冬休み
春休みの執筆が進まないので、先にこちらをアップします。
過去の作品の為、多少設定が違ったりしますが、後々直す予定です。
クリスマスと大晦日は十二月の主要行事であるけれども、それらは年間でも重要な行事といっても過言じゃないだろう。一月はお正月や成人式、二月は節分やバレンタイン、三月は端午の節句や卒業、四月は入学……と考えれば、十二月は天皇陛下の御誕生日やクリスマス・大晦日というふうになって自然だと思うからだ。
ところで、僕は決して行事の類が嫌いな訳ではない。けれども、クリスマスに限ってはそうかもしれない。少し嫌な思い出があり、どうしてもそれを思い出してしまうのだ。
だいぶ昔の話だけど、その嫌な思い出を語ることにしよう。あまり面白くもなくつまらない話だけど、最後まで読んでくれたら、拙い文章しか書けない僕としては非常に嬉しい。
それでは、長い前置きもこのくらいにして、始めることにしよう……。
中三の冬休み直前の頃。
この時期になると、さすがに中三の誰もが受験勉強をしている。本番二ヶ月前だからそれは当たり前で、もちろん僕もその一人だった。週に五日は塾通いの生活だ。
そんな中、十二月の二十日くらいだっただろうか、普段通り塾に出かけようとすると、ちょうど近所に豪邸を構える神木氏のお嬢様「神木麗」に出くわした。
彼女は僕と同じ塾に通っているから、今回の遭遇は偶然という線も考えられなくはない。でも、これは偶然ではない。毎日必ず彼女とここで会うのだ。不思議だ。実に不思議だ。彼女が仕組んでいると推理するのが妥当だろう。
彼女について補足しよう。レイは今年度すなわち中三になって僕の通う第三中学校にやってきた、転入生である。最初彼女の隣に座っていたため、僕は思わずして彼女と話すようになり、気づけばこうなっていた。それはすなわち、塾の行き帰り一緒という事態の日常化……あれ? なんだか話が逸れてないか……。
気を取り直して……。
会った途端、開口一番レイはこう言った。
「十二月二十五日、暇?」
仏頂面でそう言ってきた彼女に、僕は少し逡巡してから両手を合わせ、
「御免。塾の冬期講習が……」
「嘘つけ! ワトソンと同じ講習を受講してるけど、その日はあいてるわよ」
「ワトソン」というのは僕の名前が「羽斗尊」でワトソンと読めるからという理由で、彼女が名付けたものだ。今ではクラスのみんながそう呼ぶほど浸透している。担任の先生に呼ばれる日もそう遠くはないだろう。
一瞬ニヤリとしたように見えた彼女に、僕は観念して正直に告げた。
「あいてます……」
「そうそう。それで結構。最初からそう言いなさいよ。で、知り合いから招待券を貰ったんだけど、二枚もあるのよね。何なら連れてってあげても良いけど」
何の招待券だか知らないが面倒事は勘弁だ。冬の休日はこたつに入ってミカンを食べる以外に、僕は過ごし方を知らないぞ。まあ、一応丁寧に断っておこう。
「いえ、結構です。遠慮しときます」
「せっかくあたしが誘ってるのに? ちょっと良い度胸してんじゃないの。それに、何の招待券だと思ってるの? 第九よ。第九。だ・い・く」
クラシックファンの血が騒いだ僕は「第九」という言葉に完全敗北し、即座に返答した。
「はい。行きます。誘ってくれて、ありがとうございます」
良し、と満足して頷く彼女を見やりながら、僕は彼女に抗えない己の無力さを呪った。うまくはめられたもんだ。
そして来る十二月二十五日。世間一般に言う聖夜の日の夕方、ちょうど手袋をはめた僕が家を出ようとしたまさにその時、家の電話が鳴った。
トゥルルルルル。トゥルルルルル。
携帯電話なる文明の利器を持たない僕は、もしかしたら重大な連絡かもしれないと、慌てて受話器を取る。
「はい。羽斗です。どちら様でしょうか?」
