とある侍女の独り言1
私の名はニーナと申します。ジョセフィーネ・パラモール伯爵令嬢付きの侍女という名誉ある職に就かせて頂いております。
私の主、ジョセフィーネさまは大変美しいお嬢様です。
亜麻色のふわふわとした長い髪、春の空のような淡い水色の瞳。くるんと上向きにカールした長い睫毛に、シミやそばかすなどない、白磁のような滑らかな肌に、頬紅をつけなくてもほんのりと色づく頬に、ふっくらとした小さな唇。
世の女性が羨む容姿の持ち主です。そんなお嬢様は、美意識がとても高いのです。
お肌の手入れへの拘りは人一倍。新しい化粧品が出れば必ず試す。
お蔭でお嬢様の美しさは年を重ねるごとにより一層輝かしく、このお方はどこを目指しておられるのだろう…と遠い目をしたくなるほどでございます。
そんなお嬢様には婚約者がおられます。
この国の者なら誰でも知っている、王太子ラウール殿下がお嬢様の婚約者です。
ラウール殿下はとても端正な顔立ちをしている青年だそうで、お嬢様と並んで立った姿はまさに絵になるだろう―――
と、旦那様たちが話しているのを聞いたことがございます。
え? 聞いたことがあるだけなのか、ですって?
ええ、そうなのです。私は誠に残念ながら、ラウール殿下のお顔を拝見したことがないのです。
お嬢様は週に2回ほどラウール殿下に呼ばれ、王宮へ通っておられます。
慣れた足取りで王宮を歩くお嬢様のあとにそっと続く私は、周囲の目線が気になって仕方ありません。
お嬢様は気にした様子はございませんが、私は気になるのです。
敬愛する主人であるお嬢様が周囲から称賛の眼差しを受けるのならいざ知らず、奇異の目で見られているからです。
最初にも申し上げました通り、お嬢様はとても美しいのです。誰もが注目せずにはいられないほど、美しいのです。
それほどの美貌を誇りながら、お嬢様はその素顔を白い仮面で覆い隠しておられるのです。これではせっかくのお嬢様の美貌がなんの役にも立ちません。私としてはその仮面をはぎ取り、私のお嬢様はとても美しいのだと声高々に宣言したい気持ちに駆られます。
しかし、そんなことをしてもお嬢様を困られるだけだとわかっておりますので、ぐっとその衝動を堪える日々です。
お嬢様は社交の場では、必ず白い仮面をつけて参加します。常に口元に微笑みを浮かべているお嬢様は悪い方に目立ちます。
その仮面の下はどんななのか。女神のように美しいのか。はたまた、悪魔に魅入られたような顔をしているのか。それとも酷い火傷の痕があるのか。
色んな詮索を数多の方々にされても微笑みひとつですべて撃退し、決して素顔を見せないお嬢様。
そんなお嬢様を揶揄して、「顔なし令嬢」とひとはお嬢様の事を呼びます。
その名を聞いた時の私の気持ちがわかるでしょうか。
敬愛するお嬢様についた呼び名が「顔なし令嬢」。お嬢様は顔がないわけではないのです。素顔を見せないのは過去の因縁によるものなのです。仮面さえ外せば、誰もが見惚れる容姿をなさっているのです。そんな風に呼ばれるのはとても腹立たしく、そう呼ぶ方々をいっそ始末してしまおうか、と昏い考えが一瞬頭を過ったほどです。
しかし、私のそんな思いに反して、お嬢様はこの呼び名を気に入っているようなのです。
「顔なし令嬢? まあ、まさに私にぴったりの名だわ」と、面白そうに呟いておられました。
お嬢様がなにも思わないのなら、私がとやかく言う必要はありません。
……ほんの少し、もやもやしますが。
お嬢様はいつも通りにラウール殿下の執務室へ向かい、ノックをして返事が帰って来たのを確認したあと、「失礼致します」と執務室に入り、見惚れるような優雅な一礼をしました。
私はいつもお嬢様の一礼を見るたびにうっとりとしてしまいます。それくらい、お嬢様の所作は美しいのです。
「ごきげんよう、ラウール殿下」
