おまけ
これはセイヤがまだユアと出会う前の話である。
セナビア魔法学園に在籍しているセイヤはいつものように登校する。教室では既に級友たちが話に花を咲かせていたが、教室へ入ってきたセイヤに視線を向ける者はいなかった。
誰からも挨拶すらされなかったセイヤは特に気にせずに自分の席へと腰を落ち着ける。それがセナビア魔法学園での常識であり、セイヤの日常であった。
だが、クラスの全員がセイヤを存在しない者として扱う訳でもない。セイヤにも声を変えるクラスメイトは存在した。
「よぉ、アンノーン」
「今日も元気に登校か?」
「よく来られるよー」
セイヤの席を囲むようにしてザックたちが姿を見せる。
「お、おはよ……」
「挨拶をする前に魔法の練習でもしたらどうだ」
「そうだぜ。魔法が使えなきゃ魔法師にもなれないしな」
「まあアンノーンは学園長のコネで進級確実なんだろうけどー」
逃げ道のないセイヤは苦笑いを浮かべてやり過ごす。
「魔法が使えないのに魔法師を目指すとか本当に傑作だよな」
「自分がセナビア魔法学園の面汚しだって理解しているか」
「お前みたいなのがいると周りも迷惑するんだよー」
心無い言葉が浴びせられようともセイヤには黙って耐えることしかできない。
クラスメイトたちは気付かないふりを続けるために会話を弾ませる。
「ま、学園長の後ろ盾があれば調子に乗るか」
「一体どんな手を使って懐に入り込んだのか」
「富も名声も何もないアンノーンなのにー」
セナビア魔法学園の中でもセイヤの地位は最下層だ。
何も持たないセイヤに差し出せるものはない。
「ああ、そういうことか」
ザックが声のトーンを上げた。
これで嫌でもクラスメイトたちの耳に話し声が聞こえる。
「唯一アンノーンが差し出せるものはてめぇの身体だ!」
「まさか学園長にそんな趣味があったとはな!」
「僕たちの貞操も危ないー!」
根も葉もない言いがかりであることは教室にいる全員が理解している。
現に一部の女子はザックたちに軽蔑の眼差しを向けていた。
それでも彼女たちが声をあげることはない。
あくまでも無関係なクラスメイトたちは不干渉を貫く。
ただしセイヤは別であった。
「…………違う」
「ああん?」
普段なら何を言われても言い返したりはしない。
けれども今回だけは別であった。自分のことは何と侮蔑されようとも耐えられていたが、恩人を貶めるような発言だけは許すことができなかった。
「先生はそんな人じゃない!」
反論をするセイヤを見たザックがニヤリと笑みを浮かべた。
「そうか、てめぇは俺の主張を否定するんだな。お前ら、今の言葉は聞いたよな」
「もちろんだよ。こいつ、ザックを否定したよ」
「これは制裁が必要だねー」
ザックがセイヤの腕を掴むと教室の外へと連れだした。
それを止める者たちは誰もいない。
クラスメイトたちは視線を変えて何も見なかったことにする。
関わったところで無益であるから。
ザックたちはセイヤを空き教室へ連れ込むと、制裁という名の暴行を始める。
いくらセイヤが苦しんで慈悲を求めようともザックの拳は止まらない。
大義名分を得たザックの拳は正義であり、そこに糾弾される言われはない。
セイヤは止むことなく振り下ろされる拳に耐え続ける。
空き教室の前を教職員が通るが間に入ったりはしない。セイヤたちが何をしているのか知っているため介入しないのだ。
教職員の中にもザックたちの行いを問題視している者もいるものの、それ以上に事を大事にする方が厄介である。誰にも止められない中でザックの制裁という名の暴行は続いた。
昼休みになるとセイヤは足早に教室を出る。
ザックたちも昼食の時間を費やしてまでセイヤを痛めつけようとは思っていない。周囲に目を配りながらセイヤが訪れた場所は屋上であった。本来は施錠されて生徒の立ち入りは禁止されている屋上であるが、一部の教職員たちの好意によってセイヤは使用を許されている。
屋上はセイヤにとって数少ない安息の場所であった。だが、この日は珍しく先客がいた。
「先生!」
そこにいたのはセイヤの恩人であった。
策の外に広がる学園の敷地を見下ろしていたエドワードが振り向く。
「その傷は……」
セイヤの顔にできた痣を見たエドワードが言葉を詰まらせる。
「また彼らか……」
セイヤが不条理な暴行を受けていることは知っていた。
それでもエドワードは介入しない。
セイヤがそれを強く望まなかったから。
「大丈夫です。彼らだってこれ以上のことはできません」
「しかし、それではセイヤが壊れてしまう」
「僕は問題ありません。あと半年で魔法師になれるんですから」
今のセイヤたちは魔法学園に所属する訓練生であり、魔法師の卵とされているあと半年で三年間の訓練課程を終えるセイヤたちは晴れて学生魔法師となり、社会的には魔法師に分類されるようになるのだ。
