第1話 遠い思い出
エル・H・ゼウバライ。
享年83歳、老衰で死んだ彼女の名。
訃報というものは、伝達されるまで距離があると篠崎里璃は考える。
そんなこんなで、海外にいる大叔母が死んだと約半年後に知らされた両親は、不謹慎ながらもウキウキして出かけて行った。
なんでも、こんな時くらいじゃないと海外旅行なんて行けやしない、らしい。
なかなか的を射ている。
里璃はそう感心しつつ、彼らを見送った。
身内と言っても記憶の中の大叔母は、里璃が小学生だった頃にこちらへ来た際、会いに行った程度。
本当に、遠い存在だった。
ただし、ある一点を除いて――。
「りーりちゃん!」
「……サトリだ、馬鹿兄」
見る気もない雑誌を広げていた里璃は、座っていたソファの背もたれを凹ませた、派手な男を睨みつける。
ライトブラウンの垂れ目に泣きボクロ、にやけた口元、蒼いピアス。外跳ねの髪はそのまま跳んで行ってしまうがいいと、何度思ったかも知れぬ軽さの金色。手首には、どこぞのブランド物だろうが趣味の悪い金の時計を付け、脱ぐと期待を裏切らない貧弱さを誇る身体には、シックな黒のスーツを着込んでいる。反し、全てをぶち壊すワイシャツはワインレッドで、ネクタイは青と白のチェック柄。タイピンには、豪勢な蝶が彼の中身を如実に表すかのごとく、大きな翅を広げて羽ばたいていた。
馬子にも衣装というが、世界広しといえど、こんなトリッキーな格好が真実似合う奴はこの兄くらいだろう。
そこら辺は感心しとく。
無論、悪い意味で。
ちなみに派手な男は派手な外見を重視してホストという、今年度で高校を卒業する妹としては縁遠くありたい職に就いていた。
客を持ち上げるだけ持ち上げて、金が無くなればハイさよなら。
失敗すれば確実に恨まれそうな職種だ、と偏見を持つ里璃にとって、どっかで一人暮らししてくれと思う彼の、役所に登録されている現所在地は、二親と妹が暮らすこのアパート。
なんでも、親離れが出来ないそうで。
心底、どうでもイイ。
そんなヘタレ兄、店で1、2位を争う美形らしいが、全て自称なので疑わしく、結果、里璃は彼を毛嫌いしていた。
しかし哀しいかな思いは一向に伝わらず、妹がどれだけ嫌おうとも、兄は彼女が大好きであり――所謂、シスコンだった。
全く持って救いようのない話の種は、妹の冷たい視線も届かず、無遠慮に頬を突っついてくる。
「もうっ、リリちゃん! 怖い顔しちゃだめデショ? ただでさえ女の子らしくない格好してるってのに。母さん、泣いてたゾ? 俺に似て、顔はイイのにな、お前」
「気持ち悪い表現は止めろ。父さんを蔑ろにするんじゃない! まるで私がお前と母さんの間に出来た子どもみたいじゃないか」
「お、お前!? そんなっ、酷い! お兄ちゃんは、お兄ちゃんなんだぞ!?」
「……ショック受けるとこ、違うだろ」
一々相手にするのも面倒な上に馬鹿らしい。
大体、誰のせいでこんな格好をする羽目になったと思っているんだ。
燻る黒い感情は胸の内に留め、里璃は自身の姿を顧みる。
イイ感じで古びた黒いジーパンに、やさぐれた黒い薄手のジャンパー。中は長めの白いブラウスだが、着やせするため自分から見ても真っ平らな胸。手首には拘束具のようなベルトを巻きつけ、首にも同様のチョーカーを着けている。
我ながら、どこかの落ちぶれミュージシャン(男)のようだと思わないでもない。
これで顔が愛らしければ、やばい方面からラブコールが来そうだが、生憎、そうは問屋がおろさない。
切れ長の黒茶の瞳はどこまでも静かで、細い顎と整った柳眉、通った鼻梁は涼しげ。朱唇は瑞々しくもしっとりとした様相を呈し、東洋人とも西洋人とも付かぬ顔立ちに、それぞれのパーツを納めた淡紅色の肌はきめ細やか。生まれつき色素の薄い長い髪は緩く編みこまれ、素っ気ない後姿に花を添えている。
