プラセボ効果実験
彼には日本という国においての日常しか知らない。しかし、日々垂れ流される情報の大半に、プラセボ効果を感じてしまう。
体調管理、流行り、思考。細かく割ればキリがない。
その多くは、人が正しくあろうと試みる心境に付け入ったものであると、彼は考えている。
そういう視点からみると、どれが正しく、どれが間違っているのか分からなくなる。
そういう疑問に対して、返せる答えはただ一つしか思いつかない。
正しいものも、間違っているものも、どこにもない。
全ては混沌の中にある。
「本当」などどこにもない。
そんなところに正しさや、間違いなどあるわけがない。
あるべき場所で、あるべき自分でいることこそ貴重なのではないだろうか?
何にでも馴染めるのは、そこに自分の意思がないからで、その指針を他人にゆだねているせいだとかねがね思うのだった。
そういう人たちの状況を知ってか知らずか、世の中では「プラセボ効果実験」が行われていると感じるのだ。人体実験を公の場で流している情報に対して、どのような影響があったのか、どのような変化があったのか、観測しているのかもしれない。
何のためにとか、何を目的にしているのかは分からない。
彼には世界がカオスに見えている。
そこで素直に踊りたいとは思えないのだ。