黒い願望
「湊」
紫が美しい黒髪をたなびかせ、フワリと俺のいるベランダに降りてきた。
まるで古いフィルム映画を見ているように、目の前に沢山の黒い塵が舞っていた。
「湊、聞いているか?」
……美しく、そして強い言霊使い。
「さっき、穢れの気配を感知したが、祓われていた。湊、お前が祓ったのか?」
紫が綺麗な二重の瞳を俺に向けた。
本当に美しかった。
美しすぎて……穢したくなる……。
「湊、どうした? 初めての祓いで腰でも抜けたか?」
紫が俺のすぐ横に膝をついた。
桃色の唇がそそるように動いていた。
白く細い首が、口の動きにあわせ、動くその様さえ、ゾクゾクするものだった。
「湊、おい?」
紫の手が俺の腕を掴んだ。
細い手首。
とても太刀を操る手には見えない。
細く長い指、桜貝のような爪。
この手で俺に触れてほしい……。
そんな黒い願望が湧き上がってきた。
俺の左腕を掴む紫の右手を、俺は掴んだ。
――
「紫は僕にとっての切り札みたいな存在かな」
「うん。紫は僕の切り札と言ったろう」
――
脳裏に突き刺さるこの言葉。
この言葉を口にした奴は誰だ?
どうして紫を独占している?
……許せない。
「お前のことは誰にも渡さない。今すぐその甲冑を外せ。そして俺のものになれ」
突然後頭部に鈍痛を感じた。
◇
全身が暖かくなり、とても優しい気配に包まれ、俺は目が覚めた。
「目覚めたようだな、湊」
声を追って首を動かし、そこに紫の姿を見つけた。
「……紫」
紫は俺の左手を持ち上げ、歌詠みの印を確かめ、そして俺の顔に手を添え、自分の方へ向けた。
俺の瞳を真っ直ぐに覗き込み
「…うん。大丈夫だな」
そう言うと手を離した。
俺は自分がベッドに横になっていること気づいた。
……あれ、俺、ベランダにいなかったっけ……?
「湊、ベランダで起きたこと、覚えているか?」
紫が俺に尋ねた。
「……姫天皇と小町が巡回に出て、俺はベランダに出て、防御結界を展開しようとして……」
そこで俺は昨晩のことを思い出していた。
――
「湊、お前がパトロールを言霊使いにさせて、穢れから人々を救おうとする心意気は素晴らしいものだ。だが、もっとお前自身も大切にしろ。お前はまだ歌詠みになって日が浅い。無理にパトロールに出さず、言霊使いはそばにおいておけ」
――
ヤバい。
注意されて早々にやらかしてしまった……。
俺は紫から視線を逸らした。
「二人が巡回に出したことを咎めるつもりはない。何が起きたかを話せ」
恐る恐る紫を見たが、その顔に変化はない。
俺は話を再開した。
「……紫に習った空の守護神の防御結界を展開しようと思った。けど……紫の展開した四神の守りの円陣を俺は思い浮かべていて……。それで試してみたんだ。そうしたら四霊獣が現れて……」
「……四神の守りの防御結界を展開できたのか⁉」
紫が驚愕の表情を浮かべた。
「いや、すぐに四霊獣は消え、円陣も消えてしまった。まだ俺には早い結界だった」
「それで」
「それで、『ひったくりだ』って、女性の叫び声が聞こえて……。穢れをまとった男が前の通りを走ってきた。だからその穢れを祓った」
「うん」
「その後、初めての祓いで緊張したのか、腰が抜けた」
「違うな、湊。歌詠みの力が底をつきかけたんだ。四神の守りの防御結界を一瞬でも展開した。それだけでも膨大な力が使われている。その後に祓いもやったんだ。その時点で意識を失ってもおかしくないぐらいなのに」
「……!」
「それで腰が抜けた後に、穢れと遭遇したのだな。庭に、女性が倒れていた。穢れの痕跡もあった。これは想像だが、その女性は穢れをまとった男にひったくりにあった。その際、男についた穢れに、女性は触れてしまったのだろう。そして穢れに憑りつかれた。そこに力が弱まった歌詠み――つまり湊がいた。庭の木を伝ったか、雨樋を使ってよじ登ったかして、女性に憑いていた穢れは湊に憑依した」
