第7話:撤退と突撃
――――――――――三日後、シアノイツ軍総司令官エセルバート視点。
どうやらリサルチア軍が撤退の準備をしているようだと、斥候からの報告が入った。
知将と名高いデレク中将がわざわざ出張ってきて、戦端らしい戦端も開かれていないのに何故?
あるいは奇計かと訝しく思っていたところ、西のゾリバス帝国がリサルチアに侵入したとの速報が入った。
リサルチア軍の陣容からして、明らかに主力は我が方に向けている。
西はがら空きに近いんじゃないか?
副官ブレナンが笑って言う。
「ツイておりましたな」
「ツイていたで済ましていいものか。オレは何もしていないのだが」
「人徳ですよ。運も実力の内と申しますでしょう?」
ブレナンがオレを持ち上げてくれるが、他の将達も笑っているようだ。
まあ運のない総司令官より運のある総司令官のほうがいいには違いない。
ともかく放っておけばリサルチア軍が撤退するのは確かなようだ。
オレは勝った。
「……この勝利はエセルバート殿下の価値を変えるでしょう。いえ、勝利だけでなく、そこに至る的確な指示や姿勢が、ですかな」
ブレナンが思わせぶりな言い方をする。
そして多くを語らない。
オレの価値を変えるとは、リサルチア戦に勝利したことが実績になるということだ。
実績は何よりも重い。
元々王位継承権で上であるオレが実績を挙げたことで、弟達よりも次期王位に近付いたということだ。
また陣の構築にしても斥候による情報収集にしても、あるいは将の意見を聞きよしとすれば採用することに関しても、オレは軍の信頼を得ていると感じる。
弟の支持者達からすれば、無様に負けてこい、死んでこいと送り出した戦争だったろう。
しかしオレが得られたのは勝利者としての栄誉と軍からの支持か。
こううまくいくとは思っていなかったものの、結果としては最高だ。
いや、まだ勝ったわけではないのだった。
敵将デレクは必ず何かを仕掛けてくると考えなければならない。
ブレナンが気を引き締めるように言う。
「おそらく敵軍は一部殿軍を残して首都パリスに引き返すと思われます。エセルバート殿下、いかがいたします?」
いかがとは、国境の陣地を奪取したところまでで満足して恒久陣地化するか、それとも追撃するかという意味であろう。
オレの姿勢を問われる場面だ。
本来この戦争は、リサルチアとシアノイツで領有を争っている国境地帯の帰属を決める目的ではあった。
その目的はほぼ果たされたと思っていい。
国境の陣地を堅固にして凱旋してもいいのだが……。
「ゾリバスは危険だ」
「は」
それだけで副官ブレナン及び諸将は納得する。
ゾリバス帝国、あの極端な実績主義成果主義の国は、信賞必罰の国だ。
と、それだけ聞くとまともに思えるが、実は違う。
結果のみが重視され、法律すらも置いてけぼりなのだ。
これは笑い話だが、ゾリバスでは皇帝を暗殺しても成果を挙げれば認められる、というのがある。
おかしいだろう?