中性的な美貌の持ち主。
……というのは周りの意見であって、里璃本人は自分の容姿を“頭の悪そうなオトコオンナ”と酷評していた。
身長も、男でも女でも通用する曖昧さ。
欠点を上げるなら、兄より顔半分足りないせいで、彼が座らない限り見下される状況だろうか。
ため息が一つ、里璃の口を離れる。
これを聞き咎めた兄は、ぷくぅと頬を膨らませた。とりあえず、一回目を0歳設定として、三回目の年男を終えた人間のやる仕草ではない。
目の端でこれを捉えつつ、一言も発さず、存在自体を無視する。
すると兄はまた頬を突っついた。
「だめよ、リリちゃん。ため息なんかついちゃ、いき遅れちゃう。……いや、やっぱりため息つけ。たくさんついて、いき遅れろ! そしたらお兄ちゃん、責任持って里璃を幸せにしてやるからな!」
「……いき遅れるのはお雛さまだろうが。大体、なんでお前に幸せにして貰わなきゃならなんだよ」
「はぅっ! し、しまった! ウチにはお雛さまがない!? いやそれよりなんでって、もちろん、お兄ちゃんの義務――」
「を、逸脱した気色悪さを感じるのは私だけか?」
ばっさり切り捨てれば、よよよよよ……と泣き真似する、気持ち悪い兄。
額を後頭部へ押し付けて擦り寄る様が、とても鬱陶しい。
かといって避けるのも、なんだか負けた気分に陥りそうなので、背後の興味を自分から逸らすべく、他方を見る。見上げた先、カウンター越しの手狭な台所が一瞥できる上方に、シンプルな時計がある。
「ところで、そろそろ行かなくていいのか?」
顎をしゃくって示せば、後方から届く、大袈裟な驚き。
「ややっ! もうこんな時間かい!? むむむ、可愛い妹ともうちょっとスキンシップを愉しみたいところだが」
「私は全く楽しくないがな」
「まったまたぁ! リリちゃんったら、ホント、照れ屋さん!」
「うっさい。それに私はサトリだ」
さすがに三度も頬を突かれては我慢の限界。
ばしっと払い、名の訂正を求めて振り返る。
と、やけに真面目腐った兄の顔があった。
「イイデショ、リリちゃん。大叔母サマはリリちゃんのコト、気に入っていたんだから」
「…………」
「少しくらい、あの人のコトを思ってくれよ。長い間、森の奥でひっそり一人で暮らしていた人がさ、里璃に会って、リリなんて愛称付けるくらい気に入って」
おどけのない、和やかな瞳。
常時、こういう顔をしていれば、少しは見直してやっても良いのだが、兄はどこまでいっても兄である。
「だからン、リリちゃん! 行ってらっしゃいの、ちゅうーっぶ」
近寄ってきた唇へ、容赦なく雑誌を叩きつけた。
「早く行け。金ヅルが逃げるぞ」
「か、金ヅルって……なんてワイルドな表現使うの、リリちゃん。男らしくて、お兄ちゃん、泣いちゃう――暇もないか」
赤くなった鼻を擦りさすり、急にまともな口調となった兄は、首をコキコキ鳴らしては掛け声一つ。
「んじゃ、行ってくるわ。里璃、留守番頼むぞ」
「はいはい。今日もテキトーなコト言って、お姉さま方に夢売って来い」
「んまっ、失礼しちゃう。俺は正直者なのヨン。語る言葉は全て真実ナリ」
「怪しい日本語使いが、よく言うよ」
ソファを迂回し、キッチン横の玄関へ進む背にそう言えば、こちらをちらりと見た兄はウインクを投げて寄越した。
「ウソつきさんよか、マシ、だろ? 本当はお前、大叔母さんの家に行きたがってたのに、父さんと母さんが海外旅行だー、ってはしゃぐから、我慢しちゃってさ。お兄ちゃんは何でもお見通し」
「……行ってらっしゃい」
返事はせず、ムッとした顔つきでシッシと手を振る。
「はいよ。行ってきます、健気な妹チャン!」
対する兄は、してやったりという顔で外に出て行った。
鍵を掛ける音を聞きながら、里璃は近くにあったクッションを抱き寄せて、顔を埋める。