「もしもし。神木れ……ってワトソンね。ゴメン。今日、急用が入って一緒に行けなくなっちゃったから、本当に悪いんだけど、一人で行ってちょうだい。間にあったら、あたしも行くからさ」
プツ。
言いたいことだけ言って、僕の返答も聞かずに彼女は電話を切った。強引に誘っておきながら、「今日は無理」と電話したレイの言動に呆れながらも、せっかくの招待券を無駄にするのはもったいないと思い、仕方なく家を出た。
考え方を変えてみれば、彼女がいないせいでむしろ面倒事も起きずに済むかもしれない。そう思うと、僕の足どりは自然と速くなった。会場は家からそう遠くないから、このペースでいけば結構早くつくだろう。
しばらく歩いて会場へ到着すると、寒い夜なのにもかかわらず、第九を聴きに大勢の人が集まっていた。諸問題で遅れているらしい開場を、会場の外で待っていると、その寒さが体に伝わってきた。よく見ると吐く息は白いし、ふと見上げた空は雲が多くて、雪が降ってもおかしくないように感じられた。
あいにく、外で待たないといけなくなってしまったけど、都内に数あるホールでも特に音響が良いとされるこの会場は、会場としては文句なしだ。むしろ、こうやって寒い中待っていたからこそ、より大きな感動を味わえるのかもしれない。そして何より、オーケストラや合唱団も超一流らしい。これは本当に待ち遠しい。
そう思っていると、寒い外で老若男女が僕と同じように楽しみにして待っているのが、ところどころ聞こえてくる彼らの会話から伝わってくる。レイも招待券だけ渡して来ないなんて、人生大損だ。
「会場の準備が整いました。お入りください」
いろいろ考えているうちに、係の人がそう言った。
やっと入れる! 寒さとの決別に喜びつつ、もうすぐ始まる第九に心が躍っている僕は会場に入った。
やっとのことで席に着いた僕は、喉が渇いたので席を立ちホール外でお茶を飲み、長い第九に備えてトイレに向かった。僕の持ってるCDの第九は比較的早い方だと思うから六十二分で終わるけれど、かの有名な「バイロイトの第九」は確か七十四分くらいだったはずだから、結構長い。それに、今回は生演奏だから各楽章間の時間もある。始まってしまったら、トイレに行く時間はないから行かないとまずいだろう。
そうしているうちに、ずいぶんと待たされたけどもうすぐ開演という時となった。
まずオーケストラが入場し、指揮者が登場するのだけど……。あ、ちょうど今オーケストラが入場してき……た?
そんなはずがない。
レイがヴァイオリンを持って出てくるなんて。
今のはきっと見間違いだ。レイがいるはずがない。彼女がオケの一員のわけがない。僕は一体何を見間違えて……。
しかし、何度目をこすっても目に映る光景は何一つ変わらなかった。彼女はなぜかそこにいた。急用というのは嘘だったらしい。騙された。これでもう何回目だろう。
僕が目を丸くしているうちに、指揮者が入場した。拍手で迎えながらも僕の動揺は一向に収まらなかった。指揮者が軽く礼をし、第一楽章が始まった。
第二楽章の方が好きなんだよなと思って聴いていると、第一楽章はあっという間に終わって、第二楽章に突入した。ティンパニが活躍するこの楽章は好きだ。ティンパニが活躍すると言えば、ブラームスの交響曲第一番の第一楽章も好きだなあ。あれ? また話が逸れてる。
第二楽章は速いのですぐに終わってしまった。と言っても、十分以上かかったけど。さて、第三楽章。僕が思うに、この楽章は催眠楽章だ。きれいで穏やかだから眠気を誘うのだ。それに意外と長い。もちろん、寝るつもりはさらさらないよ。ホルンの音色が美しかった。
そして、終楽章。第九の副題の「合唱付き」とはまさにこの楽章だ。昔は初演以来人気はなかったみたいだけど、この「歓喜」の旋律には戦慄を覚えてしまう。作曲時、すでにベートーヴェンは耳が聞こえなかったみたいだけど、そんな中でこういうのが生まれるのはほんとにすごい。ベートーヴェン万歳!
