就活セミナーなんてくそくらえ
これは、舞の物語をその友人である七海の証言の元に作成された記録である。
彼女は、プチ就活中であった。本格的に始まるのは来年からと聞いていたので、取り敢えず今年は企業探しというやつをやりながら、働くって何なんって考えていた。
「働 (はたら)く」とは、傍=他人を楽にするということを聞いたことがあるだろうか。
舞は高校生の特に、学校に来たある企業の偉い人がこんなことを言っていて、正直なところ、宗教染みていて気持ちが悪かった。ちょっと検索すれば、本当の語源なんてのはすぐにわかることで、どうしてこんな”言葉あそび”をあたかも本当の語源かのように述べ、しかも高校生に対し教えを説くかのように語っているのだと思った。加え、この話に共感している奴らもどうかと思った。とはいっても所詮高校生である。同情の余地もあった。こんなことを思いながら、舞は高校生の時に、その偉そうな人の講演を聞いていた。
どうだろう、この「働く」に関する語源を聞いて、普通の人は疑問に思うことはないのだろうか。舞は就活支援のセミナーで再び同じような話をことになり、いろいろと思うところがあり、近場の喫煙所に歩みを進めていた。今回の喫煙所は講演をしていたビルの屋上にあり、その日は晴れていてとても気持ちがよかった。他にも利用者が先にいたがいつもの場所とは違った種類の人で雰囲気も違っていた。その場にいる人が違うだけでこんなにも雰囲気というものが変わるものなんだと思った。舞はそこで愛用のマルメン8 mmを吸いながら頭の中で、講演していた偉そうな人をおちょくることにした。仮想的にその偉そうな人に質問をした場合を想定してみるのである。
「はたらく」ということに関して、どうして他人のためだけに限定されてしまっているのか。世の中には自分のために働いている人もいるだろう。あるいは目的もなく働いている人はどうなる。こういった人たちははたら」いていることにはならないのだろうか。
そんな疑問を当時もし、その偉そうな人に投げかけたとする。するとこんな答えが返ってきそうなものである。
どんな人もはたらいている人は回りまわって、どこかで他人を楽にしている。
だから何だといった感じだ。いかにも宗教的である。もちろん人は一人では生きていけないようになっている。誰かがアクションを起こせばどこかで誰かがその反応を受ける。これは働くことに限った話ではないだろう。
もう一つかぶせて質問してみる。
ではなぜ、はたらくは人偏に動くと書くのか。
あえてこの質問に対し、その偉そうな人になりきって返答するならばこうだろう。
「はたらく」という言葉が初めにあって。それに人が動いている様子を表した「働 (ドウ)」という漢字の訓読みとして当てはめたのだと。つまり日本の言葉なのだと。
んー。何とも苦しい。無理がある。ただ、本来の語源につながりそうなことを言ってくれているのはいいポイントだと思う。「働く」;人が動くこと。つまり人が何らかのアクションを起こして動きさえあれば、働いていることになるのだという。働くこと自体に他人の存在は全く関係ないのだという。
この考え方はとても割り切っているようにも思えるが、あくまで一つの考え方であって、人付き合いに疲れた人とかにとっては気が楽になる考え方であろう。
「働く」というのは誰のためでもなく、自分のためにあるものなんだという考え方になると、余計なことを考えなくてよくなるので、割と思考がすっきりするものである。
次に何を思うかというと、自分は何者かということである。いわゆる日本語で言うところの「~者」、英語で言うところの「~ist」や「~or, er」である。これは職業とも16性格診断とも違う。その間を行くようなものである。何をしている時が一番自分らしくあれるのか。こういった事を考えるのである。おそらくこの問いは、一生の問いになるかもしれない。ただ「自分は何者か」ということを考えることはとても大切で自分の指針あるいは軸となるものを得ることが出来ると思っている。働く際、あるいは仕事探しをする際にもこういった軸があれば、ぶれることなく、自分がやりたかったこと、やりたいことが見つかるないしはできるはずである。




