天狐(てんこ)
目を覚ますと、俺を覗き込む紅の瞳と目が合った。
「目覚めましたね」
紅の言葉に
「おお、目覚めたか、湊」
莉子先輩も俺を覗き込んだ。
「主様、御気分は大丈夫ですか?」
小町も俺を見た。
俺はゆっくりと上体を起こした。
「紫は?」
「紫ならここにいるよ。もう目覚めるだろう」
声の方を見ると、隣のベッドのそばに狩衣姿の銀色の髪の青年が立っていた。
耳が……狐の耳だ。
……もしやこれが天狐?
「紫も目覚めましたよ」
碧の声に隣のベッドを見ると、紫がゆっくり目を開けるところだった。
「なんで紫も横になっていたんだ?」
「それは湊、君を迎えに行ったのさ」
莉子先輩がウィンクした。
「迎えに行く……?」
「そう。夢魂の儀は見事成功し、湊は魂に刻まれた記憶を夢として見てくれた。天狐はその夢を監視し、湊の魂に刺さった欠片が誰であるか突き止めた。湊、君だったんだね。道鏡による坂本龍馬の暗殺を阻止するために、あの近江屋に駆け付けた歌詠みの一人は。蒼空も……かなりおじいちゃんだったが、蒼空もあの場にいた。
わたし達に伝わる話では三人の歌詠みは坂本龍馬暗殺のために送り込まれた大将クラスの呪魂、源義経にすべて倒され、義経は龍馬を暗殺し、道鏡の元へ戻った、とされていた。だが、湊、君は業平に的確に指示を出し、義経を討ち果たしていた。
だがそれは……相打ちとも言える状態だった。義経は最後の力で覇気を放ち、刀を防御結界に突き刺した。そして……防御のために湊の前にいた紫をその刀で貫いた。君は紫を札に返し、自分は覇気の直撃を受け、肉体と魂は離れた……つまり死亡した。
その際、砕けた義経の魂の欠片が湊の魂に刺さった。ここまでが湊の魂に記憶として刻まれていた。その後、湊、君の意識は深層まで落ちていった。そこで君は自身の魂に刺さっていた欠片……義経の魂と再会した。義経は悔恨し、君の魂と一体化することを良しとした」
「そうなんですね。小笠原久光は『その魂の欠片は湊と融合すれば、吉となる。湊に強い力を与えるだろう』そう言っていましたよね」
「ああ、そうだ湊。大成功だ。だがな、そこからが問題だった」
「?」
「本来、夢魂の儀は、魂に刻まれた記憶を、特殊な力を持つ者――今回で言えば小笠原久光の式神である紅や碧の術で、夢に投影し、天狐のような他者の夢を監視できる者が見て、その記憶を辿るというものなんだ。
魂に刺さった欠片と融合なんて、含まれていない。そして魂と欠片が融合したその後、どうすればいいかなんか分からない。
……小笠原久光は知っているのかもしれんが。そこで我々は考えたわけさ。意識の深層まで落ちた湊をどうしたら覚醒できるのかと。そこで白羽の矢が立ったのが紫だった」
紫は俺と同じように上体を起こし、少し頬を赤らめ、俺を見て微笑んだ。
「紫はまず、あの日あの時湊と行動を共にし、湊の最期の瞬間ぎりぎりまでそばにいた。今いるメンバーの中で一番湊とのつながりが深い。それにほら、二人はね。わたしは気の利くお姉さんだから、皆まで言うなという湊の気持ちを汲むが、ともかく紫以外に最適な人材はいなかった。
そこで急遽紅に紫にも夢魂の儀を行ってもらい、紅と碧の力で二人の夢を一つの夢として投影させ、紫に湊を探させたんだ。そして見事、紫は湊を見つけた。そして自分はまだ江戸時代末期の歌詠みと思っている湊に、今の湊の情報を与え、覚醒させた、というわけだ」
「……そうなんですね……!」
「そうなんですね、って、湊、覚えていないのか?」
「はい、何も。突然、目が覚めたという感じで」
「紫は? 紫も何も覚えていないのか?」
莉子先輩が突然振り向いて紫に尋ねると
「え、わ、私ですか⁉」
紫は戸惑いつつも
「……紫ははっきりと覚えています」
「そうか。湊はなぜ覚えていないんだ? あ、あれか、義経と魂の融合をしたりしたから、普通とは違う状態だったからか?」
莉子先輩は首を傾げながらも