ただし学園を卒業するまでは学生魔法師と呼ばれ続けるため魔法の世界では魔法師とはされない。それでもセイヤは夢へと一歩近づける。
「それに学園長が一生徒に肩入れすることは避けるべきです。本当に辛くなったら助けを求めるので、その時まで僕に頑張らせてください」
エドワードの立場を案じたセイヤは絶対に介入を求めたりはしない。
それをわかっているからこそエドワードの心は締め付けられる。
「わかった」
セイヤの強い眼差しを見たエドワードはそれ以上の提案を止めた。
「だが、これだけは言っておく。私にはいつでもセイヤを迎え入れる準備がある」
「ありがとうございます。先生の思いに応えられるように僕は強い魔法師になります」
セイヤはギュッと拳を握りしめた。
強い魔法師はセイヤの夢であって憧れの存在だ。あと半年で社会的には魔法師になれる。それだけでザックたちの嫌がらせを耐える支えには十分であった。
午後になれば魔法が授業の中心となる。
クラスメイトたちが声をあげながら次々と練習中の魔法を発動する中、セイヤは一人で魔法の練習をしていた。広い訓練場の端で詠唱を行う姿は目立っている。しかも発動される魔法が基礎中の基礎であれば猶更だ。
周囲が高度な魔法を練習しているにもかかわらず、セイヤは学園に入学して最初に習う単純な魔法を練習する。長い時間をかけてようやく発動した魔法は魔力の弾であった。
どんな属性を使う魔法師でも最初に練習する単純な魔法をセイヤは長い詠唱を経て発動する。魔法自体が使えても実戦では致命的な発動速度であるため評価は低い。それでもセイヤは夢のために練習を続ける。
しかし魔法の練習を続けるセイヤに火属性の魔力弾が飛来した。魔法が暴発して周囲に危険が及ぶことも珍しくはないが、その魔力弾はセイヤに向かって一直線に飛んでいる。
セイヤが瞬時に後方へ退避をすると、小さな破裂音と共に先程まで立っていた場所に穴が空く。
「おーっと、手元がすべっちまった」
「怪我がないようで何よりだ」
魔法の使用者たちがセイヤに近づく。
「ざ、ザックくん、周りに他の人もいるんだから気を付けないと……」
「そうだなぁ。級友を傷つけるわけにもいかないし俺らも端っこで練習するか」
視線を広場の中心に向けたセイヤは担当教師を探す。いまのザックたちの行為は明らかなルール違反であり、授業を担当する教師に報告をすれば厳重注意が課される。
しかし訓練場に教師の姿はなかった。
「あの教師なら席を外してるぜ」
「シュラが怪我したからその手当だ」
「そ、そうなんだ……」
いつもは三人で行動するところが二人であった。一人が教師の目を釘付けにすることで生まれた時間をザックが浪費するとは思えない。
むしろ最初から仕組まれていたと言われた方が納得できる。
「さてと、練習を再開するか」
ザックが詠唱を唱えて魔法陣を展開する。
使用する魔法は先ほどと同じ魔力弾であり、その照準はセイヤに向いている。
明らかな違法行為であるが、この場にザックを咎める者はいない。
「待ってよ!」
止めるよりも先に魔力弾が撃ち出された。
自らに向けられた明白な敵意を受け入れられるほどセイヤは寛容ではない。
身を屈めて魔力弾を回避する。
「チッ」
ザックの舌打ちが聞こえたが構わずに横へ飛び込んだ。
セイヤの後を追うようにして魔力弾が撃ち出されるも当たらない。
目の前にいるというのに当たらないという現実が苛立ちを募らせる。
「クソ!」
セイヤを捉えられずに魔力弾は飛んでいく。ザックは魔力弾を打ち続けた。
当然その魔力弾はセイヤ以外のクラスメイトにも被害を及ぼす。他所で勝手に暴れるだけなら無関心を貫けたが自分たちに火の粉が降りかかるならば話は別であった。
ザックの撃ち出す魔力弾に向けて風の牙が襲い掛かかる。風の牙はザックの展開している魔法陣ごと吹き飛ばした。
「ああん?」
突然の攻撃にザックが声を荒げた。
視線の先には緑色の魔法陣を展開する男子生徒の姿があった。
「どういうつもりだ」
「迷惑なんだけど」
「迷惑だと?」
「あんなに魔力弾を振り撒いておいて気づかない訳ない」
そこでザックは冷静になった。セイヤの背後には練習をするクラスメイト達の姿がある事に気づいたザックが更に声を荒げた。
「アンノーン! てめぇ!」
再びセイヤに向かって魔法を行使しようとするザックであったがクラスメイトたちの魔法がそれを阻む。
彼らは別にセイヤを助けようとした訳ではない。暴走するザックを止めて自らの安全を確保するためである。
クラスメイトたちから一斉に魔法陣を向けられたザックはそれ以上の攻撃をしなかった。
「チッ、いくぞ」
最後にセイヤを一睨みして訓練場を後にする。
その後、担当の教師が戻ってきて授業は再開された。
これがセイヤのかつての日常であった。
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