呪詛の毒気
俺と莉子先輩は病院の屋上へ来ていた。
通り雨はとっくに止んでいた。
今は丁度太陽が沈み、空は茜色で、上空からは夜のとばりがゆっくり降りてきていた。
莉子先輩はプラスチック製のベンチに座ると、俺に缶に入ったお茶を渡した。
「さっき、何を見た?」
「えっ……」
「紫の病室でだ」
「それは……」
「話せないなら話さなくていい。紫についた呪いは強いからな。呪詛にかかってなくても、近寄るだけで毒気にやられる。穢れと同じで、心が強い状態であれば、その毒気に侵されることはない。
でも心が弱っていると、毒気にやられる。見たくないものを見せられたり。見たいものを見せられたり。絶望、欲望、羨望。まあ何を見せられようと、それはまやかしだ。気にする必要はない」
「……」
「ただな、稀に真実も含まれるらしい。呪詛の毒気も元をただせば憑りついた相手にある。毒の中にその相手の本音だって含まれることもあるとか。ところで湊、なんで紫の病室へ行った?」
莉子先輩は缶のお茶をぐびっと飲んで俺に尋ねた。
「それは……声が聞こえた気がして……。名前を呼ばれたような気がして」
「ふうーん。声……ね」
莉子先輩はもう一口お茶を飲んだ。
「この病院には湊に関わる人物が三人入院している。友達、新しい友達、新しい友達の友人。誰をまず見舞うかと考えたら、友達、なのかと思ったわけだが」
「……」
「でも湊は紫の病室を訪ねた、と。毒気にやられたとしても、なぜ紫だったんだろうね、湊」
「……」
「み~な~と、好きなのか、紫のことが」
「えっ……」
「わたしに隠す必要はないぞ。本音で話せ」
「……。そんな好きなんて……。知り合って三日目ですし……。気になってはいますよ。すごく綺麗で強いし。でも紫は俺に対して冷たいというか。取り付く島もないというか……。それに蒼空の切り札なんです。そんなよこしまな気持ち……」
「好きという気持ちはよこしまなものなのか、湊」
「……」
「蒼空は紫のことを好きなのか? 好きだろうな。どうしても欲しかった言霊使いだからな。まあ、わたしが菅家を好きなのと同じさ」
「莉子先輩はやはり菅家と……」
「菅家とはズブズブの関係だよ」
それってどういう関係なんだ⁉
そこで莉子先輩は噴き出した。
「湊! 言葉遊びだよ。もし湊にそーゆう趣味があって、菅家を好きというのなら喜んで差し出そう」
「えええっ⁉」
「私の菅家の好きは、あくまでビジネスパートナーとしての好き、なんだよ。それは蒼空も同じさ」
「……そうなんですか⁉」
「ああ。だって蒼空はわたしのことが好きだからな」
あああ……。
莉子先輩の言葉は、話半分で聞いておかないとダメだったんだ。
「ところで湊、蒼空は歌合せの儀式で紫と出会ったわけだが、それはかなりイレギュラーなものだった」
「そうなんですか?」
「蒼空はこの札だ、と思ったようだが、札は反応しなかった。その場合は別の札を選ぶ必要があるのだが……。蒼空はその札をつかんで半ば無理やり引き当ててしまったんだ」
「あの蒼空がそんな強引なことをしたんですか?」
「いや、これはよくある話だよ。歌詠みだったらより強い言霊使いを引き当てたいと思うのは当然だからな」
「そうなんですね……」
「いい意味での野心だ。それに札の方もこの歌詠みではない、と思ったら、拒否すればいいわけだから」
「つまり呼びかけに応じない……下の句で返事をしない、というわけですね」
「その通り。紫は……見ての通り真面目だ。蒼空の請う気持ちを無下にはできなかったのだろうな」
「そうだったのですね……」
「さて。そろそろお開きの時間だ。湊も家に帰った方がいい。そこで今後の方針を伝えておこう」
「まず三人の状態だが、蒼空は治癒も終わっているから明日にでも目覚めるだろう」
「怪我をしていたんですか⁉」
「まあ、吹き飛ばされていたからな。そんな重大な怪我はしていない。右近の治癒でそれは治った。湊も覇気で吹き飛ばされたことがあるだろう。あれと同じようなもんさ。だから蒼空についてはもう心配ない。大丈夫だ」
「本当に、大丈夫なんですね?」
「ああ。問題ない」
俺はその言葉でようやく少し安心できた。
「蒼真と紫だが、正直我々歌詠みではお手上げ……とは言わないが、打開策が見いだせない。歌詠みの基本は穢れを祓うことと、呪魂と戦い祓うことが専門だからだ。呪詛を専門とはしていない。そこでその道の専門家を拝み倒して明日、来てもらうことになった」
「そうなんですね。その人なら二人のことを……」
「ああ、多分な。若いのに相当な切れ者で実力もあるという。だから多忙だ。黒狐が作る神器三つで話をつけた。神器三つだぞ、三つ。わたし達でさえ、神器は一つしか授けてもらえないのに」
「それでその専門家って誰なんですか?」
「湊、どうせ聞いても知らないと思うが」
「……そうですね」
「嘘、嘘、しょげた顔もなかなか可愛いじゃないか、湊」
「莉子先輩、蒼空がいなくてツッコミがいないんです」
「ああ、そうだったな。まあ、その専門家だが、陰陽師の小笠原久光という男だ」
「陰陽師なんですか?」
「ああ。呪詛と言ったら奴らに聞くのが早い。呪うのも、解くのも得意だからな」
「そう、なんですね……」
莉子先輩が俺の肩をポンポンと叩いた。
「だから元気を出せ。毒気にやられていたら紫の顔を拝むこともできないぞ。あんな寝顔、そうは見られないのだからな」
莉子先輩は軽快に笑った。
「湊は紫に負けないぐらい真面目だ。それは長所であり、短所でもある。今は短所だ。湊、お前はまだ新米だ。予想外の事態が起きて、新米の湊が失敗したところで誰も責めはしない。死者が出たわけじゃない。みんな生きている。だから大丈夫だ」
最後はバンと背中をはたかれた。
「あとな、小町と姫天皇を泣かすんじゃないぞ。自分の言霊使いのことはちゃんと愛してやらないとな。このわたしのように」
莉子先輩はそう言うと立ち上がって伸びをした。
「行くぞ、湊」
「はい」
俺は莉子先輩の背中を追いながら、姫天皇と小町に冷たく当たってしまったことを思い出し、ちゃんとお詫びをしようと心に誓った。
本日公開分を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
莉子先輩は言葉遣いに気になる点が多々ありますが
実は姉後肌で後輩思いの先輩です。
それでは明日も11時に公開となるため、迷子にならないよう
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それでは午後もお仕事、勉強、頑張りましょう!
明日、また続きをお楽しみください!




