湊の後悔
ここは、歌詠みの協力者の病院だった。
そして廊下の長椅子に、俺は小町と姫天皇と、無言で並んで座っていた。
病院には蒼真、蒼空、そして紫が運ばれていた。
蒼真に憑りついていたもの、それは穢れではなかった。
莉子先輩によるとそれは道鏡が放った「呪詛」だった。
見た目は穢れそのもの。
だが、これは「呪詛」、すなわち呪いだ。
道鏡はこの呪詛にいくつもの呪いを重ねていた。
まず一つ目は、この呪詛を祓おうとすると、祓おうとした相手に乗り移って呪う。もし近くに祓った相手がおらず、でも歌詠みや言霊使いがそばにいればそれに乗り移って呪う。
歌詠みや言霊使いであれば、呪いがつくと自身の力を使い、それを祓おうとする。
それは歌詠みや言霊使いにとっては自然なことだった。
ウィルスが侵入すれば免疫が反応するように。
だがこの呪いは祓おうとすればするほど、呪った相手に憑りつく厄介な呪いだった。
歌詠みや言霊使いはやがて力を使い果たし、呪いに浸食される。
そうなった時、もはや人格も失われ、生きる屍も同然となる。
そしてこの一つ目の呪いにかかっているのが紫だった。
二つ目は祓われようとした瞬間、呪いの本体は呪う相手に入り込む。
呪った相手に入り込んだ呪いは沈黙する。
呪いは沈黙し、呪いに入り込まれた当人は死んだように眠り続ける。
そしてこの呪いを祓おうとする時、何が起きるかは未知数だった。
蒼真は今、この病院で呪いを体内に宿した状態で眠りについていた。
◇
あの時、俺が蒼真の穢れ――呪詛を見つけた時、莉子先輩と蒼空は呪いを検知し、あの場に駆け付けてくれた。
莉子先輩は自身の歌詠みの力で、俺の左手から放たれようとしていた力を抑え込もうとした。だが、それは間に合わず、放たれてしまった。
蒼空は、自身の歌詠みの力で、俺の力を相殺しようとした。
だが力は相殺されず、蒼空を吹き飛ばし、呪詛へ届いてしまった。
そして紫と蒼真は呪われ、俺の力を受けた蒼空は意識を失った。
あの時、一瞬蒼空の手が動いたが、以後、蒼空が自力で動くことはなかった。
「蒼空は大丈夫。とても強い歌詠みの力を持っている子だから。必ず回復する」
莉子先輩はそう言ってくれたが、俺のせいで蒼空が意識を失い、未だ目覚めない事実に気持ちは沈んだ。
さらに。
紫に憑りついた呪いのことを考えると、俺は気が狂いそうだった。
祓おうとすればさらに憑りつく。
じゃあどうすればいいんだ?
絶望的な気持ちが深まった。
それに追い打ちをかけるような、蒼真の呪い。
何が起きるか分からない。
分からないから祓うことができない。
すべて、俺が余計なことをしたから……。
あの時、俺が蒼真の穢れを祓おうとしなければ……。
「くれぐれも言っておくが、湊、君に非はない。道鏡の呪詛は巧みに工作されていた。あれをいつもの穢れと思ってしまっても仕方のないことだった。わたしと蒼空だって気づかなかった。気づいたのは紫と菅家だった。他の言霊使いは気づかなかった。だから言っておく。決して自分を責めるんじゃない」
莉子先輩があの場で茫然とする俺に最初にかけた言葉だった。
自分を責めるな――。
頭では分かっていた。
後悔して悲しむ暇があるのなら……。
どうやったら紫を助けられるか。
蒼真を目覚めさせることができるのか。
蒼空を元気にできるのか。
それを考える必要があった。
だが、俺はそんな前向きなことを考えることができないぐらい、気持ちが落ち込んでいた。
「主様、今は、莉子先輩が白狐と連絡をとり、何人かの力の強い歌詠みが集まり、解決策の話し合いが行われています。きっと大丈夫です。元気を出してください」
姫天皇はそう優しく言ってくれたのに、俺は冷たく反応することしかできなかった。
「悪い、姫天皇。一人にしてもらえるか」
姫天皇は悲しそうな顔をし、小町と顔を見合わせると、立ち上がった。
そしてロビーの方へ二人で歩いて行った。
外は雨が降っていた。夕立だった。
廊下は外の暗さを反映して、薄暗かった。
俺の気持ちを反映したような、重たい薄暗さだった。
その時。
「湊」
名前を呼ぶ声が聞こえた。
俺は頭を抱え、うつむいていたが、顔を上げた。
「湊」
また声がする。
俺は周囲を見渡す。
この声は誰の声だ……?
