堕天使、亡地にありて ~真紅の悪魔、追随す~
「おいおい、なんでいんだよ」
「悪い?」
「十月はダメだっつったろ? 神在月つって、八百万の神が……ほら、そこら中に」
「お店が大盛況だ」
「わかってんならとっとと帰りやがれ。オメェみてぇな堕天使がいたら……」
「そんな細かいこと気にしないよ、ここの神様たちは」
十月。一般的には「神無月」と呼ばれ、各地から神が姿を消すと言われている。ただ、この地だけは別だ。地方から集まった神々たちはその地で縁結び会議を開き、宴を楽しむという。
そんな神々の集まりの中にひときわ異質な存在があった。名をレイと言い、片翼が折れたままの堕天使は赤い器の中から蕎麦を啜り、仁王立ちで睨みを利かせる男に笑いかけていた。
「今はね、神様が来るからいつも以上に美味しい割子蕎麦が食えるんだ」
「いつだって同じだろ。大体な、危ねえんだよ。オメェみてえな半端モンがうろついてたら」
「アシェがいれば大丈夫でしょうよ」
レイはくすぐったそうに笑って首を傾げた。さも悪気はないですと言いたげなその表情に男・アシェは口を真一文字に結んだ。
賑わう店内でただひとり翼を持つレイは、それはそれは美しい見目をしていた。黄金に輝く髪はゆるやかな弧をいくつも描きながら背中へと流れ、透き通るような白い肌にはコバルトブルーの瞳がよく映える。シルクの白装束に身を包んだその姿はどこからどう見てもまさに天使。そう、片翼でなければどこにでもいる天使なのだ。
一方、アシェはレイと対を成す存在だ。浅黒い肌、短く切り揃えられた硬質な黒髪。きりっとした二重瞼の奥には真紅の瞳が宿る。鍛え上げられた筋肉質な身体を大胆に露出した黒い装束は、彼の気迫と鋭さを隠すどころか、むしろ際立たせていた。
「とっとと覚悟を決めろや。こんなとこ、おさらばしてよ」
レイは食べる手を止め、アシェを見上げ答えた。
「言ったろ? またここで会おうって、父さんと約束してるんだ」
「……まだんなこと言ってんのかよ」
「俺がここにいる唯一の理由だからね。人間の頃から、ざっと300年は過ぎてるけど」
アシェは盛大な溜息を吐いてレイの向かいに腰を下ろすと頬杖をついて視線を逸らした。
「死んでるって言わないんだ」
「言って欲しいのか?」
「優しいね」
「あぁ? ば、ばっかじゃえねえの」
唐突な言葉に、アシェはがばっと顔を上げ、レイを睨んだ。その顔は、まるで茹で上がった蛸のように真っ赤になっている。
「アシェはいくつになっても可愛いね」
「っぐ、う……やめろ。くすぐってえ」
取り乱すアシェを眺めながら、レイは箸の先をつゆの中に沈めたまま意味もなく器の底をかき混ぜている。
「父さんさ、俺が天使になったみたいに八百万の神様になってたりしないかな?」
「なるわけねえだろ。オメェを人身御供にした奴なんか……」
そこまで言ってアシェは口を噤んだ。
「さいですか」
レイはニコッと笑って答えたが、その目は僅か憂いを帯びていた。
三段目の器に二段目のつゆを流し込み、レイはささっと蕎麦を啜り始めた。
その様子を見つめながらアシェは腕を組み、顎に添えた指先で自分の唇をなぞった。
アシェはレイとは違い、生まれた時から人ならざるものだった。生まれた日も場所も親も何も覚えていない。唯一の記憶といえば、まだ天使だったレイが片方の翼を犠牲にしながら幼いアシェを抱きしめていた、あの光景だけだ。
真っ赤に染まる空の下、純白の羽根が宙を舞い、コバルトブルーの瞳が優しくアシェを見つめていた。
「オメェには感謝してる」
唸るような声と共に紡がれた甘い言葉にレイは目を見開き、すぐに細めて笑った。
「見てごらん。神様たちが移動する」
レイが指し示した先。そこにはさっきまで楽しそうに食事をしていた神々たちが、何の感情もなく、一斉に店を出て歩き始めていた。
レイは両手を天に向かって上げ、窮屈な身体をゆっくり伸ばす。さっきとは違う暗い笑みを浮かべた。
「さて、時間だ」
店内にいたはずの二人はいつの間にか外へ放り出されていた。いや、そもそも店など初めからなかったのかもしれない。
眩いほど明るかった空が一気に陰る。雲が空を覆ったと言うよりも重たい闇がのしかかってきたようで、爽やかな風もすっかり失せて、どろっとした生ぬるい風が頬を撫でる。
不可思議な現状をレイは疑問に思うことなく、ただまっすぐ正面を見つめていた。手にはどこからともなく現れた剣が握られている。
「俺はね、神様たちにも感謝してるんだ。天界から堕とされた俺に衣食住を与えてくれてさ」
「見返りに一人でここを守んだろ? 騙されてんぞ」
「そうかな? 一年間のうちたったひと月働くだけだよ」
「命を賭けたひと月だろ。見合わねえ」
「父さんを探せる。十分すぎる報酬だ」
地面から沸々と黒い何かが湧き出てきた。生臭く、土臭い異臭を放つ液体状のそれらは自由自在に形を変え、ゆっくりとレイに向かって伸びてくる。今ここにいる唯一の光はレイだけだからだ。
