遠山景元の反撃の|狼煙《のろし》①
水野忠邦の天保の改革の『奢侈禁止令』(贅沢を禁じ倹約を強制する法律)に真っ向から反発した遠山景元は現在、北町奉行の任を解かれ大目付という、出世とは名ばかりの閑職に追いやられている。しかし己の信念を一切曲げず、水野にも鳥居にも屈せず水面下で反撃の準備をしていた。
遠山の強みは若かりし頃『遊び人・金さん』として築いた庶民殿人脈と、12代将軍・家慶がまだ図将軍世子だった頃に小納戸役(近侍役)として10年にわたり家慶の身の回りの世話を担当した経験から、家慶の信頼を得たことにある。
また、将軍は一代に一度、奉行が行う裁判を上覧する『公事上聴』という儀式を行う。天保12年、家慶は8人の奉行の裁判を見届けたあと、遠山ただ一人を賞賛した。この家慶の後押しを得た遠山に対し水野や鳥居は表立った手出しができず、町奉行の座を狙う鳥居の矛先は南町奉行・矢部定謙に向かった。
遠山と勝海舟の父・勝小吉屋、英龍の盟友である川路聖謨は直心影流の同門で、天保9年に師であった井上伝兵衛を殺害した犯人とその裏にいる黒幕の追跡を続けていた。英龍は神道無念流で流派は違うが、二つの流派は他流試合などの交流が盛んで、英龍も若かりし頃、伝兵衛に懇切丁寧に指導してもらった恩義がある。
「遠山様、例の『呪詛事件』の被害者の修験者達は、確かに拙者がある場所に匿っておりますが…。」
英龍を呼び出した遠山の意図は、かつて鳥居が起訴した『呪詛事件(教光院事件)』のその後を聞くことだったらしい。
『教光院事件』とは、11代将軍・家斉の寵臣として『天保の三佞人(口先巧みで媚びへつらう邪な者)』と蔑みを込めて呼ばれた者の一人、水野忠篤を再起不能にするために水野忠邦の部下であった南町奉行の鳥居耀蔵が捏造した事件である。
水野忠篤は天保12年水野忠邦が行った天保の改革にて公金横領などの罪で御役御免を言い渡された。
忠篤が追放された後、水野忠邦のやり方を恨みに思った忠篤が教光院の修験者・了善に忠邦を呪詛する祈祷をさせたという噂が流れた。了善は『富くじ』の祈祷を依頼され、見事当選させたことから人気を博した修験者であった。
鳥居は教光院に配下の本庄茂平次を潜入させた。本庄が帳面や信者からの手紙などを調べたところ、忠篤の娘が了善に父の復権の祈祷を依頼した手紙が見つかった。
本庄がこれを証拠として鳥居に提出した後、天保13年6月18日に鳥居配下の南町奉行所の捕り方が教光院にいた了善を捕え、水野忠邦を呪詛しただろうと自白を迫った。
了善は、ただ父を思う娘のために幸あれと祈っただけだと訴えたが、鳥居は『忠篤の復権はすなわち忠邦の失脚であるから、忠邦への呪詛に当たる』として了善の訴えを退けた。
町奉行の裁判は月番制で、裁判は途中で北町奉行の遠山に引き継がれた。鳥居は『遠島(流刑)』を主張したが、遠山は了善を憐れに思い『百敲き』に減刑した。
この『教光院事件』という冤罪事件に鳥居と本庄が関わっている疑いありと見た英龍は、了善が口封じのために暗殺されないよう密かに匿っていた。教光院のある武蔵国は英龍の管轄下である。
江川家の管轄地は時期により変わるけれど、だいたい『サンリオピューロランド』から『ちびまる子ちゃんランド』ちょい手前くらい+伊豆諸島。