「湊」
一番奥の病室から聞こえる。
俺は立ち上がった。
体がなんだか重たい。
俺はゆっくり、足を踏み出した。
「湊」
また声がした。
俺はゆっくり、ゆっくり、奥の病室へ向かう。
その間にも何度も名前を呼ばれた。
ようやく扉の前につき、俺はスライド式のドアをあけ、中に入った。
ベッドの周囲にはカーテンがひかれていた。
電気はついておらず、薄暗い。
「湊、来て」
俺はカーテンを引いて中へ入った。
そこには紫がいた。
眠り姫のように紫はベッドで目を閉じていた。
黒い艶やかな髪を広げ。
「紫……」
俺のせいで……。
俺が呪詛を祓わなければ……。
涙がこぼれ落ちた。
「あ……」
俺の涙が紫の頬に当たった。
すると紫がゆっくり目を開けた。
「……湊?」
「紫、気が付いたのか⁉」
俺が紫の顔を覗き込もうとしたら、紫は両手を俺の方に伸ばした。
「紫……?」
紫は両腕を俺の首に回し、俺の耳元に口を寄せた。
「湊、会いたかった……」
紫の暖かい息が俺の耳にかかった。
「湊、湊」
紫は俺の名前を呼びながら、腕に力を込めた。
俺はベッドに倒れこみそうになり、慌てて両手をついた。
その際、右手が一瞬、紫の胸に触れてしまった。
紫は襦袢を着ているだけだったので、胸の感触が直接手に伝わってきた。
俺は慌てて、手を引っ込めようとした。
「ごめん、むら…」
紫が俺の右手をひっぱり、自分の胸の上に置いた。
「え⁉」
俺は驚いて手をどかそうとするが、紫の腕の力は強く、俺は手をどけることができなかった。
手を動かそうとすると、逆に紫の敏感な部分に触れてしまい、紫が甘い吐息のような声を漏らした。
ど、どうしたんだ⁉
何が起きているんだ⁉
俺はパニック寸前だった。
「湊、ずっとこうしたかったのだろう?」
紫はそう言うと右手を俺の首に伸ばし、自分の方へ引き寄せた。
俺と紫の唇はもう触れてしまう寸前だった。
そこで紫はこう言った。
「湊、一緒に地獄へ落ちよう」
俺はその瞬間、我に帰った。
これは紫じゃない。
紫に憑いた呪いが、落ち込んでいる俺の心の隙に忍び寄ってきているんだ、と自覚した。
すると全身に力がはいり、紫を振り払うことができた。
俺はベッドから離れようと後退した。
紫は起き上がり、襦袢の前をぐっと引き下ろした。
白い肩が露わになり、綺麗な形の胸元ものぞいていた。
裾もはだけ、太ももが露出していた。
俺は思わず叫んだ。
「やめろ、紫。こんなことするの、紫じゃない」
「どうした、湊」
カーテンが開き、莉子先輩が入ってきた。
俺は慌てて紫に目を戻した。
紫は、入ってきた時と同じ状態で静かに眠っていた。
「呪詛の毒気にやられたな。部屋を出よう、湊」
本日公開分を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
蒼真、紫はどうなってしまうのでしょうか……?
明日も11時に公開となるため、迷子にならないよう
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明日、また続きをお楽しみください!




