シタ妻令嬢が溺愛された理由
なぜ始めたのか自分でも分からないシタ妻シリーズ第一弾。シリーズの中では一番好きなやつ。
伯爵令嬢ミレーヌは知っている。
王太子セルティウスの婚約者であるはずの公爵令嬢イザドラが、隣国の王子と懇ろになっている事を。パーティの最中に抜け出して、二人で寝室に入る所を偶然見てしまったのだ。
初めてそれを見たのは、我がガウス王国主催の周年祭の時であった。隣国のドナーヴェは軍事国家であり、土地は広大で豊か、産業も我が国とは雲泥の差である。権力にすり寄るのが得意な、あの女らしい。
だが、同時にチャンスでもある。
学生時代からずっと高慢で鼻持ちならなかったあの女に、とうとう鬱憤を晴らす時がきたのだと思った。
思えばあの女の周りには常に男がいた。自分が密かに思いを寄せていたロナウドもイャーデンも、みんなあの女の取り巻きだった。まあ、男漁りばかりしていたせいで同性の友人はいなかったようだけど。
その癖、成績だけは優秀だった。
女学生の間では教師と寝ているのではないかと噂が立っているほどだ。もっとも、噂を流したのは私なのだが。まあ、王太子の婚約者という国を担う立場にありながら不貞を働く女だ。自業自得だろう。
後はこの情報を使って、どのようにあの女を強請るかだ。散々歯痒い思いをしてきたのだ。どれ、少し痛い目を見せてやろう。
「イザドラ様にお話ししたいことがあります」
そう切り出したのは、翌週のお茶会が終わった後。私は見たままを話した。我が国の将来を担う貴女が何故このような事をしたのか心配していると告げた。みっともなく慌てふためいて縋ってくれば、大ごとにはしないでおいてやろうという気持ちが、この時はまだ少しあった。
金銭か、脅迫か。いずれにせよ、交渉を持ちかけてくるなら、それを含めてまた強請るネタが一つ出来るというものだ。
セルティウス様にお伝えするのは、それからでも遅くない。彼女の真意を見定めるため、私も苦しかったとか適当な口実を付けておけば、さぞ健気な女に見えるだろう。
しかし、あの女は葉巻に火をつけてから、悪びれもせずこう言った。
「それで、何がお望み?」
……違うだろ。私が思っていたのと違うだろ。もっとこう、みっともなく懇願しろよ。お前が何を差し出せるのか、これはそういう話だろ。私が欲しがってるような言い方をするな。この売女が。
「いえ、そういった話ではなく……」
「そう? ならこれで失礼するわ。その話は忘れなさい。もっと自分の為に時間を使う事を薦めるわ」
そう言って石畳で葉巻の火を消した後、彼女は去っていった。姿が見えなくなるまでこちらを振り返ることは一度もなかった。
おかしい。
なぜ、私の方が嗜められているのか。謝罪すべきはあの女の方で、私は何も悪くないのに。許せない許せない許せない。
そうだ。ロナウドとイャーデンに相談してみよう。学生時代に彼女に想いを寄せ、セルティウス殿下とも懇意にしていた彼らなら、今のイザドラの体たらくには心を痛めるはずだ。
それに、あわよくば義憤に駆られて王太子に告発でもすれば、私も自分の手を汚さずに済む。
「……という訳なの。ロナウド、どう思いますか? 同じ国の未来を案ずる者として、彼女と親しかった貴方だけには相談したかったの」
健気な生娘を演じたつもりだが、やや芝居くさかったか。まぁ、学生時代彼女の芝居に延々と乗せられていたこの男なら問題は無いだろう。
ロナウドは腕を組みながら、険しい顔で静かに息を吐いた。
「ミレーヌ嬢、今の話だが……誰かにしたのか?」
「……いいえ、貴方が初めてよ。私怖くって。でも、このままじゃあ、余りにもセルティウス殿下がお気の毒よ」
「そうか、なら忘れたまえ。人にはそれぞれ立ち入って欲しくない事情があるのだろう。君はなんの不利益も被っていないのだから、心を痛める必要はない」
「」
数日後、イャーデンに相談しても全く同じ答えが返ってきた。
私は自室で枕を壁に投げつけ、床に落ちたそれを蹴り飛ばした。
おかしいじゃない! なんで私があの女の事情を配慮する必要があるのかしら!? 貴方達、殿下と仲良かったじゃない! 薄情者なの? まさか、貴方達もイザドラと不貞してるの!?
