山田の世界
山田は神である。知っての通り、この世の全ては山田によって存在が与えられているし、山田は個にして全であるから、万物は皆、山田であった。石も風も水も皆、山田であった。山田は単なる山田に過ぎないため、山田の間にヒエラルキーは存在せず、ただ廻転があるばかりである。海という山田は陽の光という山田によって雲という山田になり、雨という山田となって地に降り注ぎ、そしてまた海という山田になる。簡単な話である。
ただ、生物という山田たちは常に山田の想像を超え続けた。彼らもやはり、単なる廻転によって維持された。個としてのパワーが強い山田は基本的に弱い山田に比べ数が少なく、最終的に最も弱い山田によって全体に還元される運命を待つ。結果的に種としての力は均一に保たれた。あまりに複雑で美しいこのシステムに、神たる山田の意志は混入せず、完全自助的に作動し続けていた。その発生から見守り続けていた山田自身、このシステムが正常に作動している理由を正確に理解できていなかった。
そして生物が発生してからしばらくした頃、また全くイレギュラーな山田が生まれてきた。その山田は他の山田たちを殺戮、使役、蹂躙、消費し続け、生命としての活動を終えても、その亡骸を燃やし無機物にしてから埋めるため、生物のシステムに一切関わることがない。そして、むしろその山田自身が環境として振る舞うようになった。環境は基本神たる山田が操作するものだったから、これには驚いた。だからと言って、山田が山田たちの行動に憤慨するとかそういう事は全くなく、山田としてはむしろそういった変化があった方が見応えがあって面白いものであった。山田は生物の山田たちを助けたりだとかいう干渉は一切せず、ただ見つめるのみである。以下に述べていく山田/\は、神たる山田が特に示したる偉大な山田たち、いわば山田図鑑である。とはいえ神の山田にとって、個の生物にさしも特別な感情があるわけではないため、この山田たちはあくまで無作為に抽出された山田であることには注意が必要である。
山田は原核生物であった。名前もないくらいの細菌である。原核生物である山田に一切の意思はない。ただ水中を漂って、有機物やらを分解してエネルギーを得て、分裂で自己コピーをつくり増え、他の生物に取り込まれる。山田には個としての意識はなかった。しかし、種として彼は原生生物である自分自身を誇りに思っていた。細胞小器官すら持たない彼らには遺伝的多様性はほとんど必要ない。自己コピーによる増加だから、真核生物の奴らみたいに個々の死はあまり気にする必要がない。真核の奴らは自分達をバカだ原始的だというが、山田にして言わせればあいつらの方がバカである。複雑な構造をしているせいで病気や怪我もする。種としての環境適応能力低い。真核生物の中にも細胞分裂で増える奴等がいるらしいが、自分達は分裂の速さが違う。あいつらが二匹になる間に百にも二百にもなる。
個としては弱い我々だが、種としては最強だ。生物は種として生き残ればいいのだ。我々は決して原始的なのではなく、原始から生き残ってきた生物の帰結なのである。
だからこそ山田は自らが原核生物であることを誇りに思っていた。山田に意思はないが、意志がないなりにそんなことを考えながら、フョフョと水中を漂っていたのである。そんなある日、山田はゾウリムシに食われて死んだ。
山田はゾウリムシであった。ゾウリムシである山田に意思はほとんどない。体の周りにはえる細かい毛を動かしながら、水中を泳ぐ。そして気が向いたら細胞分裂をして増える。それだけでよかった。山田は単細胞生物である自分自身を誇りに思っていた。多細胞の奴らは我々単細胞をバカにするが、山田にしてみればそんな彼らの方が理解できなかった。当然単細胞である限り、複雑なことはできない。デカくもなれない。だけど、複雑なこともする必要なければデカくなる必要もない。ただ生きていればいいのである。しかも、原核生物の奴らみたいに弱っちくもないが、多細胞の奴らみたいに増えるのに複雑な儀式をする必要もない。第一、我々の体は単細胞でこそあるが単純ではない。むしろ一つの細胞に多細胞の奴らが器官と呼ぶものを全て詰め込んでいるのだから、あいつらの細胞なんかよりずっと機能的で複雑である。
だからこそ山田は白らが真核単細胞生物であることを誇りに思っていた。山田に意思はほとんどないが、意志がほとんどないなりにそんなことを考えながら、フョフョと水中を泳いでいたのである。そんなある日、山田はイトミミズに食われて死んだ。