どうせあんな国はいずれ分裂するが、軍は強い。
勝てば栄達、負ければ処刑だからだ。
なりふり構わず必死に来る。
事実近隣諸国には連戦連勝で、服属を余儀なくされた小国もある。
ゾリバスが中原諸国の中で最も危険な国というオレの認識は、決して間違っているとは思わない。
正直リサルチアがゾリバスに滅ぼされるのは、我がシアノイツにとっていいことではない。
国土を拡大したゾリバス帝国がシアノイツと国境を接するなんて考えたくもない。
しかしそれが避けられないのならば、可能な限りシアノイツも勢力を拡大しておくべきだ。
つまりリサルチア軍の国境陣地を抜いたら、撤退する敵を追撃するのが正しい。
……本当はリサルチアと共闘できればベストだ。
オレ自身の個人的な事情からすればだが。
リサルチアをオレ個人の味方にできれば、オレの次期王位を揺るがないものにできるだろうから。
まったくつまらない個人的な都合で軍を動かすなんて、あってはならないことだと思う。
「拡大するゾリバス帝国に対抗するために、シアノイツは可能な限り勢力を拡大しておかなければならぬという、殿下の判断ですな?」
「そうだ。今はチャンスだ。異議はあるか?」
ゾリバスが得体の知れない大国であるため、我がシアノイツが勢力を伸ばしておかなければならないというのは共通認識であること。
リサルチアは積年の仇敵であり、勝てる時に決着をつけておくべきだということ。
主にその二つの理由により、リサルチアに攻め込み大きく領地を切り取ることに賛成を得られた。
「では占領地行政にも意を砕かねばなりませんな」
「うむ。わかっているとは思うが略奪は厳禁だ。そして進撃と同時にオレの名前をもってリサルチア諸侯に通達する」
「調略ですか?」
「そうだ。ゾリバスの脅威を告げ、我が軍に抵抗せず服属した場合は所領をそのまま安堵するとな」
将達からおお、という声が上がる。
この時点でオレは完全に勝った気でいたのだ。
状況からして間違っていたとは思わないが……。
「リサルチア軍が撤収を始めました!」
「む? 早いな」
もう退く準備ができたのか。
さすがはリサルチアの誇る名将デレクだな。
おそらくゾリバスはリサルチアの都パリスを包囲するだろうが、決戦に間に合いそうだ。
「よし、敵軍の国境陣地に攻めかかれ! 労を惜しむな!」
「そ、それが全軍撤収のようです」
「何だと?」
殿軍を残さず全軍撤収だと?
なるべく対ゾリバスに兵数を揃えたいからこその奇策!
そして王子であるオレは功が欲しい、かつ安全策で来ると思われているんだな?
敵陣の占領で満足すると。
国境地帯はシアノイツにくれてやるという判断だろうが、完全に舐められている!
「出撃だ! オレに続け!」
「「「「おう!」」」」
軍の先頭に立つオレの姿勢を見せておかねばならない。
しかし……。
「本当に全軍撤退ですな」
「呆れるほど潔い。鮮やかなものだ」
国境の陣地を蹴破って占領するも、矢一本すら飛んでこない。
もぬけの殻だ。
「追撃だ! オレ自身が出る」
対ゾリバスという意味ではリサルチアを応援したい気持ちがないではない。
しかしオレ自身の器量も試されているのだ。
シアノイツの国益のために当然追撃する。
リサルチア軍も急な撤退だ。
一刻も早く首都パリスに引き返さねばならぬため、騎兵が先行しおそらく足の遅い輜重隊は最後尾にいると思われる。
景気づけにまずそいつらを襲撃する!
「む? 霧が出てきたか?」
「土地勘のないところで霧は気持ちが悪いですな」
確かに。
しかし逃さん。
リサルチアの恵みの霧などにはさせない。
「前方に敵影あり。輜重隊と弓隊かと思われます!」
「よし、追いついた! 弓に怯むな。この霧なら当たらん。蹴散らせ!」
突撃!
……したものの、何だ? 行き止まり?
敵の輜重隊と弓隊はどうした?
急に霧が晴れる!
『はーい、シアノイツ兵の皆さん。御苦労様です』
拡声の魔道具を使っているようだが、少女の声だ。
あっ、何ということ!
ここは谷底ではないか!
『あたし達は平和主義者なので、皆さんが大人しくしてれば何もしません。でもギャースカ騒げば油を撒いて火を落とします』
こ、こんな地形で火計を食らっては全滅だ!
ブレナンも絶望の表情で首を振っている。
オレが司令官としてできることは……。
『司令官の人、出てきてください。お話をしましょう。その他の皆さんは武装解除してくださいね』
降伏して将兵の助命を願うことだけか。
うまくいっている時ほど気をつけよなんてわかっているはずだったのに……。




