『三すくみ』が崩れた先は①
遠山と話した翌日、気が急って仕方がない英龍は川路に「どうしても」と面会を願った。
「単刀直入にお聞きしたい。大塩は水戸様と繋がりがあったのだろうか?」
「ははっ、まさに単刀直入ですな。藩主であられる斉昭公と直接の関わりがあったかどうかは分かりませんが、水戸藩と関わりがあったことは事実でしょう。
水戸の藩士が天保7年に、幡崎先生を連れて大坂に行ったことがあるそうです。幡崎先生は江戸に出る前は大坂で蘭学塾を開いていたので、大塩と知り合いだった可能性も大いにあります。
幡崎先生に大塩との縁を取り持ってもらったのでしょうな。」
「水戸藩は大塩に会ってどうするつもりだったのでしょうか?」
「それはやはり『廻米』(米を諸国へ回送すること)でしょうなあ。あれだけの飢饉の後ですから。水戸も苦しかったでしょうな。
なまじ金と権力があるゆえ、多少の無茶は押し通せますからな。
水戸の藤田東湖殿が、浦賀(神奈川県横須賀市)の『通行税』を払わず密輸したとの噂があります。
大塩が大坂奉行を「大坂の市民を飢え死にさせるつもりか」と糾弾した時より半年ほど前のことですが、その糾弾した相手と同じようなことを大塩自身がしていた、ということになりましょうな。
まあ、そもそも廻米自体は犯罪ではないですからな。大塩としては、その時は「水戸を助けた」と自己満足したのでしょう。」
「自分の廻米は良い行いで跡部様の廻米は悪い行いとは…。ずいぶんと自分よがりの正義ですな。
それにしてもまさか幡崎先生にまで繋がるとは…。」
英龍は江戸および韮山に居る自分と遠く離れた大坂に居た大塩、ずいぶんと共通の知人を持っていたことを不思議に感じた。
「水戸藩は昌平坂学問所の佐藤一斎先生とも関わりがありますからな。」
「大塩も一斎先生と懇意で、その伝手で林大学頭は大塩に千両者大金の融通を依頼した、と。」
英龍は盟友である川路には『大塩の手紙』の内容の全てを伝えてある。
「大塩の与力に過ぎない大塩が、林大学頭や水戸藩に金銭面、食料面で融通を利かせる…。
大塩は大坂の政治の腐敗を訴えておりましたが、自信も豪商と深い関係で大金を動かす伝手を持っていた。
拙者も大坂にて大塩が大きな顔をしているところを見ています。」
「水戸も林大学頭も『大塩の手紙』の宛先だった。特に大学頭は危なかった。息子の鳥居が政敵である拙者に泣きつくほどに。
なにしろ『不正無尽』にぎりぎり当たらない程度に怪しい無尽を、大罪人の大塩に頼っていましたからな。
やむを得ず大学頭宛の手紙そのものを幕府に提出せず隠蔽しました。」
「なるほど。全容が見えてきましたな。
大塩が生き延びて向かおうとした先はおそらく水戸。
大塩の最初の算段では、乱の混乱に乗じて水戸に亡命し、斉昭公を動かして不正に手を染めながら自分を切り捨てた幕府の高官達を刷新するつもりだった。斉昭公は正義感の大変強いお方ですからな。
あくまで自分が考える正義ですがな。そこは斉昭公と大塩はよく似ていると言えるかも知れませんな。
不正をした老中や奉行本人に宛てて手紙を出したのは、正義感を振りかざした大塩らしい『最後通牒』のつもりだったのでしょうな。」
しかし疑問がある。
水戸藩と大塩の関係は東北大の平川新名誉教授が研究されています。
平川先生は大塩の乱について、跡部が江戸に送った廻米は実は大坂のものではなく兵庫のものだったから『大塩の勘違いから始まった乱』ともいわれています。