「……そういうところが嫌なんだよ。気遣いが出来て、優しくて」
男女問わず、人当たりの良い兄。
そのせいで、里璃は幾度となく面倒な目に合ってきた。
男物のような服を好んで着るようになったのすら、彼のせい。
「……リリ、か。……大叔母さんだけだったよね。最初に会った時、私のこと、女だって分かってくれたの」
兄が居る前では絶対使わない口調で呟き、顔を上げては吐息を零す。
ある時から、男物を着用するようになった里璃。
別段、男になりたかった訳でも、男に見られたかった訳でもなかったが、それ以来出会う相手は決まって男扱いしてきた。
里璃もそれなりに好きな男の子がいた過去があるのだが、大抵が男として見てくるため、碌な結果にならない。
一度だけ、きちんと付き合った少年もいたが、それは中学指定のスカート姿の里璃を知っていたからであって、普段着では友だちの距離感でしか付き合ってこなかった。
仕舞いには二股以上掛けられていたことを知り、その頃にはどうでも良い感じになっていたため、さっさと別れたのは懐かしい思い出である。
「死んじゃった……って唐突過ぎ。大きくなったら、また会いましょうって約束したのにさ」
篠崎家にとって、遠い存在だった大叔母。
しかし、里璃個人にとってはとても面白い人だった。
何せ、秘密だとこっそり耳打ちされたのは、彼女が魔女であるという話。
その頃には、そういう類の話を信用しない年齢に達していた里璃に、大叔母が証拠だと言って見せたのは、手のひらの上の不可思議な生き物。これに里璃が凄い手品だと喜び、やり方を教えてと頼めば、本当なのに、と不満な顔をしていた大叔母は一転、にんまり笑って言った。
リリが大きくなったら教えてあげるわ、と。
果たされない約束ほど、思い出して寂しいモノはない。
それでも一つだけ、彼女が教えてくれた言葉があった。
留守番以外、やることのない里璃はポツリと呟く。
「えっと……ゼウバライ、連なる末端の流れ、其へ命ずるは、常夜の盟約――なんて」
おぼろげな記憶を頼りに紡いだコレを、呪文だと大叔母は言う。
期待はしていないが、なんともなしに呟いた里璃は、恥ずかしさに頬をちょっぴり染めてしまった。
「ゆ、夢見るお年頃でもないのに……は、恥ずかしい――――ったぁ!?」
と、照れる里璃の後頭部へ、何かが落ちてきた。
痛みを堪え、何が落ちたのかと上を見、目が丸くなった。
そこにあったのは、見慣れた家の白い天井。
だがしかし。
「な、何もなかったのに……一体何が?」
物が落ちてきた方向は、確実に落ちる物なぞ何もない真上だ。
生まれてこの方、住み続けるこのアパート。
今更、怪奇現象が起こるはずもなし。
「それ以前に起こって欲しくないし。大体、狙い過ぎでしょう、私しかいない時って」
いない誰かに愚痴りつつ、頭を強打した物を追って、カーペット向こう、フローリングの床に視線を落とす。
何もなければ、一度頭の検査を受ける必要があるかもしれない。
(病気だったら怖いな)
現実的にあり得そうな話に青くなりつつ、里璃は凶器を探り、見つけたのは、金色の小さな箱。
「……こ、これはこれで」
別の怖さが纏わりつき、払うように箱へと近寄る。
すぐに拾うことはせず、まず爪でちょいっと突いてみた。
反応なし。
それでも用心深く突っつけば、金ぴかの割に軽い調子で箱が転がった。
金は鉄より重いと聞くから、おそらく金そのものではない。
「……メッキ?」
どうでも良いことを呟き、まじまじ見つめたなら気付く、箱に刻まれた文字。
「to Lili …… from Eru …………大叔母さん?」
知った字面を声でなぞる、と。
「っ!?」
途端、箱から眩い光が溢れ出した。
まともに見てしまった里璃は視界を焼かれ――
次に目を開けた時、そこにあったのは、温かな闇。