もうこうなったら直接、王太子殿下に言うしかない。決してこれは私怨ではなく、国の将来のためよ。あんな高慢で鼻持ちならない女がなんのお咎めも受けずに王妃の席に座るなんてあり得ないもの。そう、これは貴族としての責務なのよ。頑張りなさいミレーヌ。私だけはずっと貴女の味方だからね。
☆
そうして何日も何日も、私は報告のチャンスを窺った。ただ言うだけではダメだ。決定的な瞬間をものにしないと。
そしてとうとう待ち望んだ日がやってきた。今日は数カ国間での大きな条約が結ばれた記念として、大きな祭り事が行われる。その主催国が我がガウス王国であった。
数年ぶりの大きなイベントで王都中が大いに盛り上がる中、私だけが戦場に赴く覚悟で身支度を整える。鏡の前で顔を見ると、目の下には少しクマが出来ていた。無理もない、ここ数日は興奮して寝不足気味だった。
誰にも理解されずに辛かった日々も今日で終わる。厚い白粉でクマを隠し、この日の為に選んだ純白のドレスを翻す。あわよくば、セルティウス様から求婚されちゃったりするかもしれない。気は抜けない。
しかし、大広間に着くと真っ先に目に止まったのはあの女だった。
「あら、ミレーヌ様。お早いお着きですね」
早々に嫌な女に会ってしまった。深海を思わせるような深い蒼のドレスが、彼女の美しい金髪に嫌味なほど似合っている。
「ご、ご機嫌よう。イザドラ様は今日もお美しいですわね」
イザドラは私のお世辞にニコリともせず、大広間の飾り付けの最終チェックをしていた。せこい女だ。
「貴女、最近私の事を随分と嗅ぎ回ってるらしいわね」
こちらを見もせず、帳簿をペラペラとめくりながら彼女は言った。
「その辺にしておきなさい。世の中、知らない方が幸せなこともあるのよ」
脅迫だった。心臓の鼓動が速くなる。だがもう遅い。賽は投げられたのだ。こちらが差し伸べた手を、一度袖にしたのはそちらである。
「さあ何のことでしょう? そんな事より今日のパーティは楽しみですわね」
「そう。楽しめるといいわね」
イザドラは手を止め、私をチラリと一瞥すると、また帳簿に目を落としてペラペラとめくる。だが私が会釈してその場を離れようとした時、背を向けながらこう言った。
「そのドレス、似合ってるわよ」
☆
パーティが始まると、私は男どもの誘いを適当に受けつつ、イザドラを目で追った。やはり複数国の来賓があるので、なかなか席を外さない。私は獲物が弱るのを待つ獣のように、ぐるぐると彼女の周りを回りながら尻尾を出すのを待つ。
やはり、警戒されているのか。一度も目が合わないのがかえって怪しい。今日はダメかもしれない。そう思いながらパーティも終盤に差し掛かった頃、とうとう獲物が網にかかった。
お相手はドナーヴェとは別の国の宰相である。壮年の老紳士だ。あぁ、穢らわしい。悍ましい。そしてなにより、喜ばしい。
この事をお伝えすれば、セルティウス殿下も流石に激怒し、愛想を尽かすであろう。私は二人が誰もいない個室に入るのを後ろから注意深く見届けると、内心でスキップしながら大広間に続く廊下を戻った。すると示し合わせたように、入り口の前でセルティウス殿下がお一人で立っていた。なぜか、こちらをじっと見つめている。
きゃー! 僥倖ですわ! ……いけないいけない。私は釣り上がる唇を両手で覆いながら表情を整えた。今の私は、不貞の現場を偶然見てしまった不幸な生娘。いえ、もういっそ「あれれー? 二人で入って行かれましたが、どうしてですのー?」という、無知っ子スタイルで行くのも良いかも知れませんわね。
「あっ、せ、セルティウス殿下! ほほほ本日はお招き、お招き……オヨヨヨ」
いけない、テンションが上がりすぎて頭が真っ白になってしまいましたわ。でも、このただ事ではない感じ、何があったか気になりますわよね? さぁ、どうぞ聞いてくださいませ。
「……」
「……あの?」
「なんだ?」
「イザドラ様があっちで不貞しております。向こうの個室で今ヤってます。因みに先月は別の方ともヤってました」
「…………」
言ってやりましたわ! 違うけど! 思ってた感じと違うけど! これはこれで、スッキリしますわー!
「貴様、ちょっとこっちに来い」
セルティウス殿下が私の手を取り、少し強引に腕を引く。
……来ましたわ。きっとこれから個室を蹴破って、婚約破棄から流れるように断罪が始まるのね。お家追放から、辺境の地で老いぼれたエロ伯爵に嫁がされるのですわー! オーッホッホッホ!
