陰陽師 小笠原久光
小町と姫天皇に、冷たく当たってしまったことを謝罪すると、二人はすんなり許してくれた。
許してくれたが、条件を出された。
それは今晩の巡回は休みたい、そして俺と一緒にゆっくり休みたい、というものだった。
俺に「ノー」の選択肢はなく、狭いシングルベッドで三人並んで川の字で寝ることになった。
ぐっすり寝ている俺のところに二人がしのんでくるのは、大問題であるが、睡眠をとる、という観点では問題なかった。
だが。
まだ起きている状態で左右に二人がいて、眠れるはずなどなかった。
まず、俺は仰向けでは眠れない。
だいたい右向きで眠りにつく。
右には小町がいるのだが、右を向いて寝ようとすると姫天皇が激怒した。
左を向けば……当然、小町が拗ねた。
結果、俺は仰向けで寝なければならないのだが、身動きもとれないし、眠気なんてわくわけがなく……。
そして眠れないと紫のことを考えてしまい、俺はますます眠りにつくことができずにいた。
二人はスヤスヤと寝ていたようだが、俺が眠りに落ちたのは疲労がピークに達した夜明けだった。
ここから得た俺の教訓。
それは言霊使いに謝罪するようなことをしてはならない、だった。
◇
「湊、おはよう!」
「蒼空、目覚めたんだな!」
「ああ、心配かけたな」
「心配なんて、俺こそごめん……」
莉子先輩から蒼空は目覚めたと連絡が来ていたので、俺は飛び起きて病院へやって来ていた。
蒼空のそばには蜻蛉と伊勢がいた。
「もう退院できるのか?」
俺の言葉に蜻蛉が答えた。
「体は健康そのものです。ただ……」
そう言って瞳を伏せた。
……心の傷か……。
紫があんなことになったから……。
蒼空は紫の様子が気になるはずだ。
でも今の蒼空では呪詛の毒気にやられてしまう。
紫の様子が気になる、でも会えない、心配になる……。
これじゃいくら体が元気で目覚めていても、心の傷は癒えない。
なんとしても紫から呪詛を取り除かなければ……。
「あ、湊、おはよ~」
和泉が部屋に入ってきた。
いつも色気満々なのに今日の和泉はシャツのボタンも一つしか開いておらず、おとなしい感じだった。
「主様、情報を仕入れてきたよ。今日、呪詛に強い陰陽師が来るんだって~」
「そうなのか、和泉」
「うん。なんでも若いのに切れ者で~」
和泉はベッドに腰掛け、嬉しそうに蒼空と話し始めた。
俺は蜻蛉と伊勢に目配せをすると蒼空の病室を出た。
俺の後に続いて、小町と姫天皇も部屋を出てきた。
「主様……」
二人が俺に身を寄せてきた。
気持ちは同じだった。
蒼空は目覚めた。体は元気だ。
でもあれじゃ……。
俺は二人を抱きしめた。
「おい、そこ、朝から何をいちゃいちゃしているんだ」
莉子先輩が菅家と右近を連れて紫の病室から出てきた。
「莉子先輩……」
俺の顔を見ると莉子先輩は
「み~な~と、男だろう、泣くんじゃない。陰陽師が予定よりも早く来てくれた。今、もう、駐車場に来ている。白狐も黒狐も、他の歌詠みも駐車場に向かっている。来たいならついて来い。ただし絶対に涙を見せるな」
俺は小町と姫天皇を見た。二人とも頷き涙を拭った。
莉子先輩たちの後に続いて、俺たちも駐車場へ向かった。
◇
駐車場は病院の地下にあった。
エレベータ―で地下三階まで降り、足早に歩いて行くと、大勢を引き連れて歩く、少年がいた。
白いパーカーに紺色の七分丈ズボン。
フードを被り、顔を隠すようにしているが、前髪は長く、瞳は大きく、整った顔をしていた。
「あの、莉子先輩、あれが陰陽師の小笠原久光ですか?」
「そうだ。見てみろ、あの眼光の鋭さを」
そう言われ、瞳を見ると、ジロリと見られた気がした。
鋭いというか、すべてを見通しているような目だった。
「……中学生ですか?」
「違う。私の一歳上、二十歳の大学三年生だ」
「大学生⁉」
俺は驚いて大声を出してしまい、慌てて手で口を押えた。
あと数メートルで小笠原久光たちと合流できるという地点で、小笠原久光は立ち止まった。
「多過ぎる」
良く通る大きな声だった。
「多過ぎる、と申しますと?」
小笠原久光の隣にいた、執事のような男性が尋ねた。
「この建物の作りからすると、病室はそこまで広くないはずだ。個室と言ってもたかが知れている。こんな大勢が入れるわけがない」
小笠原久光はそう言うと後ろ振り返った。
「白狐、黒狐は俺の肩に乗れ。SPは岡田、お前一人でいい」
執事のような男性は岡田という名のSPらしい。
「あとはそこの女、それとそこのガキ、現場にいたな。呪詛の痕跡を感じる。言霊使いは霊体化しておけ。ついて来い」
そこの女……莉子先輩、ガキ……俺、ということか⁉
人のことをガキ呼ばわりとは……。
「湊、黙ってついてきて」
莉子先輩がいつになく真剣な表情だったので、俺は黙って頷き、小町と姫天皇に目配せした。
小笠原久光は肩に白狐と黒狐を乗せ、歩き出した。
一歩下がってSPの岡田さんが続いた。
すると、後ろにいた人たちも歩き出した。
小笠原久光が止まった。
「同じことを何度も言わせるな。ぼくがエレベータ―に乗るまで、ここを動くな」
……!
今、一瞬だが、何か力を感じた。
小笠原久光が歩き出したが、後ろの集団は微動だにしない。
……、小笠原久光が術を使ったんだ。
印を結ぶこともなく、たった一言であの大勢の動きを止めた。
俺は背中に汗が伝うのを感じた。
それにさっき、小笠原久光は小町と姫天皇のこともちゃんと見ていた。
歌詠みではないのに。
若いのに相当な切れ者で実力もある――この評価は本物だ。
俺は目の前を通り過ぎる小笠原久光に、もはや言い知れぬ圧を感じていた。
莉子先輩が俺を見た。
俺は慌てて莉子先輩と並び、小笠原久光の後に続いた。
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