黄泉戸喫茶、開店
黄泉戸喫とは、黄泉の国で食べ物を食べることを意味する。黄泉の国の食べ物を食べた者は、生の世界ー。つまり現世に戻れなくなる。黄泉戸喫茶黄泉戸喫茶は亡者が望む料理を提供するお店。これから始まる物語はそんな喫茶店の日常。
目を覚ますと体がいつもよりずっと軽い。腕を見てみるといつもついている点滴、ガーゼが無くなっていた。そして、家族と自分を上から見下ろしていた。そうか、私は死んだのか。癌に勝てなかったのね。悲しむ家族を見ながら「ごめんなさい。」そうつぶやいた。すると妹と目が合った気がした。
「お迎えに上がりました。ヒバナ様。」
気が付くと子供が横にいた。青白い肌をした、たれ目の小さな男の子。これが死神か。「せめて私のお葬式だけでも見てはだめ?」と少し駄々をこねると慣れたようにどこかへ携帯らしきもので連絡をした。
「わかりました。」そう簡潔に返事をした彼は私のそばをぴったりついて離れなかった。
無事にお葬式が終わり両親と妹と別れを告げた。私の声は届かないけど。お葬式中の私の亡骸は、とても綺麗にされていた。そんな姿を見た死神は私が癌になる前の姿、黒い長髪をなびかせていた時代の姿にしてくれた。「優しいのね。」
「我々、死神のモットーは、亡者に慈悲を。なので。」
それでは、行きましょうか。そういうと彼は私をある喫茶店に案内した。
「ここは?」
声が空気を震わせて発生したような気がした。先ほどの病室やお葬式場では喉から音が発生しているような感じがしなかったのだ。
「ここは、黄泉戸喫茶《よもつへきっさ》。亡者のための喫茶店です。ここに入れば後は別の者がご案内をいたします。」
彼はそう言い残すとフッと消えてしまった。お礼を言えなかったことを悔やみながら、言われた通り喫茶に入った。
「いらっしゃいませ!ようこそ、黄泉戸喫茶へ!こちらへどうぞ!」
喋る黒猫に驚く間もなく席に案内された。店内を見渡してみるとシンプルな内装だけれど、とても落ち着く空間だ。カウンターにはマスターと呼ばれている長身タレ眉ツリ目のハンサムな男性が見える。マスターはこちらを見るとニコッと愛想のいい笑顔をみせ、黒猫に何か指示をだしている。
黒猫は頷くとこちらへ駆けてきた。
「それではヒバナ様、早速、貴方の軌跡本を見せていただいてもよろしいですかニャ?」
「軌跡本…?」
「軌跡本とは、貴方様の人生を綴った一冊の本のことだニャ」
「私、何も持っていないの…」
そういうと黒猫は大丈夫ニャ!といい手を借りてもいいかと聞いた。
素直に手を差し出すと、黒猫が柔らかいぷにぷにした肉球を乗せた。その瞬間一冊の本が飛び出し、机にポンっと置かれた。その本に黒猫が先ほどのように、肉球を重ねると、とあるページが開いた。
開かれたページの文字と写真はプカプカと浮かび上がり、マスターのもとへ行きポンっとシャボン玉のように弾けて消えた。
「楽にしてお待ちくださいニャ。すぐに出来上がりますよ。」
そう言い残すと黒猫はマスターのもとへと駆けて行った。
状況が読めなかったので、ひとまず目の前の本を読んでみた。懐かしい気持ちや、私の覚えていない出来事も書いていて中々いい時間つぶしになった。20年という人生の物語はあっという間に読み終えてしまった。
この匂いはグラタン。グラタンは私の大好物だ。目の前に置かれた好物を私は頬張った。