ガチャリ。
「……へ?」
「祭りが終わるまでここで静かにしていろ。騒ぐなよ」
連れてこられたのは地下の独房だった。物のようにそこに投げ入れられ、外側から鍵を掛けられる。
「ち、ちょっと! 何ですの!? セルティウス様、冗談はおやめ下さいませ!!」
返事は無かった。
なぜ? 私は何も悪いことしてないのに……。
☆
それからどれくらいの時間が経っただろうか。
最初は戸惑いと憤りで怒りに震えていたが、今は何だか惨めで泣けてきた。
学生時代には好きだった男の子たちに見向きもされず、社交界では自分より家柄も身なりも良い女に差を見せつけられ、せっかく手に入れた弱みも鼻で笑われ、誰からもまともに取り合ってもらえず、証拠を押さえて婚約者に通報したら、理由も告げられずに独房にぶち込まれる。
これが今の私である。心の中のイマジナリーミレーヌも泣いている。『大丈夫、貴女は一人じゃないわ。どんな事になっても、二人で支え合って生きていこうね。』うぅ……貴女だけね。私の味方でいてくれるのは。
そう思っていると、コンコンと扉を叩く音がした。返事をするとセルティウス殿下と、あの、にっくきイザドラが私の前に現れた。
「馬鹿な子ね。だから言ったじゃない。知らない方が良いこともあるって」
呆然としている私にイザドラは冷たく言い放った。セルティウスが横でため息を吐く。心底呆れているといった様子だった。
「ミレーヌ嬢、お前はイザドラの事を私が知らないと本気で思っていたのか。舐められたものだ。イザドラは私の婚約者だが、同時に我が国の優秀な諜報員でもある」
「……は? ち、諜報? なんですの?」
聞き慣れない言葉とともに、自分が何か大きな過ちを犯してしまったことだけ理解できた。
「弱小国の我が国においては、情報こそが最も有益で、国家を存続させるための武器なのだ。お前は危うく彼女の仕事と、これまでの苦労を水の泡にするところだった」
声が震えていた。マズい。今、殿下は静かに、そして猛烈に怒っている。イザドラの手前我慢しているだけなのだ。思わず恐怖で涙が滲む。
「その愚行、万死に値する」
殿下が腰の剣に手を掛けた。
ひょええええ〜〜〜〜っ!! 猶予、弁明の猶予が欲しいですわ!!!
足の力が抜けて、思わずその場にへたり込んだ。やばい、おしっこ漏れそう。
「殿下」
イザドラがセルティウスを嗜めるように、剣にかかった手に自分の掌を重ねた。
「その気持ちだけで十分よ。たとえ冗談でも、貴方が人を斬るところなんて見たくないわ」
「イザドラ、しかし私は……!!」
「まだまだ青いわね。でも、貴方のそういう所も好きよ。だからかしら? 今私、ちょっとドキドキしてるの」
「イザドラ……」
そう言って、二人は見つめ合ったまま動かない。私が二人を見上げていることも、おしっこを我慢していることも知らずに、頬を触り合っている。
もういい。殺して。さっさと一思いにやっちゃって欲しいですわ。
「だが、この女はどうする? 秘密を知られた以上、このまま返すわけにも行くまい」
「誰にも言いませんわ……。というか、言っても惨めになるだけですわ。どうせ、私の言うことなんか誰も聞いて下さらないし……」
「あらあら、拗ねちゃって可愛いわね。覚えているかしら? 貴女とドレスを褒めた事。貴女みたいな面白い子が居ると退屈しなくて良いわ」
イザドラを見上げる。彼女は不敵に笑っていた。
「私に喧嘩を売った根性も気に入ったわ。貴女、私の元で働きなさい」
☆
あの一件から一年が経った。
あれから私は、お世話係兼エージェントとして、イザドラの下で働いている。
「威勢だけは良いけど、まだまだね。諜報員は体力勝負よ! ほら後20周! それが終わったら、歴史と語学の勉強よ!」
「えーっ! さっきは10周って言ったのに! イザドラ様は鬼、鬼教官ですわ〜!!」
もちろんここに来た時と同様、拒否権はない。だが私の嫌がる仕事はイザドラは絶対にさせない。だから私も渋々いう事を聞いてやる、のですわ。
「ほら、頑張ったら今度、良い男紹介してあげるから。貴女好みのイケメン公爵がちょうど先週破局して、良い人教えて欲しいって言ってたわよ」
「本当に!? よ、よーし、今度こそ捕まえて、こんな職場とっととおさらばですわよー!」
「あら? 寿退社は許可してないわよ。貴女は私のお気に入りですもの」
「イザドラ様は鬼ですわ〜! 悪魔ですわ〜!」
フン、と鼻を鳴らしてイザドラは私を追い抜く。それに負けじと私も強く地面を蹴る。
シタ妻令嬢は今日もみんなから愛されている。
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