レイはゆらりと剣を動かし構えた。それを合図に異形のものたちは一斉にレイに向かって飛んできた。大きな塊を一つ、二つ切り裂き、分裂していくそれらをまるで舞うように交わしながらレイは次々と倒していった。
だが、液状のそれらを全て防ぐことは出来ない。飛び散った水滴がレイの背後で集合し、一本の筋がレイの脳天に向かってきた。レイは振り向きざまに剣を構える。間に合わない。そう思ったところで異形のものは破裂し、四散していた。
「あっぶねえなぁ」
子を叱るような低い怒声にレイは困ったように笑った。レイと異形のものの更に向こう側、アシェが手をかざし、じっとレイを睨んでいた。
「流石だね」
「礼の一つも言えねえのか」
「ありがとう」
「っ、おっまえ、マジそれ……」
身悶えするアシェにレイは笑いかけ、横から飛んできた異形のものを切り裂いた。ビシャッと何かが弾ける音と一緒にヘドロが飛んできてレイの白装束を汚す。
「神様になれなかった成れの果てがこんなだって、人間たちが知ったら驚くだろうなぁ」
「飲み込まれたらオメェもこうなんだよ」
再び湧いてきた異形のものがレイに向かって飛びかかる。真紅の瞳がそれを捉え、手をかざして泡へと帰す。
「アシェがいるから大丈夫」
光り輝く剣先が弧を描き、空に線を描く。黒い塊は四散し、更に白を黒で染めていく。
「俺の手で悪魔に堕としてえ」
向かってくる波は一時的に収まり、二人は肩で大きく呼吸しながら互いを見つめた。鋭い真紅の瞳がコバルトブルーを切なく射抜く。
「淫紋付けられて奴隷化。嫌だよ」
「こんな汚ねえ奴らになるよりマシだろ」
「綺麗なまま父さんに会いたい」
「だったらこんなところにいるんじゃねえよ」
「神様たちとの約束なんだ」
アシェの口からギリッと音が鳴る。
「約束、約束! くだらねえ。誰もレイを大切にしねえのに。俺は、俺だったら……ッ」
そこまで言いかけたところで、アシェの唇に柔らかな何かが触れる。何をされたかアシェが理解するまで時間はかからなかった。
アシェが大好きな太陽の匂いが鼻腔をくすぐる。
「俺だったら?」
触れたままの唇が問う。顔が近すぎてアシェもレイも互いの表情を読み取ることはできない。意を決したアシェはレイの肩を掴み身体を引き離すと好戦的な笑みを浮かべた。
「付き合ってやんよ。最後まで」
「そうこなくっちゃ」
レイは剣を、アシェは構えの姿勢を取りこれからやってくる異形のものたちを睨み、そして笑った。
end...
wave boxにて、リクエストありがとうございました┏○ペコリ
お題:BL、蕎麦、約束
リクエスト小説・第四弾。
普段は冗長な書き方ばかりしてしまうので、短く、それでいて起承転結がしっかりしたものを書けるようになりたいと思い、練習させていただきました。お付き合いいただき、ありがとうございます。
もし奇特な方がいらっしゃいましたら是非リクエストください。いつでもお待ちしております。
「リクエストしたい!」と言う方がいらっしゃればコメント欄に以下のことをお願いいたします。
・NL、BL、恋愛なしのいずれかひとつ
・3つのお題(上記参照してください)
今回のようにX(旧:Twitter)→「wave box」からでもOKです。
~3000文字の超短編を書きます。めっっっちゃ喜んで書きます。
さて、今回ですが、8月21日にリクエストをいただいていたのに気づいたのが9月14日という、大変失礼なことになってしまいました。申し訳ございません。
そして、ここにアップし始めたのが9月16日でした。早い。すごい早い。適当に書き上げたわけではなく、私事ですが試験が終わった解放感から一気に仕上げることが出来ました。推敲も何度も重ね、満足いく形になりましたので上げさせていただきました。
お題が「蕎麦」「約束」。ほんわかあったかなお話がよさそうだなと思いました。カップルが一緒に年越しそばを食べながら「来年もよろしくね」みたいな、ほんと、優しいお出汁のようなBLを。
ですが、蓋を開けてみれば筆者が大好きな「ダークファンタジー」になってました。
闇BLですね(笑)
蕎麦といえば何かな、と記憶を探って出てきたのが「わんこ蕎麦」と「だったん蕎麦」そして「出雲そば」でした。
約束とは、なんとも簡単で難しいお題でした。私が幸せあったかアンチな部分があり、約束=絆という風にはどうにもならず。暗い、暗すぎる。
それと、ずっっと書きたかった「ケンカップル」
書けて幸せでした。始終ケンカさせて楽しかったです(笑)
レイとアシェ。どっちが攻受なのかということですが。順当に行けば堕天使レイが受けでしょうか。淫紋刻まれてうんたらかんたらとか、激萌えです。
私としてはアシェ受けも気になります。年上お兄さんレイが手取り足取り……。失礼。
長くなりましたが、今回はここまでで。
お読みいただきありがとうございました!
懲りずに他作品も読んでいただけると大変喜びます。BLもNLもあります。
2025.9.16 江川オルカ