山田はイトミミズだった。意思はほんの少しだけある。山田が日ごろすることと言ったら、体をくねらせ水を泳ぎ、土を食ったりそこについた微生物だのを食ったりして過ごすことくらいであった。とはいえ山田は細胞分裂で増えることができるわけじゃないから、増えるためには仲間を見つける必要があった。山田は自分がイトミミズであることを誇りに思っていた。山田はいわゆる生態ピラミッドとかいうやつで分解者と呼ばれる立場であり、消費者と呼ばれるやつらは自分達をバカにするが、山田はそんなことを気にすることはなかつた。確かにいつも命の危機にさらされる弱い立場だが、単細胞の奴らほどではない。奴らは体が弱いから、水の中でないと潰れてしまう。その点、我々は多少水がなくても集まり塊になって耐えることができる。そして、もっとでかい奴らみたいは同じ種類のやつと会うだけでは増えることができなくて、同じ種類の中でもさらに別の種類のやつと出会う必要があると聞く。全く意味がわからないが、何ともめんどくさいことであることはわかる。我々には、そのようなめんどくさいことをする必要はない。そしてこれが最も重要なことだが、山田をバカにするような奴らはそもそも山田無くして生きていくことができないのである。山田が奴らの死骸を無機物に分解してやってるからこそ、植物が育ち、奴らが生きることができる。山田はこれを直感で理解していた。
だからこそ山田は自らがイトミミズであることを誇りに思っていた。山田に意思はほんの少ししかないが、少ししかないなりにそんなことを考えながら、ウニョウニョと水底を這
っていたのである。そんなある日、山田はガマガエルに食われて死んだ。
山田はガマガエルであった。意思はそこそこある。山田は日々そこそこ色々なことをした。昼間は岩の下とか腐った木下とかを探して、夜が来るまで天敵に見つからないようにじっと待つ。夜になったら池まで出てきて、餌を探しにいけを泳ぎに行ったりだとか、繁殖の仲間を探すためにゲロゲロと鳴かなければならなかった。山田は自らがガマガエルであることを誇りに思っていた。自分を食べる蛇だのフクロウだのは自分達のことを間抜けだノロマだというが、山田にしていえば全く問題ではなかった。自慢しているがアイツらはよく失敗している。あいつらと来たら見るたび見るたび腹を空かせていてかわいそうなもんだ。日々安定して食事にありつけているのはむしろ我々の方である。食うものがあるというのは安心につながる。生きるためにやらなければいけないことは多いが、安心も多い。子供の頃はかなり危なかった。 ヤゴがゲンゴロウみたいな奴らに大勢の兄弟が殺された。しかし今となってはヤゴやゲンゴロウはむしろ餌である。敵も前ほど多くはいなくなった。喉を鳴らして魅力的なメスにアピールするのも楽しい。
だからこそ山田は自らがガマガエルであることを誇りに思っていた。山田に意思はほんの少ししかないが、少ししかないなりにそんなことを考えながら、昼間っからぴょこぴょこ跳ねていたのである。そんなある日、山田は猪に食われて死んだ。
山田は猪であった。 意思はかなりある。山田は近頃困っていた。自分達が住処にしていた山の麓に近頃人間が現れるようになった。人間というのは恐ろしい。細く弱そうに見えるが、奴らは全く意味不明の攻撃をしてくる。目の前で飯を食っていた仲間が、爆音が鳴ったと思ったら突然倒れて死んだのを見たことがある。 遠くでは人間がおかしなものを持ってこちらを見つめていた。同じようなことがキジバトやタヌキのときにも見たことがあった。だからこそ、人間には絶対近づかないと心に決めていた。
山田は自分が猪であることを誇りに思っていた。山田は自分の住むあたりでは一番強い自信があった。だからこそ、人にびくつかなくてはいけない現状にイライラしていた。 元々山田はキノコや木の実などを好んで食べるが、いつもの食事場にも人間がうろつくようになってしまったため、近頃はカエルなんていうのも食べた。それでも、山の高いところに行こうとはしなかった。 奥には天敵がいるとか、特に寒いとかそういう事はない。 これが山田の世界の棲み分けであった。 奥はネズミやキツネなどが住む世界である。山田はこれを本能で理解していた。いつかは山の奥の方まで行き、他の生物を淘汰して、自分の縄張りを広げるということもしなければならないかも知れない。しかしできる限り、自分は強いからこそ、人間たちに程近い麓近くに住まなければならないと考えていた。
だからこそ山田は自らが猪であることを誇りに思っていた。山田に意思はかなりあったから、かなりそんなことを考えているうちについに食べるものがなくなり、人里の野菜畑に出ていくようになってしまったのである。そんなある日、山田は人に撃たれて死んだ。
山田はサラリーマンだった。彼はもはや意思朦朧としていた。山田は自分を田中と自称した。人間は個を重視するため、個を識別する名前を各々持っていることが多かった。山田は6時に起き、七時四十五分に家を出て、 満員電車に揺られ八時に会社に行った。 十九時に仕事が終わるとタイムカードを切ってそれから少なくとも二十一時までは働く。 それを日々繰り返すだけであった。なぜそうしているかというのは山田自身でもよくわかっていなかった。皆がそうしているからそうするだけである。皆が一斉に仕事を辞めれば、山田も一緒に止めることだろう。そういう仕組みが、山田たちの構成する社会には存在した。