「この…グラタンは…ママの味。」癌になるまで毎年誕生日に作ってもらっていたものだ。懐かしい。見た目も味も匂いもそのままで久しぶりに食べた物だけれど舌は完璧に覚えていた。気が付くと視界がぼやけていた。癌になってもグラタンを母は作ってくれていた。だが、ストレスや癌の影響で味覚が無くなっていた私には苦痛でしかなく、グラタンを母に投げつけてしまった。母は怒ることなく「ごめんね。変わってあげられなくて…苦しいよね…」そう呟く母の声は震え、私よりも苦しそうな顔をしていたのを思い出した。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」呟きながら私は母のグラタンを口いっぱいに頬張った。
食べ終えた後、黒猫に「母に謝りたい」と頼んでみた。すると黒猫は困ったようにマスターの方を見た。
マスターがそれに気づくと私の向かいの席に座った。
「ここの食べ物を食べると現世へは行けなくなる。だから貴女が直接伝えることはできない。だが、我々死神がその願いを手伝うことができる。我々、死神のモットーは亡者に慈悲を、だからな。」
そう微笑むとマスターは黒猫ークロを呼び小さな扉に立たせた。そして何かを呟くと扉が開きクロは扉の中に消えていった。それを確認したマスターは私の方を向き額に人差し指を立て先ほどの言葉とは少し違った言葉を囁いた。その瞬間視線が低くなり、我が家の前にいた。
「これは…現世?」
「あぁ。クロと視線を共有している。これからクロを通して想いを伝えるといい。と言っても直接は無理だから夢を使う。よく亡くなった人が夢に出てきたなんて言うだろ?それさ。長くはもたないからな。」
なるほど…?という曖昧な理解しかできなかったが考える暇も無く、クロは母の枕元に立ちママの額に肉球を当てマスターが言っていた言葉を囁いていた。その瞬間、目の前にママが現れた。
「ヒバナ…?」
「ママ…ごめ、ごめっ…んなさい…ごめんなさい。親不孝者でごめんなさい…」
いざ母を目の前にすると言葉が詰まり、涙ばかりが出てしまった。そんな私をママは抱きしめ、
「馬鹿ね…本当に…親より先に逝ってしまうなんて…ほんっとうに…!」そう言う母は震えていた。
感傷に浸る間もなく体が光り意識が遠のく感覚がした。
「ママ、私ねママの子で本当に良かったよ。グラタン…ごめんなさい。八つ当たりで傷つけてしまって…」
「そんなこと気にしてないわよ。天国で先に待ってなさい。私もそのうち逝くわ。そしてまた…ママの子になってね。」
そんなママの言葉を最後に目を開けると喫茶店にいた。
「無事伝えれましたか?」
涙で言葉が詰まって頷くことしかできない私にマスターは水とハンカチをくれた。涙が止まった頃にクロが扉から帰ってきた。
「遅かったじゃないか。」
「ヒバナ様のお母様、無意識にゃのに力が強くて中々逃げれなかったんニャ。」
寝ている母にクロはがっしりと捕まっていたそうだ。逝かないで、ヒバナ。と。
その話を聞いてまた涙が溢れてしまった。
ひとしきり泣いた後に先ほどの死神が戻ってきた。
「よかった。また会えた。」
「…?よくわかりませんが、次は主神のもとへ案内いたします。」
「わかりました。マスター、クロちゃん!ありがとう!」
そう言い残し、私は死神と一緒に神様のもとへ向かった。
「何か吹っ切れた様子ですね。」
「うん!次は後悔しない人生を歩むよ。もちろん長生きしてね。死神さんもありがとう。」
「我々のモットーは…」
『亡者に慈悲を』
「でしょ?」
死神はぽかんとし、フッと笑い貴方も死神になりますか?と勧誘してきた。
まぁ…家族が来るまではありかもね。
「さて、次の亡者様をおもてなしするぞ。」
「はいニャ!の前に私今回頑張ったしご褒美は?」
「俺の使い魔に褒美などないぞ。」
「ひどいニャ!私にも慈悲よこせニャ!」
「…お姉ちゃん…どこ…?」