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竹川無線  作者: 七橋綴
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2.ナースのお仕事

 六月に入ると雨の日が多くなり、次第に日中も太陽が雲に隠れ、若干涼しくとも湿った空気が大学内にも足を忍ばせていた。

 僕は変わらず講義の空き時間は八階にある休憩ルームに足を運んでいたし、以前発見した壁と同化したテープは未だ剥がされていない状態だった。あの会社の募集は定員に達するまで貼られ続けるのだろうか。まるで婚期を逃した誰かみたいだ。誰だろう。

 案外意識をすると見えるもので、必修の講義で周りを見渡してみるとたまにナースさんがいるのを発見した。彼女が必修講義を落としていないのであれば、僕と同じ学年だってことだ。

 一応大学でもクラスみたいなものがあって、必修講義はクラス単位で固定で組まされていることが少なくはない。

 その必修講義にナースさんはいなかったので、同じクラスではないことが判明した。

 他学科と被っているような必修科目は出欠確認を提出するプリントで確認したり、そもそも出欠を取らなかったりすることが多く、未だにナースさんはナースさんのままだった。

 それとナースさんを目撃したときはほとんど、小学生くらいの少女が隣にいることが判明した。

 どうみても大学には不釣り合いなのだが、あれがナースさんが言ってた幼女ちゃんなんだろう。

 あだ名にしては本当にひどすぎる。彼女に対してその名前で呼んでいるのだろうか。

 そもそも幼女ちゃんの年齢が不明なので、小学生から飛び級しているのではと懐疑的な目で見てしまうのだ。あまり電車の中などで見つめてしまうと、なんだか通報されそうだ。

 幼女ちゃんの話は置いといて、これでナースさんが僕の名前を知っていたかの謎は解けた。

 きっと同じ必修講義の人間から聞いたのだろう。

 というか薄々そうではないだろうかと思っていたのだけど。

 つまらない講義の板書だけをノートに書き写して、午後からの予定を考え始める。

 当然大学内の食堂は全学科が利用するので、何時だって満員御礼の状態だ。しまいには基本的にテーブル席のみなので一人で食事をするには周りの目が痛すぎる。

 かといってコンビニも似たり寄ったりで、レジには大量の列ができ人気の商品は一瞬にして売り切れてしまう。

 「下山するか」

 誰にも聞かれないように僕はため息にも似た声を紡ぎだす。

 駅から大学までは緩い坂道が続き、坂道の左右には座って食事できるようにと青々とした芝生と桜の木が植えられている。更には自転車専用の駐輪場と、芝生の向こうにはコンクリートブロックを挟んで教授用の駐車場が併設されている。