山田は同僚の女性に恋をしていた。気さくで正直で可愛い女性だった。 しかし、その女性は山田の上司と不倫をしていた。山田はひどくショックを受けた。山田はなぜ人間には恋という機能が備わっているのかが理解できなくなった。 恋というプロセスがなく、淡々と出会い、淡々と生殖し、淡々と増えれば良いはずだ、そうすれば自分が不必要に傷つく必要もなかったはずである、と山田は考えるようになった。
山田は人間であることをあまり誇りに思っていなかった。できることなら人間を辞めたいとすら思っていた。だから冬場は、日曜になると決まって山に行き、唯一の趣味である狩猟を楽しんだ。狩猟をしているとき、生態系に組み込まれている感覚になって、孤独を感じなかった。周りからは野蛮だとか動物がかわいそうだとか言われ、あまり受け入れられなかった。それでも山田は狩猟をやめなかった。 害獣と呼ばれる動物たちを殺せば、地元住人たちからは感謝されるし安月給の足しにもなる。第一、山から降りて人間の社会で生きていくことに疲れ切っていたのである。
だからこそ、山田は人間でいることをあまり誇りに思っていなかったのである。生物的強者が唯一生態系に還元されるチャンスである死に目の場も、法と風習によりわざわざ灰と二酸化炭素にしてから外界と隔てたツボに収めて埋められてしまうのならば、いよいよもって自分の生まれた意味を理解できなかった。自らが人間であり、生態系にすら組み込まれることのない自分を恥じた。 山田はすでに自らの意志がわからなくなっていて、ただ生きるという簡単な目的さえ見失っていたのである。 山田にとって、人間であることの素晴らしさ、喜び楽しみは全て人間であることの苦しみ、悲しみ痛みに還元されていた。そんなある日、山田は山で首を吊って死んだ。
時がたち、山田の死体は微生物たちによって腐敗していった。首から下の肉がずるりと滑り落ち、胴体から露出した臓物が冷たい地面を湿らせた。腐敗した体を小さな虫やミミズが分解した。血は土壌に豊富なミネラルをもたらした。そして、山田の肉を喰らいに来たネズミのような獣やその獣を食いに来た別の獣などが山田の周りに集まった。カエルや猪のような奴らもいた。もはや、山田は孤独ではなかった。山田の死体を中心とした新たなる山田の生態系、山田の世界がそこにできていた。山田の死体は、衣類と白骨以外は残らず山の隅々へと還元されて行った。
山田は神であった。神であるから、当然万能である。
7日間で世界を作ったなんて言われるが、流石の山田もそんなことはできない。探り探りで作っていたから、何十億年もかかった。
山田の最初の仕事は星の形を作ることであった。それが大体46億年前である。その辺の星屑をくっつけてこねて地球をつくった。余った材料で月を作ったりした。
いい感じに星が冷えてくると、運よく水が生まれた。水は他の星にも結構あるが、液体で存在しているのは山田が知る限りでは地球しかなかった。おかげで海ができた。
あるとき山田すら想像していなかったことが起きた。 海に存在する有機物が勝手に増え始めたのである。地球上に山田の意思によらずに増えるものなど存在しなかったので、山田は大変に驚いた。これは神にとってはエラーのようなもので、自分の星に自分の思いに寄らぬものが存在する状況は神にとって恥であるはずだった。他の神々は山田を馬鹿にした。 しかし、山田はこの状態を良しとした。これは山田が神としてあまりやる気のある方ではなかったこともある。 とにかく、山田はこの有機体を消そうとはせず、そのままにした。山田はこれを「生物」と呼び、他の石や雲や水なんかとは分けて考えた。
それからというのも、山田は他の仕事もそこそこにこの生物を見つめ続けた。自分の意志に関係なく増えたりするものは、普通ならキモイものだが、山田は神としてちょっと変なので面白がって見ていた。
ある日、山田は大気の成分が勝手に変えられていることに気がついた。 二酸化炭素と水素とその辺に落っこちていたものを雑に混ぜて作ったのだが、そこに酸素が混ざっていた。元々多少は入っていたが、それにしても明らかに分量がおかしい。 酸素なんて危なくて作りにくいものを、ガサツな山田が混ぜるはずがなかった。適当に設定したものだから、別にこだわりがあったわけではないが勝手に変えられているのは何となく気に触るから、山田は隣近所の神にいちゃもんをつけて回った。自分の星を何者かが勝手にいじっているのが我慢ならなかった。 しかし、皆知らぬというばかりだった。もしやと思って調べてみると、生物の中には、山田が設定した空気を勝手に変えてしまうものもいた。こいつらは二酸化炭素を勝手に酸素に変えていた。これには山田も驚いた。
