『大塩平八郎の手紙』
大坂で大事件を起こし指名手配中の『大塩平八郎』が幕府老中・大久保忠真と脇坂安董に宛てて送った手紙が天保8(1837)年3月4日、韮山代官の管轄である三島(静岡県三島市)の塚原新田にて盗難に遭い、ばらばらに散らばった状態で発見されたとの急報が入り代官所内は騒然となった。
何十枚と書き連ねられた手紙は韮山代官所の手代(役人)によって全て回収され、翌日には韮山代官・江川太郎左衛門英龍の元に届けられた。
現在36歳の英龍は2年前に代官の職を継いだばかりだが、父・英毅の下で代官見習をしていた頃から偉才ぶりを幕府首脳陣にも知られており、幕閣からの信頼厚く民衆からも尊敬を集める優秀な代官である。
英龍は強い意志を感じさせる大きな目に高い鼻という端正な顔立ちと5尺8 寸(175cm)を超える長身、神道無念流剣術の免許皆伝の偉丈夫ぶりゆえ、性格は温厚なのに対峙した者を緊張させてしまう。みるみる強張っていく英龍の表情を見て、手代達の背筋に冷や汗が流れた。
(これは…、老中や奉行の『不正無尽』の告発と林大学頭(昌平坂学問所の学長)に大塩が大金を融通した証文だと…?水戸の斉昭公に宛てたものまである…。
なぜ大坂の与力の隠居に過ぎない大塩が幕府首脳陣の不正の秘密を握っている?百歩譲って陽明学者だった大塩が林大学頭と縁があるのは理解できるが、御三家の水戸様と大塩にどんな繋がりがあるというのか?)
※無尽とは『頼母子講』とも呼ばれ、仲間を募り全員が一定期間、一定額の金を納め、くじで当たった順に集まった全額を受け取る。先に受け取った人も最後の1人が金を受け取るまで積立金を払い続けるという民間の互助金融システム。普通の無尽であれば掛け金の合計と受け取り金は同額であり損も得もないものだが、『不正無尽』は賭博的要素が大きいもの、呼びかけ人である権力者に商人が便宜を図る賄賂的なものを指す。
「殿様、いかがいたしましょう?」
「この手紙をそのまま上申したら揉み消されるに決まっているが、これほど重大な告発ならば万が一天下に必要となる日が来るやも知れぬ。全て書き写せ。時間がない、書役見習もかき集めて早急に取り掛かれ。」
英龍の鶴の一声で韮山代官所の役人達は総出で『大塩建議書』の書写しに取り掛かった。
(それにしても…。)
箱根の麓の塚原新田は早春にはまだ雪が残っていることも多いのだが、運良く晴天が続いてくれたおかげでこの手紙は痛みも少なくほぼ全文が読めるほど良好な状態で回収できた。
これも何かの天啓なのかと薄青色の空を見上げた英龍は、まだ寒さが残る風に頬を撫でられ気を引き締められた心地がした。
『大塩平八郎の手紙』が発見された場所、塚原新田…ラーメン一番亭のあたり?