 コンビニや大型書店に行くにはその坂を下る必要があり、その為学生からは下山という言葉が使われる。

 講義の空き時間などで時間を潰すためにその坂の上り下りをするには若干躊躇する距離と勾配である。

 やがて昼休みに近づくにつれ、部屋中が独特の高揚感にも似た雰囲気が充満する。

 周囲は講義そっちのけで隣に座った友人と昼食の予定を立て始め、教授やホワイトボードよりも更にその上に掲げられた時計に注目が集まり始める。

 ちらりと遠く反対方向の席に座るナースさんを見るが、こちらはまじめに板書をしているようだ。また更に奥に座る幼女さんはナースさんの陰に隠れて見えない。小さいからね。


 講義が終わり、我先にと部屋から出ていく学生を横目に僕はゆっくりとノートと筆記用具を鞄へと仕舞った。

 昼休みを挟んで、さらに次の講義も今日は休みで二時間近く時間が空く計算になる。

 自宅近くのスーパーに寄って惣菜を買ったほうが安く済みそうなので、僕はコンビニを通り過ぎてさらに遠いスーパーへと向かう。

 一人暮らしを始めて料理は何度か挑戦したが、材料が余るか作りすぎるかでとうとう挫折してしまった。

 それならばとコンビニ弁当ではなく、スーパーの惣菜の方を買うようになった。

 緑色の大きな看板を掲げたスーパーの入口を潜ろうかというタイミングで僕の携帯電話が震える。

 しかもこの震え方は珍しく電話の着信だ。液晶を確認すると懐かしい名前が表示されていた。

『もしもし。珍しいなお前が電話を取るなんて』

 電話を取った瞬間に、微かに間が空いたことを僕は見逃さなかった。

 それほど、彼が驚いたということだろう。

「むしろ先輩が電話かけることのほうが珍しいですね」

『まぁそうかな。んで、今度の文化祭手伝ってくれないか』

「文化祭?大学のですか?」

 僕は微かに眉をひそめる。どうせ不快な表情をしても電話では伝わらない。

『そうそう、大学でバンドやるんだよ。で、人手が足りなくてな』

「お金出るならやりますけど」

『夕食代を奢るということでどうだ?』

「分りました、じゃあ早めに時間と場所教えてください」

 この携帯電話が何時に受信するかも分らないし、こういった連絡事項は早いに越したことはない。

『携帯変えろよ。まぁいいや。大学であまり見ないからな、久しぶりに話せたわ』

「学科が違うので、会わないでしょう。小中高の校舎じゃあるまいし」

『そだな。んじゃ、また』

「えぇ」

 通話が終わったことを確認して、僕は携帯電話をポケットへと戻す。

 大学で唯一認識している高校時代の知り合いである。他にも同じ高校の卒業生はいるだろうけど、僕は全く知らない。少なくとも同じ学科内にはいないというのは確認済みだ。

 先輩の最後の言葉がふと頭をよぎる。

 久しぶりに話せたことに何か意味があるのだろうか。その言葉の意味を意図を考えてしまう。

 きっとそれは僕という同じ高校の卒業生を介すことで生まれるノスタルジーを感じ取りたいだけなんじゃないだろうか。懐かしさに意味はあるのだろうか。

 お昼時ともあって、店内は主婦やサラリーマン、工事現場の作業員など様々な人々が惣菜コーナーを回っている。特にコロッケが五十円だったり、メンチカツが六十円だったりとかなり安いため、昼頃を過ぎる頃に買いに来ると売り切れていることもしばしばだ。

 さすがにこの時間帯に学生は働いていないが、夜になると学生らしき店員が品出しをしたり半額シールを貼ったりするところをよく目にする。トレードマークである謎の生物がプリントされた青いエプロンは何かと目を見張るものがある。店名がとある山脈の名前なので、そこに住んでいる生物なのだろうか。

「さすがに半額神はいないか」

 夜になるとお団子ヘアーの学生店員が売れ残った惣菜に半額シールを貼る光景をよく目にする。

 その貼りっぷりから僕が勝手に半額神と命名した。

 日中帯も三時頃になると半額シールが貼られていることも多い。いっそのこと食生活の時間をずらして暮らしていけば、食費も少しは安く済みそうだと考えてしまう。

 何品目か入っているお弁当とコロッケをかごに入れ、ペットボトルのお茶を探す。

 店内を流れる陽気な音楽とは裏腹に、この時間帯の人間はそれぞれ一人で買い物をしていることが多い。

 いつもと同じペットボトルのお茶をかごに入れてレジへ向かう。レジはそれぞれ横並びに設置してあって、すべてのレジが揃って人が並んでいた。

 バーコードを読み込むスキャナの音がやけに大きく聞こえる。

 ぼんやりと先ほどの電話の内容を思い出してみるけど、そもそも何故受けてしまったのだろうか。

 今更自問自答してみるけれども、手伝うことに至った理由が見つからない。

 給料が出るからだろうか。そもそもお金ではなく、食料として支払われるわけだけど。

 それこそ僕こそが先輩を介して、懐かしさを感じようとしているのだろうか。

「それはないな」

 懐かしさを求めるということは、そこに夢中になれる何かがあったからだ。僕には過去に戻って何かを手に入れたり、再び感じたいという思い出はない。箇条書きされたレポートのように、そこにはただ淡々と出来事が書かれているだけで、内容に対する感想は一切ない。