「まさか……」
「憑依していた穢れは祓った」
「……」
つい数時間前に、俺は蒼空から「でも歌詠みが穢れに憑依されるなんて不名誉なことであるし、何より憑依されている時はその人の負の感情が増幅される。本人が普段は隠しておきたい感情もむき出しになる。その感情を他の歌詠みや言霊使いに知られることは……恥ずかしいことでもあるよね」と言われていた。
俺は紫を見た。
紫の顔からは何も読み取れない。
俺は何かとんでもない感情を紫に見せてはいかなっただろうか……。
だが。
憑依されたことすら覚えていない。
憑依されている最中のことなど分かるはずもない。
「回復もしておいた。防御結界も展開できるはずだ。空の守護神の防御結界、展開してみろ」
紫は憑依中の俺について言及することはなかった。
俺は防御結界を展開しようとした。
だが、集中できなかった。
「どうした、湊? 蒼空と練習していた時は自由自在に結界を展開できていたのに」
紫の言葉に俺は意を決して口を開いた。
「……俺は憑依中に何か変なことをしなかったか?」
俺は恐る恐る紫を見た。
「憑依されているとすぐに分かった。祓いは即行った。だから何も問題はない。……それと、憑依されたことを誰かに話すつもりはない。安心しろ」
紫は淡々と告げた。
そうか。そうだよな。紫だったらすぐに憑依されていることに気づいただろう。
俺は安心し、その後、ちゃんと防御結界を展開することができた。
展開した結界を見た紫は
「これでもし大将クラスの呪魂が襲撃してきたとしても、時間稼ぎができる。すぐに小町や姫天皇を呼べば二人は戻って来られるし、自分も駆けつけることができる」
安堵の表情を浮かべていた。
……俺の身を案じてくれたんだ……。
「でも流石にしばらくは大将クラスの呪魂の襲撃もないだろう。このクラスの呪魂を送り出すには道鏡にかかる負担も大きい。自分も近くを巡回しているから安心して休むといい」
紫はそう言うと俺に背を向けた。
「紫」
俺は思わずその名を呼び、手を掴んでいた。
紫の大きな黒い瞳が俺の姿を捉えた。
「どうして……俺のことを気にかけてくれるんだ……?」
「気にかけている……? なんのことだ?」
「いや、その……前回も助けてくれたし、結界の展開の仕方も教えてくれたし、それに今回も……」
「大将クラスの呪魂が現れた。その後を追ったら湊、お前がいた。ただそれだけだ。結界はそこに小町がいないから教えたまでだ。そして穢れを感知し、駆け付けたらお前が憑依されていた。だから祓った。言霊使いとして当然のことをしただけだ」
「そう、だよな。ごめん、忙しいのに呼び止めて」
俺は掴んでいた紫の手を離した。
紫は無言で俺を見ている……。
俺は自分の勘違いが恥ずかしくて、紫から視線を逸らした。
「……湊、お前にはまだ攻撃ステータスの言霊使いがいない。蒼空とお前は歌詠みだ。何かあれば助けたいと思うのは自然なことだろう」
「紫……」
俺が顔を上げた時には紫の姿はなく、すでに遠くまで移動していた。
綺麗な黒髪をなびかせて。
本日公開分を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次回更新タイトルは「朝から修羅場」です。
一体、湊の身に何が……。
それでは明日も11時に公開となるため、迷子にならないよう
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それでは午後もお仕事、勉強、頑張りましょう!
明日、また続きをお楽しみください!