「ごきげんよう、ジョセフィーネ嬢。わざわざすまないね」
「いいえ。親愛なる殿下のためなら王宮に足を運ぶくらいなんてことはありませんわ」
口元に微笑みを浮かべ殿下にそう告げるお嬢様。
殿下は今まで政務をされておられたようで、机の書類を少し片づけたあと、お嬢様の元へ向かい済まなそうな声音でお嬢様に謝罪いたしました。
殿下はとても素晴らしいお方です。文武ともにとても優れておられ、性格も温厚で誰にでも分け隔てなく平等に接するお方です。しかし、罪を犯したものには容赦がない、という冷徹さも持ち合わせた、まさに理想の王太子殿下です。殿下の治世はとても素晴らしいものになるだろうと言われております。
しかし、そんな殿下ですが、二つほど欠点があるのです。
一つはその顔に付けられた仮面。まるでお嬢様と対になるかのように黒い仮面を常につけられているのです。婚約者であるお嬢様ですら殿下のお顔を拝見したことがないのです。殿下もまた然り、ですが。
殿下が仮面をつかられている理由―――それは女性を目の前にすると上がってしまい、とても口が悪くなるという病に罹っておられたからです。今ではすっかり治ったようなのですが、お嬢様が仮面を取るまで自分も取らないと宣言されているのだとか。
もう一つは、お嬢様を目の前にすると仮面をつけていても口が悪くなる、ということでしょうか。現に今も。
「相変わらず趣味の悪い仮面をしているんだね、君は」
「殿下の方こそ。病が治ったのでしたらその仮面をお取りになれたらいかが?」
「婚約者に合わせてやっている俺の親切心がわからないとは…嘆かわしい」
「あら。そんな親切心でしたら溝にでも捨てくれて構わなくてよ」
…という、皮肉の押収を毎回繰り広げられるのでございます。
わかっております。ええ、私にはわかっておりますとも。
殿下のこれがお嬢様に対する照れ隠しゆえの言動だと。
しかし悲しい事に、お嬢様はそんな男心のわかるお方ではありません。負けず嫌いで短気であられますので。
そもそも、お嬢様と殿下がこんな関係になってしまったのも、殿下の不用意な一言のせいなのです。
婚約することが決まっていた幼いお嬢様と殿下は、お嬢様が5歳の時、そして殿下が7歳の時に初めて顔合わせをされたのです。
お嬢様は昔から蝶よ花よと育てられ、自分が世界で一番可愛くて美しいのだと信じて疑っておられませんでした。そんなお嬢様は、お嬢様なりに年の近い殿下と歩み寄ろうと可愛らしく挨拶をされたそうです。
私はその時はまだお嬢様付きの侍女ではございませんでしたので、その時のことは人づてに聞いたのですが、その時のお嬢様はまるで春の妖精のように愛らしかったと聞いております。ええそうでしょうとも。私の自慢の主ですからね。
…話が逸れましたね。とにかく、お嬢様はその当時できた精一杯の淑女の一礼を殿下に披露されたそうです。そして二人とも無事に自己紹介すみ、大人たちがほっとしたその時、殿下がボソリと余計な一言を呟いてしまわれたのです。
『……不細工だな』
お嬢様はこの一言に、カチンと来られたそうです。ええそうでしょうとも。お嬢様は大変短気でいらっしゃいますからね。今でこそ大分その短気はなりを潜めてくださいましたが、昔は大変でございました…。
…またもや話が逸れてしまいました。いけません、お嬢様のこととなるとつい口から余計なことが…侍女としてまだまだですね。今からより一層精進せねば。
ごほん。話は戻しまして。
殿下のその一言に腹を立てたお嬢様は顔を真っ赤にして殿下にこう宣言されたそうなのです。
『ぜったい、あなたにきれいっていわれるくらいびじんになってみせるわ! それまでくびをあらってまっていなさい!』
それからです。お嬢様は旦那様に我が儘を言って仮面を作って貰い、その仮面を四六時中つけて素顔を見せないようになり、美への拘りが強くなったのは。