思わず歌詞を口ずさんでしまいながらも、僕は第九に酔った。
会場を後にした僕はそのまま帰ろうかと思ったけど、レイに事情を訊こうと思って帰らず、寒い夜の中自分の意思で待っていた。
どれくらい経っただろうか、突然後ろから声をかけられた。
「あれ? 誰かと思ったら、ワトソンじゃないの。なんであんたがここにいるのよ」
やっと来たか。さあ、訳を訊こうじゃないか。早足のレイについていきながら、僕はいつもより反抗的な態度――いつもレイに僕が従属的なのは、残念ながら否定できない。レイは男子より喧嘩が強いのだ――を取って、
「その質問、そっくりそのままレイに返すよ」
「はあ? 質問したのはこっちが先! あんたが先に答えなさいよ!」
駄目だ。レイは苦手だ。こっちのペースの持って行けた試しがない。
「なんでレイがここにいるのか訊こうと思って。それだけのことだよ」
僕の発言を聞いて彼女は笑いだした。
「わざわざ直接訊かなくても、電話で訊けばいいじゃない。あんたって本当にバカね」
思いっきり馬鹿にされてしまった。僕は馬鹿だからそこまで頭が回らない。それは事実だ。
ん? 違う、違う。彼女が常識外の天才なのだ。彼女は、中学で不動の一位の学力、体育会でアンカーを任される運動神経、美術部顔負けの画力の持ち主で、ピアノもヴァイオリンも弾ける天才なのだ。別に僕が絶対的に馬鹿なわけではない。彼女からしてみれば、相対的に馬鹿になってしまうだけなのだ。
「で、レイはなんで?」
ヴァイオリンが弾けるくらいじゃ理由にならないぞ。第九は付け焼き刃でどうにかなる曲じゃない。
「ヴァイオリンがちょっと弾けるから、左手骨折しちゃった知り合いの代わりに出てあげたの。一週間ぐらいしか練習してないから、さすがに完璧に弾くのは厳しかったけど。まあ、楽しかったわ」
どうやら彼女に限っては、付け焼き刃でどうにかなるものだったらしい。ふーん、と思ってから僕ははっと気がついた。
「ということは、僕に招待券を渡した時、もしかしてレイの代役は決まってたの?」
「当たり前じゃない。そんなのも分からないようじゃ、失格ね」
何の失格なんだろう。そう思っていると、突然雪が少しずつだけど降ってきた。
「雪だ……。レイ、雪が降ってるよ」
「そんなの、見ればわかるわ。天気予報だと雨だったのに、冷え込みが厳しかったからかしら」
傘をさすほどでもない雪のはずなに、レイは意外と嬉しそうだ。なんでもできるくせに、かなり精神年齢が低い。中三のくせに幼稚園生や保育園生が見るようなアニメを見てるし。もしかして、いまだにサンタを信じてたりして……それはないか。
「話が変わるんだけど、レイって、サンタに何か頼んだりしたの?」
「ほんとに話が変わるわね。教えたくないけど、仕方ないわね。特別に教えてあげる。雪。『クリスマスに雪が降るように』って頼んだ」
真剣な表情だった。どうやら中三にもなってサンタを信じてるらしい。実在しないのに。でも、雪が降ったということは、彼女の願いは叶ったということか。
「あんたは何頼んだの?」
「平和な生活」
サンタが実在しないことは一切言わない。夢を奪うのは大罪だと思うから。
「なにそれ。まるで今の生活が平和じゃないみたいじゃない」
そうさ。レイに巻き込まれてあんなことやこんなことしたせいで、内申書になんて書かれることか。想像しただけで背筋が凍るね。このままだとレイの説教を食らいそうだったので、
「メリークリスマス」
と話を逸らす。
「メリークリスマス」
彼女も返した。
気がつけばもう家はすぐそこだった。話しながらだいぶ歩いていたらしい。僕は家の方を指して、
「僕は家、そこだから。じゃあね」
「じゃあね」
一瞬気のせいだと思うけど、彼女が寂しそうな顔をした。けれど、すぐに彼女は豪邸へと歩き出していた。
僕は家の前に立って、ドアを開ける前に考える。
さて、僕の願いは届くのだろうか。
来年の春、桜の舞い散った道の上を歩いて志望校の門をくぐる自分の姿を思い浮かべ、そこで安定した平和な生活を送れるよう心から祈った。
その願いが叶うかは神のみぞ知る。ただ一つ言えるのは、僕の努力次第で未来はいくらでも変わるということ。志望校へ学力はちょっと足りないけど、この冬休み頑張って勉強しきっと受かって見せるさ。
「ただいま」
家に入ると、姉の「お帰り」という声が聞こえた。暖房が効いているわが家は、外と違って暖かった。でも、僕は何かが欠けていて寂しい感じがするのを忘れられなかった。




