遠山景元の反撃の|狼煙《のろし》②
「助かったぜ、本庄が絡んでいるものはどんな些細な情報でめた必要なんだ。」
「大変失礼ながら遠山様は今…。」
「分かってる、今はもう町奉行じゃねえ。だが俺も勝小吉達もまだ井上先生を殺した奴をしょっぴくのを諦めちゃいねえ。先生の弟の伝之丞が追っていたのは、息子への手紙に書いてあったとおり本庄茂平次に間違いねえ。
井上先生殺害後、奴は鳥居のもとに逃げ込みやがって手が出せなかった。
本庄が鳥居の命令で高島秋帆を捕まえる下調べのために長崎に行った好機を、逆に伝之丞殺害に繋げてしまったことも無念だった。
しかし本庄はなぜ井上先生を殺したと思う?」
「…?井上先生は本庄を目にかけていたと聞きましたが…。素行の悪い本庄のこと、何か良くない秘密を先生に知られたとか、先生に耳の痛いことを叱られ逆上したとかでしょうか?」
「ここからはあくまで推測だ、証拠はねえ。だが状況からあながち間違いではないと思っている。
井上先生は本庄がついた、『長崎の直心影流師範・尾関三九郎に紹介されて来た』との嘘を信じて、尾関に『本庄を紹介いただいた通り門人にした』と手紙を出した。ところが尾関は本庄の素行の悪さをよく知っていたから、『紹介などしていません、本庄にはお気をつけください』と返信してきた。
本庄に不信感を抱いた先生は、弟子に本庄の様子を探らせた。弟子はある日、本庄が『訳あり』そうな男に酒をおごって、その男から『元はある代官の手代』『持っている情報は命に関わるほど重要な機密』という情報を聞き出していた、と先生に報告した。」
「…代官の元手代、重要な機密…。」
英龍はなぜ遠山が自分を呼び出したか、本題はこちらにあったことを理解した。今はもう遠く感じる昔、亡き父が笙を、自分が笛を、『訳ありの男』が篳篥を合わせて演奏したことがあったと思い出す。
「その『訳ありの男』に心当たりはあるな?」
「…はい。以前拙者のもとで手代をしていた町田亘だと思います。」
「そうだ。その町田はお前んとこの手代を借金を理由に辞めたあとも詐欺を働き、お前の追跡を逃れようと貧民街に逃げ込んだ。
鳥居はお前が蘭学者に近づき水野殿に重用されるようになったあたりからお前を追求するための『失態』を血眼になって探していたが、お前はおろか家族や家臣達もほんのわずかな隙も見せなかった。ただ一人を除いてな。
鳥居は町田の噂を耳にして本庄に町田を探させた。本庄は町田に近づき、金に困っている町田に内職を取り次いで信用を得たあと、町田が握る『重要な機密』を聞き出した。」
「まさか町田から『あの手紙』の機密が鳥居に流れるとは…。面目次第もありません。」
「お前が責任を感じることはねえ。お前も家臣達も立派に機密を守り通してるじゃねえか。町田も知り得た情報を話しただけだ。あくまでその機密を『悪用』した奴が悪いのさ。
その機密は大多数の幕府高官達の命運を握っているだろうからな。」
「遠山様はその機密の見当もついておられるのですか?」
「まあな、あの手紙が三島で見つかったと情報が入った時は天地がひっくり返ったみてえに大騒ぎしたくせに、お前が提出したあとは箝口令かってくらい、内容について一切漏れてこなかったからな。こりゃそうとう上の奴らにとってヤバいネタだろうと普通は気づくぜ。上の連中も隠すのが下手くそだな。
ともあれこれでほとんどの事件が繋がった。」
遠山はふー…とひと息ついた。頭の中で整理しているようで時々間を空けながら少しずつ言葉を紡いでいく。
「まず、長崎で下級役人ながらさんざん悪事をやらかして町年寄である高島秋帆に叱責された本庄が江戸にやって来たのは天保8年。江戸に来た奴は直心影流のわずかな伝手をたどって、鳥居の屋敷に出稽古する井上先生の道場に弟子入りした。自分を売り込む相手に鳥居を選ぶあたり、ある意味本庄は人を見る目があるな。
その年の内に幡崎鼎が長崎で捕縛された。本庄が『幡崎鼎はシーボルトの給仕だった』という情報を鳥居に取り入るために使い、鳥居は蘭学者弾圧の手始めとして長崎に刺客を送った。この一件で本庄は鳥居に取り入ることに成功したんだ。」
英龍の最初の蘭学の師である幡崎鼎は藤市という名でシーボルトのもとで働きながら蘭学の知識を得た者で、シーボルト事件に連座して町預けの処分を受けたが大坂に逃亡して名を変え蘭学者となった。その後江戸に出て蘭学塾を開き、渡辺崋山や高野長英が所属する『尚歯会(蛮社)』に顔を出すようになった。
そこで出会った水戸藩士の立原杏所に推薦され水戸藩に招かれ、烈公こと水戸藩主・徳川斉昭の庇護を得た。
幡崎は蘭学者といっても高野長英のような医者ではなく西洋式の軍備、とりわけ西洋式大型帆船に精通しており、それはまさに英龍が欲する知識であった。
徳川御三家である水戸藩の庇護を受けていた幡崎先生があれほど急に捕縛されたのはこんな裏があったのかと、英龍も遠山の推理話に納得がいった。
「本庄は貧民街にあたりをつけ、字が巧みな『訳ありの男』を探し当てた。」
「はい、町田は特に役所用の書画巧みで書役として重宝していました。」