 まるで年表のようだと僕は一人で納得する。

 薄っぺらくて、取るに足らない文字列のようだ。


 会計が終わって外へ出ると陽光が惜しげもなく地面を照らし、埋められたタイルが反射して眩しい。

 手を翳して空を眺めてみると、遠い山の向こうまで雲は見えずこの後も晴天が続くことが見て取れた。

 その晴れ晴れしい青を見上げるたびに、特に理由もなく力が抜けてくる。脱力というよりも虚無に近い。

「おやおや、毎度あり」

 呆けた顔をしていると、目の前にはナースさんが立っていた。

 一瞬ナースさんと間違えて呼ぶところだった。

「どうも」

 僕は会釈をして、僅かに上がった心拍数を抑えようと周囲に目を配る。

「そういえば竹川君って家近いんだっけ」

「そうだな」

「私もここで働いてるんだ。まだ店で会ったことなかったね」

 出会っていたかもしれないけれども、僕が認識していなかっただけかもしれない。

 いや、もしもばったりと出会っていたのならナースさんが話しかけていただろう。

「あのエプロンに描かれた動物はなんだ?」

「え、あれ?さぁ、山脈に住んでる動物なんじゃないかな」

 店員ですら謎に包まれているらしい。

「そういえば、幼女さんは?」

 幼女さんと呼ぶと、なんだか違和感を感じる。幼女なのにさん付け。

 だけども見た目あの幼女さん頭がよさそうなので、意外としっくりきている。

「幼女さん? あぁ幼女ちゃんね。帰ったよ。あの子は家遠いから」

 ということはナースさんの家は近いらしい。更にはこの後の講義は取っていないらしい。割とどうでもいい情報だけれども。

「ふぅん」

 ここで会話が途切れてしまう。まぁナースさんの名前が分らない以上は僕からナースさんに話しかけることはしない。というかできない。

「そうだ私バイトの時間まで時間あるから、一緒に食べない?」

 さも名案とばかりに胸の前で手を重ねるが、僕にとってはこの選択が明暗を分けそうだ。

「私もコロッケ買ってくる」

 やはりここのコロッケは人気だった。というか、僕の返事を聞かないあたり提案ではなく強制に近いのだけども。それでも、断る理由もなく、だけども一緒に食べる理由もないのだ。

「こうなるとどっちが面倒かだな」

 一緒に食べることへの心労か、もしくは後日出会った時の心労か。

 どちらもネガティブな発想しか出てこない。

 ただまぁ、僕を待たせないと一生懸命店内に走ったナースさんの勇姿を見ると選択肢は一つのようだ。

 どちらかというとコロッケを狙いに行く気持ちが強い気がするけども。

 僕は近くの空いているテラス席に座って、買ってきた弁当とお茶を円形のテーブルに準備する。

 スーパーの隣にはパン屋が併設していて、おそらくパン屋が準備しているテラス席だろうけど、周りもスーパーの惣菜を広げているので気にせずに座る。

 平日の昼間ともあって、周りに利用している人も少なく席には若干の余裕があった。

 それに近くには河川が通っていて、沿うようにして作られたベンチで食べる人が多いのもそのせいだろう。

「おまたー」

 間延びしたナースさんの声。どうやらコロッケは無事に買えたらしい。

「ここのスーパーのコロッケって美味しいよね」

「そうだな」

 ナースさんは早速コロッケを口に頬張って、美味しそうに食べている。

 僕も合わせてコロッケをいただくが、普段と違ってよく味が分らない。ナースさん補正かな。

「なんか変な顔してるね」

「え?」

 どうやら変な顔をしていたらしい。それはコロッケに対する味に対してか、今ここにいる違和感なのか。

「まぁ一緒に食べることになるとはね」

「ふーん」

 特に意に介さずにナースさんは二つ目のコロッケに箸をつける。意外と食べるのが早い。

「そうかな。いや、そうかも」

 ナースさんの自問自答が始まる。コロッケを咀嚼しながら首を右へ左へと傾げる。まるでハムスターみたいだ。

「でも、それってそんな変な顔になるほどおかしいこと?」

 最後にもう一つ右へ首を傾げるさまは疑問符を僕へとぶつけるようにも見えた。

「どうだろうね」

 今度は僕が首を傾げる番だ。お互いがどうだろうと意見しているだけで、その解答はまるで見つからない。まるで卓球のラリーのように乾いた音だけが鳴り響いている。それも未経験者がやっているようにテンポが悪くて、拙いやり取りだ。