「でもまあ、これで見事、道鏡の野望は砕けたわけだ! ということで我々も結界に戻るぞ」
莉子先輩のこの言葉を聞いた紅と碧は、俺たちにお辞儀をした瞬間に姿を消した。
「では私は高天が原へ戻らせてもらうよ。……手伝えなくて申し訳ないね」
天狐が莉子先輩を見た。
「いえ、本当にお体が優れない中、駆け付けてくださり、ありがとうございました」
莉子先輩が深々と頭を下げた。
「いやこんな老いぼれでも役に立てて良かったよ。……私は神と同格とは言われているが、狐族であることは変わりない。代変わりの時は近い。
ただ、私の代わりがなかなかいなくてね。空狐は色事ばかりに現を抜かしているし……。少しでも早く次の天狐にふさわしい器が現れてくれることを願うばかりだよ」
天狐はそう言うと優しく微笑んだ。
どう見ても美しい青年にしか見えないが、そんなに高齢なのか……。
「そうそう」
天狐はそう言うと自身の刀を外し
「湊くん、君は義経の魂と融合した。そのことで新たな力が備わったはずだ。義経は生前知略にたけ、身軽で、とても強い武将であったと聞いている。この刀は神器だ。義経の力と神器、そして君は歌詠みだ。きっと何か良いことが起きるだろう」
そう言って俺に刀を渡した。
俺は慌ててベッドから起きると、刀を両手で受け取った。
漆に金がまかれた金梨地が見事な鞘に納められた刀だった。
天狐は俺に刀を渡すと、微笑みながら姿を消した。
「では行こうか」
部屋を出て歩き出した俺は、今の状況を改めて思い出していた。
結界の中では大将クラスの呪魂との戦いに備え、準備が進んでいるはず。
そこで俺はふと思った疑問を口にしていた。
「道鏡は俺と義経の魂が融合したこと、気づいているのでしょうか? もし気づいていたら、もう義経の魂の欠片はないのだから、大将クラスの呪魂を送り込む必要はないのでは……?」
俺の問いに莉子先輩は「うーん」と唸ったあと
「道鏡が気付いたかどうかは分からないが、仮に気づいたとしても、大将クラスの呪魂は送り込んでくるだろうな」
「え、どうしてですか……?」
「理由は二つ」
莉子先輩はそう言うと俺を見た。
「まず一つ目。歌詠みに、命知らずの陰陽師が味方している、と道鏡が確信したからだ」
莉子先輩は説明を続けた。
「小笠原久光に呪詛返しされた時、道鏡はこの命知らずの陰陽師が歌詠みの味方をしている、とまでは考えていなかったと思うんだ。どちらかというと、陰陽師の範疇である呪詛を使って攻撃を行ったことに対し、命知らずの陰陽師が怒った、呪詛でやるつもりなら相手をしてやろうと宣戦布告された、そう思ったんじゃないのかな。
だが今回、呪魂をごそっと祓われた。つまり、この命知らずの陰陽師は歌詠みの味方についていると気付いた。道鏡としては小笠原久光はできれば相手にしたくないはずだ。そして今、歌詠みが集結しているが、そこに小笠原久光の姿はない。ならば小笠原久光がいないうちに、叩ける歌詠みは叩いておこうと道鏡は考えるんじゃないかな」
「なるほど……」
「次に二つ目の理由、そこに歌詠みと言霊使いが集結しているから」
「そうか! 義経の魂の欠片が手に入らないまま撤退しても何も成果がない。でも集結している歌詠みと言霊使いを一網打尽にできるなら、今回の戦いは意味があるものになる」
「そういうことだ、湊。義経の魂の欠片も手に入らず、少将クラス、中将クラスの呪魂を大量に無駄にして、そして成果ゼロでは退散できないはずだ。何よりも振り上げた拳の落とし先として、大将クラスの呪魂を送り込んでくるはずさ」
つまりこの後の戦いは絶対に避けられない……。
「大丈夫さ、湊。一人じゃないんだ。みんないる」
莉子先輩の言葉にその場にいたみんなが頷いた。
俺も「そうですね」と笑顔で頷いた。
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今日は2話公開です。引き続きお楽しみください!




