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登場人物紹介

江川家


【36代江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん)英龍(ひでたつ)

享和元(1801)年5月13日〜安政2(1855)年1月16日

幕末の代官、砲術家。号は坦庵(たんなん)。江川家は中世より伊豆韮山を護る名家。自ら率先して厳しく質素倹約につとめ、民を慈くしみ、『世直し大明神』と呼ばれた。


【たい】

英龍の10歳下の妹。大奥に勤めている。


(えつ)

英龍の正室。英龍の5歳下。




『蛮社の獄』で捕らわれた人々


渡辺崋山(わたなべかざん)

寛政5(1793)年9月16日〜天保12(1841)年10月11日

江戸時代後期の武士・画家。三河国田原藩士・家老。


高野長英(たかのちょうえい)

文化元(1804)年5月5日〜嘉永3(1850 )年10月30日

江戸時代後期の医者・蘭学者。


高島秋帆(たかしましゅうはん)

寛政10(1798)年8月15日生まれ

江戸時代後期から末期にかけての砲術家。高島流砲術の創始者。


幡崎鼎(はたざきかなえ)

文化4(1807)年〜天保13(1842)年8月7日

江戸時代後期の蘭学者。もとは藤市という名でシーボルトの給仕だった。




徳川将軍家


【12代将軍・家慶(いえよし)

寛政5(1793)年5月14日〜嘉永6(1853)年6月22日

父である11代・家斉が長命だったうえに譲位後も院政を敷いたため、長い苦悩の日々を過ごしていた。


家祥(いえさち)

文政7(1824)年4月8日生まれ

のちの13代将軍・家定。生まれつき障害があり、なかなか人に心を開けない。


鷹司任子(たかつかさあつこ)

文政6(1823)年9月5日 -〜嘉永元(1848)年6月10

13代将軍・家定がまだ家祥と名乗っていた将軍世子時代に迎えた最初の御簾中(正室)。




英龍の上司や師


水野忠邦(みずのただくに)

寛政6(1794)年6月23日〜嘉永4(1851)年2月10日

江戸時代後期の大名、江戸幕府老中。肥前国唐津藩主、のち遠江国浜松藩主。天保の改革の指導者。


【|阿部正弘《あべまさひろ】 

文政2(1819)年10月16日生まれ

幕末の老中首座。幕末の動乱期にあって安政の改革を断行した。


林述斎(はやしじゅっさい)

明和5(1768)年6月23日〜天保12(1841)年7月14日江戸時代後期の儒学者。大学頭。鳥居耀蔵の父。


松崎慊堂(まつざきこうどう)

明和8(1771)年9月27日〜天保15(1844)年4月21日江戸時代後期の儒学者。林述斎とは義兄弟のような関係で鳥居耀蔵から『叔父上』と慕われている。英龍や渡辺崋山にとっても師にあたる。




英龍の仲間


権太泰従(ごんたやすより)

英龍の1歳上の友人。家慶が将軍世子時代より小姓を勤めて家定まで仕えた。柏木総蔵など江川家の若手の家臣達に経書などを教授した。


遠山景元(とおやまかげもと)

寛政5(1793)年9月27日生まれ

江戸時代後期の旗本。通称は金四郎きんしろう。官位は従五位下左衛門少尉。職制は、江戸北町奉行、大目付、後に江戸南町奉行。


勝小吉(かつこきち)

享和2(1802)年1月15日〜嘉永3(1850)年9月4日

江戸時代後期の旗本だが御役に就けず不良旗本といわれている。直心影流。勝海舟の父。


川路聖謨(かわじとしあきら)

享和元(1801)年4月25日生まれ

豊後国(ぶんごのくに)(大分県)日田の代官の手代の家に生まれた。佐渡奉行、普請奉行、奈良奉行、勘定奉行、外国奉行などを歴任した。


立原杏所(たちはらきょうしょ)

天明5(1785)年12月26日 〜天保11(1840)年5月20

江戸時代中期から後期にかけての水戸藩士、南画家。


斎藤弥九郎(さいとうやくろう)

寛政10(1798)年1月13日生まれ

江戸時代後期から明治初期にかけての剣術家。流派は神道無念流。幕末江戸三大道場の一つ「練兵館」の創立者。門弟に桂小五郎や高杉晋作などがいる。


大慶直胤(たいけいなおたね)

安永8(1779)年生まれ

江戸時代後期から末期の刀工。師匠にあたる水心子正秀や源清麿と共に新々刀期の「江戸三作」の一つに数えられる。


鷹見泉石(たかみせんせき)

天明5(1785)年8月3日生まれ

下総国(しもうさのくに)古河藩(こがはん)の家老であり、蘭学者でもある。ヤン・ヘンドリック・ダップル(Jan Hendrik Daper)という蘭名を贈られている。  





江川家の家臣


柏木総蔵(かしわじそうぞう)】 

文政7 (1824)年3月25日生まれ

先祖代々韮山代官所手代として仕える柏木家の3男。少年の頃よりその聡明さを英龍に期待され、英龍の『右腕』と呼ばれた。


望月大象(もちづきだいぞう)

文政11(1828)年生まれ

江川家のために切腹した忠臣・望月鴻助(もちづきこうすけ)の孫。


矢田部(やたべ)郷雲(きょううん)

文政2(1819)年生まれ

幕末の蘭学者。武蔵国(むさしのくに)児玉郡(こだまぐん)上里村(かみさとむら)(埼玉県)出身。坪井信道に入門し蘭方医学と蘭語を学んだ。


中浜万次郎(なかはままんじろう)

文政10(1827)年1月1日生まれ

土佐国幡多郡(とさのくにはたぐん)中ノ浜村(なかのはまむら)(なかのはまむら)(高知県土佐清水市中浜)の貧しい漁師の家の次男。14歳の時に漂流し、アメリカ船に救助され渡米。船長の好意でアメリカで教育を受け、嘉永5(1852)年土佐に帰郷する。




英龍とそりが合わない人々


大塩平八郎(おおしおへいはちろう)

寛政5(1793)年1月22日〜天保8(1837)年3月27日

江戸時代後期の儒学者、大坂東町奉行組与力。『大塩平八郎の乱』を起こした。


鳥居耀蔵(とりいようぞう)

寛政8(1796)年11月24日生まれ

江戸後期の幕臣。大学頭・林述斎の子。旗本鳥居家の養子。目付になり蛮社の獄で蘭学者を弾圧。南町奉行として厳しい取り締まりをする。


徳川斉昭(とくがわなりあき)

寛政12(1800)年3月11日生まれ

江戸後期から末期の、徳川御三家の水戸藩主。藤田東湖(ふじたとうこ)らを登用して藩政を改革。尊王攘夷論者。苛烈な性格から『烈公』と呼ばれた。


佐久間象山(さくまぞうざん)

文化8(1811)年2月28日生まれ

幕末の学者。信濃国松代(しなののくにまつしろ)(長野県)藩士。初め朱子学を、のちに蘭学を修めた。門下に勝海舟・吉田松陰らがいる。





没年が書いてある人と書いていない人の違いは、英龍が亡くなった時点で亡くなったいたら記載あり、在命なら記載なしとしています。

 

江戸時代後期…ペリー来航以前

幕末、末期…ペリー来航後

という感じでざっくり分けていますが適当です。

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