 それでも無言になるよりかはいいかもしれないけれども。

「どうだろうね」

 同じ言葉を繰り返し、お互い食事を続ける。

「そういえば、文化祭って来るの?」

「たぶん来る」

 初めてナースさんの驚いた顔を見たような気がする。

「本当は行かないつもりだったけど、手伝いで参加することになりそう」

「同じ学科の友達?」

「いや、高校の頃の先輩」

「ふぅん、何の手伝いなの?」

「分らないけど、バンドやるってたな」

 本当にやるのだろうか。確かに高校の頃にやっていた記憶があるけども、見るに堪えない演奏だった。

「そりゃ楽しみだ」

 本当に楽しみなのだろか。ナースさんの言葉の抑揚からはあまり高揚感は見つけられなかった。

「いいよね、文化祭って」

「そうか?」

「そうだよ。皆でわいわいやるのって楽しくない?」

 楽しいだろうか。そもそも大人数でわいわいやったことないからよく分らない。

 それ少人数でも変わらないんじゃないだろうか。

「ま、結局は面白いと感じたら面白いし、面白くないなら面白くないかも」

「にべにもない言い方だな」

 でもナースさんの持論は少なくとも僕は賛成できる。やりたい奴だけやって、やりたくない奴はやらなければいい。

「でも結局そういうもんでしょ。一人の方がいい人もいれば、誰かいないといけない人だっているし」

「逆パターンもありそうだな」

「逆パターン?」

「一人で居たいのに、周りが集まってくるタイプ」

「あぁ、そうねぇ。幼女ちゃんはそういうイメージかも」

 得心したようにナースさんは頷く。

「横顔しか見たことないから分らないけど、そうなのか」

「ん、というか、どちらとも言えないかも」

「どちらとも?」

「うん、あってもなくても影響しないというか」

「それって、友達じゃないんじゃないか」

 自分でも案外辛辣な言葉を使ったものだと感じる。それでも友達が存在しない僕からすれば、当たり前でなんとも軽い言葉でもあった。

「そうかもね、というか友達ってなんだろ、みたいなね」

「そうだな」

 僕は会話を打ち切るようにテラス席の天井を見上げる。友達という境界条件が曖昧なためにナースさんは迷っているのだろうか。

 それでもアンバランスな関係性の上でふらついているのはナースさんだけではないのだ。

「ま、気にしたら負けなのかもね」

 視線をナースさんに戻すと、ナースさんはどこか遠くを眺めていた。

 気にしなかったら勝ちなのか。そもそも勝ちとか負けとか、きっとそういうはっきりとしない靄みたいなもので覆われて晴れることはないだろう。

 掴んでいるかも分からずに、離したことも気が付かない。

 もしもそれが幼女さんも同じ考えであるならば、靄というものをそのまま靄で捉えて、ずっとそのままにしているのだろう。

「まぁ、友達がいない竹川君だからこそ話せることかもしれないけども」

「壁に話しかけてるようなもんだからな」

 多少の皮肉にも取れる発言だけども、ナースさんはくすりと笑って何も答えない。

 対して僕は多少の苦笑いで済ませる。

「はー、なんだか他の人とはこんな話しないから新鮮だった」

「新鮮か?」

「新鮮新鮮、鮮度抜群だった」

 何が活きていたのだろうか。旬な話題などどこにもなかったような気がするけど。

「さーて、そろそろ仕事するかなー」

 ナースさんはその場で腕を交差させストレッチを始める。

 この時間帯ならば、彼女は半額神になりえない。

 そんな下らない幻想を思い浮かべながら、僕もまた目の前のごみを片付け始める。

「んじゃ、またね」

 片手をあげて僕の返事を待たずにナースさんはスーパーの従業員出入り口へと向かっていく。

 マリオネットのように吊るされた腕は宛先もないままゆっくりとおろされる。

「また、なんてあるのか」

 僕は無意識のうちにため息を一つ。

「あれ?」

 久しぶりに他人と話したからだろうか、無意識に出たため息の理由を僕は知らない。

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