3話
ふらふらの体で、やっとの思いでたどり着いた馬小屋。
とは言っても、先ほどの男女。シュタッバーテン家の人間が使う馬ではなく、行商人に貸し出す用の馬を管理している馬小屋で、何度も彼女が足を運んでいる場所だった。
来なれた馬小屋の中に入り、近くの積まれた牧草の上に横になり、今の状況を頭の中で整理した。
《転生》だろうけど、正確には違うものだと思う。だってこの体には、確かに元の持ち主がいた。そう、あの空間。顔の見えない女の子。あの子がきっと元のアンジュ・シュタッバーテン本人。
こういう場合、転生というよりは入れ替わり……んー、あまりピンとこない。まぁ違うかもしれないけど一応ここでは【憑依転生】という表現で考えよう。
そんなアンジュ・シュタッバーテンに憑依転生して初っ端あんな仕打ちにあうとは流石に予想もしていなかった。
きっと、あの空間はアンジュ・シュタッバーテンと私の魂が入れ替わる瞬間だったのかもしれない。
あの場所での息苦しさ、頭を押さえつけられる感覚、頬に感じた水は、現実でのアンジュ・シュタッバーテンの状況を表していたのだ。
さて、それじゃあどうしてアンジュがこんな扱いを受けていたのか。
私は辺りをキョロキョロし、木の桶を探す。見つけた木の桶には多くの水が入っており、はっきりと彼女の姿を移している。つまり、露わになっているこの首筋もだった。
彼女の首筋には、二輪の花の模様があった。
【薔薇】と【ルドベキア】。
これが、彼女が先ほど兄妹に言われた【呪い持ち】と言われた理由だった。
呪いについての知識は、残念ながらアンジュの記憶の中にもなかった。調べようとはしたみたいだけど、兄妹や両親に書庫に入ることを禁じられてしまい、ただただ理由も分からずにされるがままに家畜以下の扱いを受けている。
「呪い……か……」
この呪いと言われるものは、感染する類のものではないみたいだった。アンジュを……私の頭をあの兄弟たちは随分力強く触れていた。あの行動や発言からあれが初めてではないみたいだったし。
「何かの小説の世界なのかな……それとも、本当にただの異世界……」
小説でよく読んだ転生ものは、どれもゲームや小説の世界に行くというものだった。ここももしかしたらそうなのかもしれないけど、こんな話に覚えなんて全くない。
必死に頭を動かし、記憶の中にある作品を一つ一つ思い出す。
だけど、その時に何度も何度もくしゃみをした。まぁ無理もない。こんな薄着で、あれだけの冷水をかけられたんだから、風邪をひかないわけがない。
私は近くの藁の中に入り、とりあえず暖をとる。
「あ、意外とあったかい」
周りにいる馬たちには申し訳ないけど、しばらくの間はあなた達のご飯の中にお邪魔させてもらうわね。
「アンジュ様?」
不意に呼ばれ、少しだけ体を起こせば、そこには一人の老人がいた。とはいっても、ヨボヨボの腰の曲がった、見るからに老人って感じじゃなくて。所謂イケオジだった。少しみすぼらしいけど。
「レイモンド?」
自然と口からこぼれる名前。私自身は初めましてだけど、アンジュにとっては親しんだ相手だった。
レイモンド・カーレイド。
アンジュの祖父が当主だった頃、彼を支えた優秀な臣下だった。
だけど、父が当主になってからはこの馬小屋で仕事をすることになった。理由は、父が幼い頃に彼が色々と注意をしていたから。つまり、逆恨みだ。
「……また、ですか」
奥歯を噛み締め、服の裾をぎゅっと握っていた。
彼が、アンジュのこんな姿を見るのは初めてじゃない。もう何度も何度も彼は目にしている。
気弱いアンジュは父に反論できず、代わりにレイモンドが言ってくれたことは何度もあった。それでも、何かが変わることはなかった。むしろ、酷くなる一方だった。
「気にしないで、貴方がそんな顔をする必要はないわ」
「しかし、私は……申し訳ありません、アンジュ様。無力な私をお許しください……」
心の底からの謝罪の気持ちが痛いほど伝わる。
彼は無力じゃない。むしろ、アンジュはいつも彼に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
だけど、今の私はアンジュであってアンジュではない。
「レイモンド、顔をあげなさい」
私がそう口にすれば、彼は少しだけ不安そうな表情を浮かべながら私の顔をみる。不安をなくそうと、私は優しく微笑む。元の私は地味だからこんなことしても特になんともないけど、アンジュの顔は姉妹にも負けないほどに美しい顔立ちだ。笑顔一つで相手の目を惹きつけることなんて簡単だ。
「レイモンド、もう謝罪をしないでください。こうなったのも私の弱さゆえです。本当であれば、貴方はこんな所にいていい人間ではありません」
藁から抜け出し、膝をつく彼の元まで行くと、そっと彼の頬に触れる。
「断言します。いずれ貴方は、ここから抜け出し、以前と同じ立場になります」
「……それは、どういう……」
私はアンジュであったアンジュではない。
あの子は弱くて、無力だった。例えこの呪いがどういうものであれ、彼女の心はあまりにももろ過ぎた。だから、あの子は諦めた。諦めて、私と入れ替わった。
——— 私の体は自由にしてもらって構いません。好きに振る舞ってください
えぇ、そうさせてもらうわ。私は貴方とは違う。残念ながら、私は物事ははっきりいうタイプだ。メンタルだって、1日に3回行われたリンチに屈することなく、逆に返り討ちに合わせるぐらいには強い。
「気弱はやめる。もう怖がるのをやめるの」
最悪の形で始まった第二の人生。正直自分の運の悪さに頭を抱える。せっかくなら、幸せで裕福な家庭に生まれたかった。どんなに裕福な家庭でも、家族がクズじゃ幸せなんかになれない。
「アンジュ様」
不意に、また誰かが私を呼ぶ。
顔をあげた先には、一人の騎士と数名のメイドの姿があった。
騎士は無機質な表情。感情なんてものは何一つないほどに表情が真顔。
メイドたちに関してはめんどくさそうな表情に、隠すつもりもないため息をこぼす。
「旦那様と奥様から、身だしなみを整えるようにと言われています」
「……わかりました」
レイモンドの横をすり抜け、騎士のそばによる。
この光景は、アンジュの記憶に何度もあったものだった。
今日、王都から王太子がこの地に訪れる。




