第20話 白虎(下)
最初の攻防は互角に終わった。
体勢を立て直して再び攻め込もうとしたユアだったが、白虎の変化に足が止まる。グルグルと低い唸り声を上げながらユアを睨む白虎の姿は先刻よりも猛々しい。
緑色の稲妻がバチバチと白い毛皮の上で弾けていく。その数は次第に増えていき、白虎の毛が逆立つ。
全身に緑色の雷を纏った白虎の咆哮が峡谷に轟く。今の白虎の姿は獰猛さを増しているが、この姿こそが白虎の真の姿であった。雷を纏った白虎の姿を見てユリエルを構えるユアの表情が強張る。
ユアが視てきた魔獣の中でも群を抜いて存在感を持つ魔獣がそこにはいた。
隙を作らないためにユアは警戒心を強める。けれどもユアの視界から白虎が消えた。
次の瞬間にはユアの背後に回り込む白虎。ユアは咄嗟に背後へ風属性の防御魔法を行使するが、白虎の振り下ろした爪によって魔法ごと吹き飛ばされる。
ドンという大きな衝突音と土煙を立てながら壁にぶつかったユアは地面に倒れ込む。白虎はユアの認識速度を超える速さで移動をしたのだ。
だが白虎の攻撃は終わりなかった。
再びユアに迫る白虎の爪はユアの白いうなじを狙っている。ユアは立ち上がるよりも先に光属性と風属性を合わせた堅固な防御魔法を行使して攻撃を辛うじて防ぐ。
動きを見てから対処するのでは遅い。
ユアは自信を中心とした球体状の魔力の領域を形成し、その中に反応が出た場合に即座に防御魔法を行使することで身を守る。これは白虎が使っていた技を真似たものである。
練習もせずに試した技であるものの今のところは機能している。
そこからのユアは防戦一方であった。止むことのない白虎の攻撃を紙一重で防ぐユアは動きを牽制するための攻撃さえできなかった。
少しでも攻撃に意識を向けようとすれば防御に綻びが生じる。
ユアは生まれて初めて防戦一方の戦いを強いられる。止むことのない攻撃の嵐が浴びせられる。
しかも厄介なことに白虎は足場を狙った背後からの攻撃も仕掛けてきた。ユアは文字通り全方向を警戒する必要に迫られている。
気が緩む瞬間がない。
張り詰めた緊張の糸がユアの精神を疲弊させる。それでも防御に専念しなければ傷つく。
「きつい……」
初めての経験にユアの心は擦り減っていく。
魔力は無限に生み出せても心の余裕は生み出せない。どこかで攻撃に転じなければならないと感じながらも白虎に隙が無い。
極限の窮地に立つユアであるが、思考は驚くほどに冷静であった。少しでも加減を誤れば命はない。それだというのにユアの意識は明瞭になっていく。
自分が疲弊していくということさえも第三者の目から認識しているような感覚だ。
生まれて初めて立つ境地にユアは驚いていた。だが同時に何をすれば良いか理解する。
「《聖槌》」
ユアが一言だけ発した。
それだけで白虎の猛攻が止む。目を向ければ、そこには見えない力によって動きを封じられる白虎の姿があった。
ユアの使った魔法は聖属性による魔法だ。対象範囲の重力を一時的に大きくする魔法によって白虎の動きを抑えつけた。
この魔法をユアは初めて使う。そればかりか初めて知った。
ユアは危機に瀕する中で頭の中で浮かび上がった魔法を行使したのである。誰からも教わっていないはずだというのに以前から良く使っていたような不思議な感覚の中でユアはユリエルを構えた。
黄色い雷を纏うユリエルが白虎に向かって突き出される。
ユリエルの剣先が白虎の首元に刺さった。僅かに苦悶の声をあげるも致命傷には至っていない。
ユアは首元に細剣を押し込もうとするが、白虎も硬化を強めることで刃を止める。二つの稲妻が激しくぶつかり合い、再び激しい衝撃波が生まれて両者の間に距離が生まれた。
互いに有効打を決め切れない歯がゆい戦況だ。
ユアの攻撃では白虎の頑強な外皮を破ることができず、白虎の攻撃もユアに決定的なダメージを負わすことができない。
それでも気を抜けば致命傷を負うことは確実であった。白虎はユアの重力攻撃に囚われないために高速で移動しているが、先ほどまでのようにユアに接近はしない。
あくまでも隙を伺うために動いている。
逆にユアは防御を固めていた。
次に攻撃を仕掛けられた瞬間を狙って白虎の動きを止めるためだ。不用意に《聖槌》を使っても外れる可能性の方が高い。逆にその隙を白虎に突かれる方が危険である。
互いに攻めあぐねているのも実力が拮抗しているからであった。
「固い……」
ユリエルの剣先を見たユアが呟く。
これまで二度も刺すチャンスがあったというのに決め切れなかった。その一番の原因は白虎の硬い外皮である。
雷を纏うことで硬化された外皮は同じく雷を纏うユリエルであっても貫くことができない。白虎の外皮を貫くことのできる威力がなければユアに勝ち目はない。
剣術を使った近接戦闘を得意とするセイヤとは異なり、ユアには得意分野がない。逆に言えば苦手分野のないオールラウンダーといえるが、裏を返せば強みのない魔法師とも言えてしまう。