「鳥居は使い道はあっても信用ならない本庄を、手中に置くように見せかけて他の者に見張らせていた。
ある日、本庄が『訳ありの男』と話し込んでいた。鳥居の配下はその『訳ありの男』の顔に見覚えがあった。
その男の正体にアタリをつけた鳥居は『ある手紙』の秘密を知っているかもしれないとにらみ、本庄に聞き出すように指示したんだ。」
「拙者が手代達に書き写させた『大塩平八郎の手紙』のことですね。町田は確かに韮山で『大塩平八郎の手紙』の書き写しを担当していました。」
「鳥居はお前の家と浅からぬ縁があるからな。本庄を見張っていた鳥居の配下はお前のところに居た町田の顔を覚えていたようだ。」
鳥居耀蔵の父である大学頭・林述斎は子供の頃、英龍の母方の祖父である安藤如淡を師としていたため、林家と江川家は家族ぐるみの付き合いがあった。
「鳥居が本庄に命じたのは『町田から大塩平八郎の手紙の詳細を聞き出せ』ということですね。
そして本庄を怪しんでいた井上先生の弟子は、本庄が町田に酒を飲ませ情報を聞き出そうとしていた現場を目撃して先生に知らせた。」
「井上先生はお前とも懇意にしていたからな、折を見て本庄を問い詰めたんだろう。『江川の家の者に何をした』と。おそらくその時にはすでに町田は本庄に殺されていたんだろうな。先生の弟子が
「先生に報告した直後、『訳ありの男』が行方不明になった」と先生に伝えたと証言している。」
「遠山様もそのお弟子からお聞きになったのですか?」
「それもあるが俺や小吉みてえなろくでなしはな、鼻が利くんだよ。ウラがある人間てえのがだいたい分かる。お前や井上先生のように簡単には人を信じねえ。
先生の葬儀で大げさな泣き芝居をしている奴がいたから目を付けていた。証言を聞いて確信に変わったが、証拠がなかった。」
「今は証拠があると?」
「憶測だと言っただろ。証拠があったらとっくに奴をしょっ引いてたさ。お前を呼んだのも、ここまで話したら何か町田について俺の知らない話があるかも知れぬと思ったからだ。
どうだ、何でもいい。何か思い当たることはないか?」
「申し訳ありませんが今すぐには思い当たりません。ただ、今後も捜査するならうちの柏木総蔵を連れて行って下さい。修験者の了善のもとへは斎藤弥九郎に行ってもらいます。」
「練兵館の斎藤か。それは心強い用心棒だ、助かるぜ。こっちは小吉に行かせる。」
「よろしくお願いいたします。
『大塩の手紙』に書かれていた捜査資料は信ぴょう性があるものでした。大塩が『老中や奉行の誰彼と繋がっていて出世を夢見る余地があった』というのも事実です。これを鳥居に掴まれたと…。」
ここまで言ってから英龍ははっとする。急いで盟友の川路聖謨に聞かなければならないことができた。
「は〜、なるほどねえ。上の連中は大塩を体よく利用した挙句、出世を望んでいた大塩を切り捨てた。大塩は逆上して乱を起こしたが失敗して逃亡。
鳥居は本庄を使ってで町田から得た『大塩の手紙』の情報をもとに大塩と繋がったり大塩に告発された連中の弱味を握って陥れ、今や南町奉行と勘定奉行を兼任ときたもんだ。話が繋がってきたな。
しかし上の汚職まみれの連中といい大塩といい鳥居といい、皆なんでそこまでしてわざわざ出世なんざしたがるかねえ、俺はさっさと隠居して悠々自適に暮らしたいがねえ。」
ぼやく遠山の横顔を見ながら、英龍は(無理だろうな)と思った。
この前代未聞の内憂外患の難局に幕府が有効な手を打てずに民の不信を買っている中、遠山のような人気のある幕臣は大変貴重な存在だ。
若い頃『遊び人金さん』として江戸の町に溶け込んでいたから、民を見守る目には他の官僚にはない温かさがこもっている。その威風堂々とした佇まいも、漠然とした不安感を掻き消してくれるのだろう。さらに将軍の信頼も勝ち得ている。鳥居を忌み嫌う人々はこの方を心の拠り所にするだろう。
英龍も遠山との会話でこの複雑に絡み合った数々の難題が少し綻んだことで、長く続いた重苦しい靄の先からわずかに光が差し込んできたような心地がした。しかし、
「遠山様、本庄は鳥居の配下、政治絡みです。裁くには鳥居の罪を明らかにし、その罪状と判決に合わせなければならないでしょうが…、新しい奉行の方にはどのようにお伝えされるのでしょうか?」
遠山はニヤリと口の端を上げ、
「まあ、そこんとこは考えておく。なあ江川、俺はもう一度町奉行になるぜ。この一連の事件だけは絶対に自分で裁いてみせる。」
遠山景元の父・景晋(かげみち)と英龍の父・英毅は、勘定奉行とその配下の代官という上司と部下の間柄ながら仲の良い友人でもあった。
元放蕩息子の景元とまじめな父・景晋も、厳格な英龍と穏やかな父・英毅も父子で性格がずいぶん違うのに何故か互いの世代で馬が合う。
人生とは自分の力量だけでなく人脈や偶然の出来事など様々な外因で形成されるものだと、人と共感して分かち合って生きていく大切さを感じた。
大学頭・林述斎が大塩に金策を依頼した理由…新しい妾を迎えるために家を増築するため
林述斎…女好き
11代家斉…女&男好き




