっていた目をゆっくりと開き、俺を見つめた。
「え、ええ…お蔭様で」
特に何ともなさそうな彼女の様子に俺は心から安堵した。
そして改めて彼女の顔をまじまじと見つめ、胸がどくん、と高鳴るのを感じた。
亜麻色のふわふわとした髪。春の空のような澄んだ水色の瞳。どこか懐かしさすら感じる彼女の容姿とそのしぐさに俺の鼓動はさらに早くなる。
ああ、俺はこの感覚を知っている。
この感覚は。
――――恋だ。
彼女とはあれから数回逢った。彼女に逢うために王宮を抜け出し、いそいそと街へ通う日々。
彼女に逢っている時は、嫌な事を忘れることができた。彼女が微笑めばそれだけで常春のような光景が眼下に広がり、幸せな気分になれる。
そうだとも。認めよう。俺は人生二回目の恋に浮かれまくっていた。
彼女の話す声、表情、しぐさ。それを思い出すだけで俺は頑張れた。
ああ、早く彼女に逢いたい。そう思いながら、俺は今日も政務をこなす。
「……殿下」
「なんだ、ポール。俺は今忙しい」
「ええ、そうでしょうね。明日は待ち合わせの日ですもんね」
「…なんの話だ?」
俺はポールのその言葉に、今まで書類に向けていた視線をポールに移す。
(なぜ知っている…!? 明日は確かにフィーネと逢う約束の日だけど…!)
仮面をしているため、表情なんてわからなかったはずだが、ポールはニヤッと笑い、「殿下は詰めが甘いんです」と言い出した。
「うまく俺から逃げているつもりなんでしょうけどね、知っていますよ、殿下。殿下がたびたび街へ下りていることを。そしてそこで可愛らしい娘さんと逢瀬を重ねていることも」
「……なんのことだかさっぱりわからないな」
「とぼけても無駄ですよ。明日は俺も陰からこっそり見守らせて頂きますからね」
「……好きにしろ」
どうやらポールにはバレているようだ。なんとなく、そんな気はしていたのだが。
「ですが、殿下。殿下にはジョセフィーネ様という大変お美しい婚約者様がいらっしゃることをお忘れなく」
「…わかっている」
「本当ですか? 来年、ジョセフィーネ様との婚礼が決まっていると知っても?」
「なんだ、それは? 俺は聞いてない」
「そんな噂があるんですよ。噂なんで真偽の沙汰は確かではありませんが」
「そうか…俺が来年成人だからな…それに合わせてか」
「その可能性が高そうですね」
ふむ、と俺は腕を組み考える。
ジョセフィーネとの婚姻は幼い頃より決まっていたことだし、今更どうこうできるものでもない。ただ、ジョセフィーネと顔を合わせれば嫌味の言い合いで、こんな状態で夫婦としてやっていけるのか…と考えると憂鬱になる。
上手くやっていけるのだろうか…不安しかない。いや、俺が素直になれないのが悪いのだとわかってはいるのだが。
それよりも、フィーネだ。いずれフィーネとも別れなければならない。
今ならまだ知り合ったばかりだし、別れても傷は浅くて済む。きっとお互いに。
別れは早い方がいい。わかっている。わかっているのだが。
―――ねえ、ランディ。あれはなにかしら?
俺に笑顔を向け、無邪気に話かけてくるフィーネ。そのフィーネの笑顔がとても眩しくて、愛おしい。
フィーネはどこかの箱入り娘のようで、街にあるものすべてが新鮮で物珍しいと言っていた。フィーネの無邪気な問いに答えてやれば、フィーネはきらきらとした目で俺を見つめ、俺をすごいと褒めるのだ。
とても幸せで、かけがえのない時間。
それを自らの手で壊さなければならないことに激しい痛みを感じる。
でも、今はまだ。もう少しだけ。
そう言い訳をして、今日も俺はフィーネとの別れを後回しにした。
その日はジョセフィーネとの茶会の日だった。
いつものごとく、完璧な淑女の礼をして俺の前に現れた彼女の顔には、やはりいつものように白い仮面が付けられていた。
「ごきげんよう、ラウール殿下。今日もその仮面が素敵ですこと」
「ごきげんよう、ジョセフィーネ嬢。君もいつものごとく、その仮面がよく似合っている」
仮面の下でもにっこり微笑み、俺と彼女は臨戦態勢だ。
いつものことながら、婚約者同士としてこれはいかがなものなのだろうか。
もちろん、夜会などではそれなりに仲の良いふりをしている。周りから彼女との仲を不審に思われないように気を遣っている。
しかし、母上にはこの仮面婚約者ごっこがお見通しなようで、逢うたびにチクチクと嫌味を言われる。母上はジョセフィーネのことを気に入っているのだ。
「君はいつになったらその仮面を取るんだ?」
「さあ、いつでしょう?」
ふふ、と明らかな作り笑いを浮かべて彼女は答える。
本当に彼女は可愛くない。フィーネのあの無邪気な笑顔を見習え、と言いたい。
「まさか、結婚してもその仮面をずっと付けたままでいるつもりなのか?」
「まあ。それはそれで面白そうですわね………え。殿下、今、なんとおっしゃいました?」
「仮面をずっと付けたままで…」
「その前です」
「結婚しても?」
「け、結婚…! そうだわ…結婚……」
ジョセフィーネは急に俯き、ぶつぶつと何かを呟き始めた。
彼女の態度の急変に俺は戸惑う。一体なんなんだ?
結婚? まさか、結婚がいやだとか…? この婚約は幼い頃から決まっていることなのに?
「ジョセフィーネ?」
「あ…も、申し訳ありません、殿下」
さっと彼女は頭を下げた。仮面を被っているため、その下の顔はどんな表情をしているかわからない。だけど、彼女の様子からして、きっと動揺しているのだろう。
なにをいまさら、と呆れてしまう。
「殿下と結婚するのはまだ先のことだと思っていましたけれど…そうですわね、そろそろ、そういう話が出てもおかしくはない頃ですわね…」
「俺と結婚するのが不服なのか?」
「まさか。これは家の決めたことですもの、わたくしの意思など関係のないものですし、幼い頃より覚悟はしておりましたから」
仮面越しに彼女のまっすぐな視線を感じ、俺は思わず笑みを零しそうになる。
彼女のそういう真っ直ぐなところは嫌いではない。むしろ、好ましいと思う。
俺は彼女の答えに満足し、彼女から視線を逸らして茶を飲んだ。
だから、見逃した。彼女の手が小さく震えていたことに。