それから一七億年ほど立った頃、今までのものよりかなりでかく複雑な構造を持つ生物が生まれ始めた。この頃には生物もかなり種類が増えたが、それよりも不思議なことが起きた。生物が他の生物を取り込むということが起きたのである。火は水で消え、小さい星は大きい星に取り込まれるものだが、生物たちのそれはそういうものとは明らかに違っていた。神の世界では見たことのない現象だし、他の神に聞いてみても知らないことであった。山田は初めてヒエラルキーを知った。 ある日、山田は二酸化炭素を酸素に変える生物の他に酸素を二酸化炭素に戻す生物が生まれたことに気がついた。これによって空気中の二酸化炭素と酸素の割合が大体いつも一定になった。山田は生物たちに痛く関心し、彼らと共に地球を作ることにした。その頃になると山田も生物というものに対して、単なる好奇心という以上に愛着を持っていたから、生物が他の生物を食いあうというのが何となく寂しかったが、まあそういうものだと思うことにした。
そこからさらに十六億年ほど立った頃に、生物の種類がはちゃめちゃに増えた。体の構造もかなり複雑になり、ヒエラルキーの作り方ももっとずっと複雑になった。こうなるともはや完全に山田の手に負える物ではなくなった。他の神々は、最初のエラーを放置し続けた結果だ、自分のせいだと非難した。当然山田は無視した。
あるとき、山田はあることに気がついた。自分が地球の温度を上げたり下げたりと環境を変えると、生物たちの姿も変わるのである。とはいえその変化は予想できる物ではなかった。面白いので、山田はどんどん環境を変えた。 生物はどんどん大きくなり、姿を変えて、ある日ついに地上にも現れるようになった。 最初に地上に出たのは、生物の中でもあまり動かない奴ら、空気の成分を二酸化炭素から酸素に変え始めた奴らの子孫の緑色の奴らだった。その後、体が硬いやつや柔らかいやつらなんかが陸に上がっていった。 地球はもはや、かつてと同じ星ではなかった。
山田はどんどん環境を変えた。大陸を分断したり、めちゃくちゃに寒くしたり、逆に暑くしたり、その辺の星をぶつけてみたこともあった。途中変えすぎて何度か全滅させかけたこともあった。あぁやらかしたと思うのだが、その度に生物たちはしぶとく生き残り、今までと全く違う姿となって再び増えて生態系を作っていった。
そして、これはついこの間の話なのだが、ある生物が大陸の片隅で生まれた。今までの生物に見たことないような歩き方をし、こいつらがまたべらぼうに強かった。強くそして頭もよかった。この生物たちはものを作った。他の生物たちの中にも山田が作った風や石を使うものは多くいたが、自分で使うものを自分で作る生物はこいつらが初めてだった。こいつらは他の生物を殺し、自分達に近い生物たちも殺し、あっという間に地球上に広がっていった。こいつらは熱いところにも寒いところにも平気で住むし、そしてまた驚くほど何でも食べた。
山田にとって、この生物たちは面白くはあったが不安要素でもあった。あまりに強いから彼らの生活圏に他の強い生物たちが入れないのである。にも関わらず、彼らはどんどん生活圏を広げ数を増やしていった。山田が作った地上の殆どに彼らが作った構造物が見られるようになった。彼らは他の生物たちの自由な移動と自由な進化を妨げかねなかった。進化を見るのが好きな山田にとってこれは困ったことだった。敵の存在しない彼らは山田を恐れ始めた。彼らが自分を知覚する事はないと知っていたが、これには山田もどきりとした。 彼は時に山田が一言も発していないにも関わらず、山田の意思と称して勝手に互いを殺し合ったりもした。彼らは自分自身で他の生物を追いやり、または保護と言って自分達に一切迷惑のかからない場所にそれらを収容したりもした。 彼らの行動のほとんどが珍妙で奇怪で愛おしく、そうして山田を楽しませた。
近頃は彼らによって大気の温度も上がっているし、他の生物に対しても相当な影響を及ぼしていた。そしてそれらの変化は彼ら自身にとっても相当な影響を及ぼしているに違いなかった。
この生物を観察しているとあることに気がついた。この生物は他のどの生物よりも複雑な社会性を汲み、難解な生態をし、難しいことを考える。一体一体に名前をつけるほど個を意識するのに、また個を食い潰すほど堅い社会性を持つ生物でもある。そして、どの生物よりも強いにも関わらず、時に自ら命を捨てる。
だからこそ、山田は静観することにした。生物たちが自分自身の手によって滅びるところなど、初めて見るからである。これは面白いことである。山田には時間がいくらでもあった。