第29話 絶望の最中で目覚めた存在
絶望の淵で黒い感情がセイヤの心を塗り潰す。
ユアの居ない世界なんていらない。
ユアが居ない世界なんて壊れてしまえ。
ユアが居ない世界に生きる意味がない。
セイヤの中で何かが弾けた。そして空っぽになった心を満たすように流れ込む何かがセイヤの意識を混濁させていく。
生きる希望を失ったセイヤは自分の身体をその何かに任せてしまう。
変化は唐突に訪れた。
胸にポッカリと空いた傷口から流れ出てきたものは黒い魔力であった。黒い魔力がセイヤの身体を包み込んでいく。
それを見たウンディーネは距離を取り、バジルは言葉を失う。
「なんだあれは……」
十三使徒であるバジルでも見たことのない魔力であった。禍々しさを感じさせる黒い魔力はセイヤたちのことを完全に包み込む。
ウンディーネが警戒心を強めた。
セイヤたちを包み込んだ黒い魔力が一瞬にして弾け飛ぶ。続いて中から現れたのは銀色の髪に紅い瞳を持つ男の姿であった。
その男が大切そうにユアの亡骸を抱きかかえている。
「君は、キリスナ・セイヤなのか……」
思わず声を漏らすバジルの表情は驚愕に満ちている。
なぜなら突如現れた男にはセイヤの面影が感じられたから。
セイヤはウンディーネの攻撃で間違いなく絶命していた。しかし謎の魔力が包み込むと姿を変えたセイヤが立っていた。
雰囲気がガラリと変わっている。まるで別人であった。
ウンディーネが手を出そうとするが、セイヤが一睨みしただけで手が止まる。
セイヤはユアのことを地面に寝かせると優しい声音で魔法を行使する。
「《聖絶結界》、《聖典の呪縛》、《聖刻》、事象改変開始」
ユアの肉体が白い結界によって包み込まれる。結界の中でユアの肉体から白い文字の羅列が浮かび上がると、その文字が一斉に左に向かって回転を始めた。
ある一定の場所で回転が止まると文字列はユアの体内へと戻っていく。同様の現象が数回繰り返されると白い結界が跡形もなく姿を消した。
そしてユアが息を吹き返す。
何が起きたのかバジルには理解ができなかった。だがユアが生き返ったということは紛れもない事実である。
「蘇生させたのか……」
信じられないという表情を浮かべるバジルにユアを抱きかけたセイヤが近づく。
「ユアを任せてもいいか?」
「あ、ああ……」
雰囲気も口調も全くの別人だというのに面影だけは確かに存在する。
セイヤはユアを寝かせるとバジルに向かって魔法を行使した。白い魔法陣がバジルの右肩に展開される。次の瞬間、失われたはずのバジルの右腕が姿を現す。
驚愕の表情で右腕を見つめながら動かすバジルに違和感はない。右腕が元通りになっていた。
「これは聖属性なのか……」
バジルの知る限り、白い魔法陣は聖属性しか存在しない。
それに奇跡ともいえる事象を可能にする魔法も聖属性しか有り得ない。先刻から信じられないという表情を浮かべ続けるバジル。
「君は一体……」
何者なのだ。という言葉は続かない。バジルが言い終わるよりも先にセイヤがウンディーネの方を振り返ってしまったから。
豹変したセイヤを見てウンディーネが苦笑いを浮かべる。
「あなたもこちら側の存在だったのね……」
「大剣デスエンド」
セイヤの呼びかけに応えるように地面に紫色の魔法陣が展開されると、身の丈ほどはある黒い大きな剣がセイヤの右手に収まった。セイヤが一度大剣を振るえば空気中に漂っていたウンディーネの魔力が一瞬にして消滅する。
「やってくれるわね……」
ウンディーネが水を使って攻撃に転じようとしても先にセイヤの振るった大剣が全てを消滅させてしまう。加えてセイヤには余力がある。
豹変したセイヤの闇属性は以前のものとは比べ物にならない。ウンディーネの旗色が悪くなる。
「ウォータードラゴン」
泉の水を使って水竜を三体作り出したウンディーネであるが、その攻撃もまたセイヤの闇属性によって消滅させられてしまう。
「デスウェイブ」
大剣から魔力の衝撃波が生み出された。その衝撃波に触れた水竜が跡形もなく消失していく。あまりにも一方的な殲滅を見てウンディーネが苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
「本当に忌々しい力ね……」
黒い魔力を見たウンディーネが漏らした。
この力が何かセイヤ自身もわかっていない。
ただ世界に絶望した淵で自信を飲み込んだ力である。
そもそも今のセイヤは本当にセイヤであるのか本人すらもわかっていない。自分の意志で身体を動かしているというのに、まるで第三者の目から戦いを見ているような感覚に陥る。
不思議な感覚の中でセイヤは戦っていた。
「仕方がないわ」
ウンディーネが息を吐く。
「これ以上の手加減は私の思いすらも踏みにじる」
ウンディーネの目つきが変わった。