遠近どちらの戦闘にも対応とし、魔法と剣術の腕前も高い水準である。それゆえにレイリアでは高い評価を得ているユアである。
しかし現状は高い水準で様々なことができる強みが弱みになってしまった。
ユアのようなタイプは対人戦においては有利に事を進められる。なぜなら読み合いが発生することで相手に迷いが生じるからだ。
人間はユアの手札の全てを警戒する必要がある。けれども魔獣には相手の手札を判断して読み合うという考えがない。
魔獣たちは相手の動きに対して本能的に対応することができる。そのため人間に比べてワンテンポ早い動き出しが可能となり、その対応にユアは苦しんでいた。
これがセイヤのように一つの事しかできないならば全神経を一つに集中させればいい。だがユアは様々な事が出来てしまうから最適な手を選ぼうとしてタイミングが遅れてしまう。
そこに加えて威力の足りない攻撃だ。ユアが迷ってしまうのも無理のないことである。
「《聖花》」
聖属性の魔法を使って魔力を回復させるユアの表情は浮かない。
どんなに考えても白虎の外皮を貫く攻撃がユアには無かった。こうなるとユアに残された方法は一つだけだ。
白虎の外皮を貫くことのできる攻撃を編み出すしかない。幸いなことにユアの中で思い当たる方法は存在した。以前から新技を考えていたユアであるが足りない要素が多かった。
けれども白虎との戦いでユアはある可能性を思いつく。おそらくユアが出せる最大限の破壊力だ。それは誰かの真似でもなければ、理論がしっかりと構築されているわけでもない。
言ってしまえばユアの脳内で思い付いた技を再現するだけである。
どのような危険性が潜んでいるかもわからない。それでもユアは新技の行使を決めた。
生きてセイヤと再会するために。
「《閃光》」
ユアは単純な光属性の魔法を使って眩い閃光を放つ。
薄暗い広場が一瞬にして光に包み込まれるが白虎の視界を奪うことはできない。閃光が収まるとユリエルを構えるユアの姿が現れる。
バチバチと黄色い雷光を纏うユアの背後は隙だらけだ。今のユアの姿はそれまでの戦いからは信じられないほど隙が多い。
相手が人間だったならば罠の可能性を疑ったに違いない。だが相手は魔獣である。好機とばかりに白虎がユアの背後に迫り、緑の雷を纏った鋭い爪を振り下ろした。
しかし白虎の爪がユアを捉えることはなかった。
振り下ろされた爪と同時にユアの姿が揺らぐ。そしてユアの姿が陽炎のように消えた。直後、白虎の周りに巨大な力が圧し掛かる。
「《聖槌》」
ユアの聖属性による重力攻撃だ。
上空からユアが降り立つ。白虎が攻撃したユアは幻影であった。
閃光によって白虎の意識を一瞬だけ逸らしたユアは上空に跳躍すると、自分の姿を模した幻影を作り出した。これ自体は単純な光属性の魔法であるが、ユアは雷光も付与することで幻影を実体に見せかけたのだ。
人間相手にはまず通用しない単純な身代わり作戦は狡猾な人間と戦ったことのない魔獣にとっては十分脅威になりうるものであった。重力によって動きを封じられた白虎に向かってユアが左手のユリアルを構える。
装填する矢は魔力の矢ではなくユリエルだ。
以前からユリアルでユリエルを打ち出す攻撃を考えていたユアにとっての懸念は威力であった。どうしても既存の攻撃と差が出ないために新しい攻撃は実用化に至らなかった。
けれども白虎の戦いで新たな可能性を思いつく。装填されたユリエルが白い魔力を帯びていく。
纏わせる魔力は聖属性である。
その攻撃はレイリアでもユアにしか使うことのできない固有魔法だ。弓矢を構えるユアを見て白虎が藻掻く。しかし《聖槌》の重力から逃れることはできない。
夥しい量の魔力がユリエルに込められていく。
ユアは白虎に狙いを定めると新技の名前を呟いた。
「ホーリー・ロー」
ユリアルから放たれた一本の細剣が一直線に白虎へと向かう。
白虎は防御に全力を注ぐもユリエルを防ぐことができなかった。
単純な硬化勝負では白虎の方が硬かった。だからユアはユリエルに回転を与えることで貫通力を強めた。また聖属性の魔力が更なる回転を発生させることで貫通力を飛躍的に上昇させる。
その攻撃はユアが出せる最大火力にして、最強の貫通力を誇る攻撃であった。
高音と共に放たれたユアの攻撃は白虎の頭部を容易に吹き飛ばすと背後の壁も貫通していく。その威力はダリス大峡谷の魔獣をもってしても防ぐことができない。
頭部を消し飛ばされた白虎の胴体がドスっという音を立てて地面に落ちる。白虎の討伐を確認してユアは座り込んでしまった。
「よかった……」
肩で息をしながら先刻まで死闘を繰り拾えた死骸を見つめる。
もし新技が上手くいっていなければ負けていたのはユアの方であった。薄氷の勝利にユアは安堵する。
「セイヤ……」
思い人の名前を呼ぶと、ユアは休む間もなく立ち上がる。一刻も早くセイヤを見つけなければいけないという使命感がユアを突き動かすのであった。