第3話 覚悟
セイヤの白旗で幕を閉じた二人の攻防は第二ラウンドへと突入していた。
二人の姿は湯船の中にあり、背中合わせの形で互いに寄り掛かっている。大浴場とあって二人が入っていても湯船には十分なスペースが残っていた。
湯船へ入るにあたり背中合わせを提案したセイヤに不満げな表情を見せたユアであるが、そうでなければ風呂から出ていくというセイヤの言葉を聞いて渋々受け入れた。
ユアは未だに大浴場へ突撃して来た理由を語ってはいない。だが一か月も一緒にいればユアが何かしらの意図があって現れたことはセイヤもわかっている。
「何故こんなことをしたの」
「こうでもしないとセイヤが逃げると思ったから……」
ユアの返答を聞き、セイヤは即座に理由を察する。
この一か月でセイヤが逃げてきたものは一つだけだ。ユアから追及されそうになると、わざとらしく話題を変えて話を逸らしてきた。だからユアはセイヤの退路を断ったのである。
「どうして反撃しないの……?」
セイヤは魔法師として致命的な存在だ。
魔法師の評価は知見と戦闘技能で判断される。知見とは文字通りの魔法の知識だ。
魔法の知識が無ければ魔法は使えない。
戦闘技能は主に戦闘技術と魔法技能の二つに分類される。戦闘技術とは体術や剣術といった魔法以外の戦闘に直結する技術であり、魔法技能は単純な魔法の実力である。
これら三つの観点から魔法師は評価されている。
「セイヤは強いのにどうして……?」
セイヤの成績はユアも知っている。魔法知識を扱う座学では学年でも上位の成績を収め、得意の剣術もクラスではトップクラスの実力を有している。
「ありがと、ユア。でも僕は魔法が不得意だから」
セイヤは肝心の魔法技能は断トツの最下位であった。
魔力の量は並みの魔法師と大差はない。しかし魔力を世界に干渉させるための変換効率が致命的に劣っていたのだ。
魔法師は詠唱を用いて魔方陣を構築し、魔方陣を介して体内の魔力を現出することで世界に干渉することができる。だがセイヤは魔力を現出させることができなかった。
「それでも、セイヤは強い……」
「僕の魔法じゃ世界には干渉できないんだから仕方ないよ」
魔法師は魔法を使えて初めて魔法師になれる。今のセイヤは実力者であっても魔法師ではない。だからセイヤはセナビア魔法学園の落ちこぼれなのだ。
「それに僕はアンノーンだから……」
「それ嫌い……」
アンノーンという単語にユアが不快感を示す。
セイヤがアンノーンと呼ばれる所以は、彼が十歳以前の記憶を有していないことに起因する。魔法師として致命的な欠点を持ち、記憶さえも持たない孤児だったセイヤは、十歳の頃にエドワードという男に保護された。
セナビア魔法学園の学園長を務めていたエドワードは上級魔法師の称号を持つ実力者であり、彼に憧れたセイヤも一流の魔法師を目指すために十三歳の時に魔法学園の門を叩いた。
しかし待っていたのは非情な現実であった。
知識と剣術は身についていくというのに、一向に開花する気配のない魔法の才能。いつしか周りはセイヤのことを学園長のコネと呼ぶようになり、その頃からザックたちに目を付けられるようになった。
伝統的にウィンディスタン地方では魔法師を家柄で評価する風潮があり、家の力が学生たちの力関係にも如実に表れていた。
例えばザックの家は中級魔法師一族であり、ホアたちは初級魔法師一族である。これだけではセイヤの家の方が上のように感じられるが、セイヤはあくまで上級魔法師であるエドワードに保護されているに過ぎない。
記憶も家名も持たないセイヤは評価対象にもならない。
セイヤの名字であるキリスナも何処から出てきたものなのかわかっていない。このレイリア皇国にはキリスナという名の家は存在しなかった。エドワードが五年以上も調査したというのにセイヤの素性や家族の手掛かりは何一つ見つからなかったのだ。
だからセイヤはアンノーンと呼ばれて蔑まれていた。
そして今年の春にエドワードが病に伏して療養することとなった。そのタイミングでアクエリスタン地方から留学してきたユアがエドワードに代わってセイヤの面倒を見ることとなったのだ
「セイヤはセイヤ……」
「ありがと、ユア。僕はそれだけで幸せだよ」
今のセナビア魔法学園でセイヤのことを名前で呼んでくれるのはユアだけである。他の者たちはザックたちのようにアンノーンと呼ぶか、呼称を使わずに呼んでいる。
教職員たちも自分からセイヤに関わろうとはしないし、セイヤも迷惑になるとわかっているから話しかけたりはしない。学園長の縁故でありながら、魔法の才がないセイヤに誰もがどう接していいのかわからなかったのだ。
中途半端に才能がないならば手の施しようがあっただろうが、セイヤには全くと言っていいほど才能がなかった。