セイヤを対等の相手と認めたようだ。
「最初に言っておくわ。今から私は全力で貴方を滅ぼす」
「臨むところだ」
ウンディーネが水を操る。その攻撃は先刻とは比にならないほど早くて重い。
三方向から飛来する水をセイヤは大剣を振り回すことで防ぐ。セイヤの周りに放たれた黒い魔力たちが水に触れると、それらが一瞬にして消失する。
しかしウンディーネは構わずに水を使い続けた。
「ウォータードラゴン」
同時に五体の水竜も呼び出したウンディーネの魔力は無尽蔵ともいえる。
その攻撃に対してセイヤは大剣を閃かせて応戦した。
「デスディメンション」
黒い魔力が載った斬撃が放たれるが、水竜たちはブレスで斬撃を抑え込む。ウンディーネの魔力が無尽蔵であれば聖属性を使えるセイヤの魔力も無限であった。
黒い魔力を使いながらも体内では聖属性を使って魔力を生成し続ける。
底の見えない魔力のぶつかり合いにバジルは己の矮小さを痛感する。
「これが魔法の戦いだとでもいうのか……」
一手一手が鋭く重いというのに、まるで小石を投げるかのように次々と撃ち出されている。それはバジルの知っている魔法による戦いではなかった。
もはや別次元の神に近い者たちによる戦いと形容する方がしっくりとする。
高度な魔力がぶつかり合う度に激しい轟音が鳴り響く。水竜たちが上空からセイヤに向かって突進を仕掛けるが、セイヤに触れる手前で跡形もなく消失してしまう。
泉から大量の水が消えていくが底は見えない。
さらにウンディーネの攻撃は少しずつであるがセイヤに近づいている。ウンディーネは攻撃を止まずに打ち続けることで再び空気中に自らの魔力を散布していた。
セイヤの黒い魔力はウンディーネの魔力を跡形もなく消失させるが、そこには僅かなムラが存在している。ウンディーネはそこに勝機を見出したのだ。
「そろそろ終わりにしましょうか」
パチンと指を鳴らしたウンディーネがセイヤを睨む。
その技はウンディーネの最大にして最後の一手である。泉から水が集まり、上空で大きな球体を形づくっていく。その大きさはこれまでとは比にならないほど大きい。
ただ、その球体が圧縮して小さくなっていく。小さくなった差分を埋め合わせるかのように泉からは水が集まり続ける。その水はまったく尽きる気配がない。
変化はダリス大峡谷中に訪れていた。
「おい、これはどうなっているんだ」
「川が逆流しているだと!?」
「隊長たちは無事なのか……」
ダリス大峡谷中の川が逆流を始めて水は泉へと戻っていき、圧縮され続ける球体に取り込まれていく。
高密度に集められた水の球体が回転運動を始めたその姿は小さな惑星と言っても過言ではない。ダリス大峡谷の全ての水がウンディーネの手の中へと集約されていく。
「プラネット」
ウンディーネが技の名を叫んだ直後、巨大な高密度の回転する球体が轟音を立てながらセイヤに向かっていく。
その速度は非常に鈍足であるが巨大ゆえに回避することは不可能である。圧縮されたことで高密度になった魔力の塊はこれまでとは比にならないほど強力だ。
セイヤも大剣を振るうだけでは防ぐことができない。
「目覚めよ」
セイヤが大剣に魔力を流し込む。すると黒い刀身に刻まれた文字列が白く輝きだした。
聖属性とは違った輝きであるが、その輝きは強く逞しい。
大剣から黒い魔力が滲み出た。その魔力はこれまでで最も澄んでいる。
両手で大剣を握ったセイヤが構えた。動作は先ほどと同様である。頭上に振り上げた大剣を力いっぱい振り下ろすだけである。
それだけで魔力を載せた斬撃が放たれた。
勝負は一瞬で終わる。
セイヤの斬撃が高密度の魔力球体を音も立てずに消失させた。直後に吹き荒れた激しい風がおさまる頃には惑星とウンディーネの姿は跡形もなく消えていた。
まるで最初からウンディーネたちは存在していなかったと錯覚するほど痕跡もなく消えていたのだ。セイヤの手から落ちた大剣も虚空へと還っていく。
戦いを終えたセイヤは振り返るとユアの身体を抱き上げた。
「君は本当にキリスナ・セイヤなのか……」
セイヤを呼び止めるようにバジルが尋ねる。
しかしセイヤの答えは素っ気なかった。
「俺たちのことは忘れてもらう」
「それはどういう……」
「俺を連れてきてくれて感謝している。だから許してくれ」
バジルの意識はそこで途切れた。またバジルのことを待つ隊員たちもまた同じタイミングで意識を失う。彼らが目覚めた時には記憶にセイヤとユアの存在は一分たりとも残っていなかった。
彼らは行方不明となった上級魔法師を捜索するも見つけることができずに帰国することとなる。そして噂となっていたウンディーネも存在しないと報告された。
ダリス大峡谷での激戦は記録にも記憶にも残らない幻の戦いとなる。
こうしてダリス大峡谷での一件は幕を閉じるのであった。