お嬢様は常々おっしゃっております。
「いつか絶対あのクソ王子をぎゃふんと言わせてやるわ! そして私の美貌の前に泣いて昔の発言を謝らせてみせる」と。
あの当時のお嬢様が5歳。現在のお嬢様の年齢が15歳。10年越しです。お嬢様の執念深さが恐ろしく感じるのは私だけでしょうか。
「ジョセフィーネ嬢。確か、盤上遊戯が好きだと言っていたよね?」
「ええ、そうですが。それがなにか?」
「先日良い物を手に入れたんだ。東洋の盤上遊戯『ショーギ』というものを。一緒にやってみないか?」
「『ショーギ』…?」
「ルールは基本的にチェスと同じさ。俺に負けるのが怖いのならやめるけど?」
さあ、どうする、と殿下が意地悪くお嬢様に問いかけました。
ああ、殿下は本当にお嬢様の性格をよくわかっていらっしゃる。そんなことを言えばお嬢様は…。
「……やってやろうじゃない。受けて立ちますわ! わたくしに勝負を挑んだことを泣いて後悔しても知らなくってよ」
…そう言うと思っておりました。
殿下はニヤリと微笑み、「そうこなくては」と背後にいた騎士に視線を向けました。
騎士は殿下の目線を受け、さっと部屋から出てすぐに戻ってきました。
「ポール、助かった」
「いいえ、これくらいお安い御用です。ジョセフィーネ様のためですから」
そう言って殿下にポールと呼ばれた騎士はにっこりとジョセフィーネ様に笑いかけました。
実はこの騎士、私の腹違いの兄なのです。真っ赤な赤毛に深い森のような緑の瞳の人懐っこそうな、身内の贔屓目なしにそれなり整った容姿をしています。
兄はお嬢様の信者です。一度お嬢様の素顔を見てしまった兄は、それからもうお嬢様の虜なのです。お嬢様のためなら命も惜しくない、というくらいの熱狂ぶりです。ええ、正直ドン引きです。
そんな兄ですが、騎士としてとても優秀で、殿下に気に入られて近衛騎士となったという特殊な経歴を持っています。剣の腕前はこの国でも五本の指に入るのでは、と言われるほどの実力なのだとか。普段の兄の様子を見るに、とてもそんな風には見えないのですが。
殿下がお嬢様にショーギのルールを説明している時、兄が私に近づいてきました。
「よっ。元気か、妹よ」
「この間会ったばかりで、元気もくそもないでしょう」
「そりゃそうだ」
兄はそう言って楽しそうに笑います。そして真剣な目をして私に問いかけました。
「最近のジョセフィーネ様はどうだ?」
「変わらないわよ。そう数日で変わるものでは…いえ、最近少し様子がおかしいわね」
「なに?」
「なんだか最近そわそわされていることが多いの。なぜなのかはよくわからないけれど…」
「そうなのか…ハッ。ま、まさかジョセフィーネ様は誰かに恋をされているんじゃ…?」
「お嬢様が、恋?」
そんなことあるわけないでしょう、と兄に言おうとした時、「オーテ」という殿下の通った声が部屋に響きました。
私と兄はハッとしてお二人の様子を見ると、お嬢様が仮面越しでもわかるほど悔しそうな顔をされておりました。お嬢様の様子からして、どうやら殿下が勝ったようです。
「俺の勝ち、だね?」
「…今はちょっと調子が悪かっただけよ。もう一回!」
そう言ってお嬢様は殿下にもう一回対戦するように頼みます。殿下は「仕方ないな」と言いつつ、お嬢様と楽しそうにゲームをされております。
いい加減、殿下も素直になればよろしいのに、と思わなくもないですが、それが出来ないのが男心というものなのでしょう。私にはよくわかりませんが。
私はもどかしい想いをしながら、今日も殿下とお嬢様のすれ違ったやり取りを傍で見守ります。それがお嬢様の侍女たる私の義務であり、お二人の関係の発展を見守ることができる特権でもありますので。
今は殿下の頑張りに乞うご期待、というところでしょうか。