それだというのにトップクラスの知識や剣術を習得しているアンバランスな存在に憂慮した教職員たちの答えは無関心であった。
だからユアはセイヤがセナビア魔法学園に入学して初めての繋がりであった。セイヤ口から自然と言葉が漏れる。
「ユア、僕は強い魔法師に憧れているんだ」
「知ってる……学園長でしょ……」
「うん。でも、僕には無理そうなんだ」
背中越しに聞こえてくる声は僅かに震えていた。
「エドワード先生は凄いんだよ。風属性の魔法で魔獣とかも次々と倒していくんだ。それに魔法だけじゃなくて剣の腕も凄くて、僕なんてほとんど勝てなかったんだよ」
声の震えが大きくなっていく。
「でも、そんなエドワード先生が病気で療養することになって……」
対外的にはエドワードの病気の詳細は明かされていない。けれども同じ家に住んでいたセイヤは偶然知ってしまったのだ。
彼が過労で倒れてしまったということを。セナビア魔法学園の学園長として多忙な毎日を送っていたエドワードであるが、その傍らでセイヤのことも調べていた。
学園でアンノーンと蔑まれるセイヤを救うためにセイヤの素性や生い立ちについて調べるために休む間もなく国中を渡り歩いていたのだ。
そんな生活を五年も続けていれば身体が限界を迎えてもおかしくはなかった。
「僕は先生みたいに強い魔法師になるどころか、先生の重荷になっていたんだ」
エドワードが倒れた原因は自分にあるとセイヤは考えていた。
「僕がいなければ先生は……」
倒れることはなかった。この一か月、セイヤは考えてしまうのだ。自分がいなければエドワードが倒れることもなかったのではないか。自分がいなければエドワードは今も学園長として元気に暮らしていたのではないか。
「僕が、僕がいたからエドワード先生は……」
ユアの背中に小刻みな振動が伝わる。
「僕は不幸を呼ぶ存在なんだ。きっとユアにも……」
「違う……」
膝を抱えながら震える声で自らを責めるセイヤをユアは背後から優しく抱きしめる。先程のような逃がさないための抱擁ではなく、セイヤのことを包み込むような優しい抱擁だ。
身体越しにセイヤの悲痛な叫びがユアに伝わる。だからユアは優しい声音でセイヤに告げる。
「私は幸せ……」
それは心からの本心だ。
「私はセイヤと一緒にいることが幸せ……」
出会って一か月しか経っていないというのに、ユアはセイヤの全てを受け入れようとしていた。
過程もきっかけもいらない。言葉に表すなら運命である。
ユアはセイヤと出会った最初の瞬間に自分の中で何かが動いたことに気づいた。それが一目惚れなのか、前世からの繋がりなのか、定められた運命なのかはわからない。
ただ一つ言えることは心に埋められた種が芽吹いたようにセイヤのことを思い、セイヤの幸せを願った。それだけでユアには十分だった。
誰が何と言おうとも決して話したりはしない。死がふたりを分かつまで絶対に一緒にいると決めたのだ。
「私は絶対に離れない……」
口調は変わらないが、その言葉からは確かな意志が感じられた。
「ずっとセイヤと一緒にいる……」
「ユア……」
初めて言われた言葉にセイヤの瞳には自然と涙が姿を現す。
「僕、弱いよ」
「セイヤは強いから大丈夫……」
「でも何も知らないよ」
「私がセイヤの事を知っているから問題ない……」
「不幸を呼ぶかもしれないよ」
「セイヤといるだけで幸運だから関係ない……」
絶対に離さない。
セイヤを抱きしめるユアの力が少しだけ強くなった。
「ありがと、ユア。凄い勇気が出た」
「もう大丈夫……?」
「うん、僕もう逃げないよ」
これまでは自分が魔法を使えないから、自分が何も知らないアンノーンだから、虐げられることは仕方のないことだと思っていた。
けれども、それは違っていた。
セイヤは怖かったのだ。
もし抵抗をして魔法学園を追い出されたら全てを失う。
セイヤは失うことを恐れていた。
一度すべてを失っているからこそ、もう失いたくない。
そんな思いからセイヤは不遇な環境にも耐えることで持っていた小さな希望を守っていた。
でも、今は違う。
たとえ何があろうともユアは自分の隣にいてくれる。
絶対に消えることのない希望がそこにはあった。
「僕、頑張ってみるよ」
「うん……」
「ユアに相応しい男になれるように精一杯頑張る」
今のままでは駄目である。もっとユアに、特級魔法師一族に相応しい魔法師にならなければならない。
セイヤの瞳に覚悟が宿る。
「セイヤには……セイヤにしかできないことがある……」
「僕にしかできないこと」
それが何かはまだわからない。それでも進むべき道は見えた。
何年も靄で見えなかった行先に光が灯る。
落ちこぼれ魔法師が再び魔法師を志した瞬間であった。
三話でこの展開は早いかな?